昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

酩酊

 神とは名ばかりの枢要な価値ばかりか、そこで止揚されるもののほとんどは、意味を与えられる限りに、同じ結末をつながり、つたない意味へと変換され、同じようなことを引きずるだけに至るような時間から逃れられずに、永遠などを用いる愛に響かぬ思いはコード化され、介在するほどに、存在とは、革命に怯え、老いぼれるためだけに何かを否定するような反証から、落胆するための余韻を生み出すためらいや、ため息を吐き出すだけの破壊的な逍遥から、唱道されるものに左右され、最たる意味を損ない、理性を喪失し、齟齬をきたすための怠慢から、退廃的に受理されるものの化身に追いやられる生命は、何かを立証できずに、そこで駆逐される恐れから逃げ出せずに、そこでの決意が足りぬから、と臨界点をむかえて、まき散らす放射線から、格納される意思は、眼前に嬲られ、おちいる隙間に衰亡することだけを願うようなペシミズムが追いやる生命に互換される制度などに製造され続ける憂鬱に支配され、芝居を続けるほどに陥落する意識は、敷居を用い、何かを受け入れられずに鍛接され続ける意思的な硬質さがすべての緩衝を終え、倦怠感をかき消しながら、起動されるものに反することだけが、ことごとくに追いやられずに、自らに関するほどに、かすむ思いなどが、うとましく認識すべきだ、と迫る幼稚な仕組みから解放感をめざし、関係に処理されるだけの生命が唾棄するものや、たきつけるものから反しては、寂れたままでもあいまいなままに編み込まれるものでも、ここでの疎外感を敷衍させ、不吉な予言を下す余波から、揺動されるだけの心理などが追従する不安などは、不正を糺すためだけに淘汰される結末や、そこで問い質されるものが全く新しいものに書き換えられ、あたかもそこに存在したかのように供えられる言葉や事柄に応じるだけの答えに慟哭する真理などを信心するほどに、ここで理不尽に回転する座標や、截然たる様相に足るや足りないなどをうながすだけの出来合の真実が描く形などは換算されるだけの真実を嵌め込むための空間を用意し、そこで次元を用い、時間に流用されるだけの関連が十全としたものを謳うことごとくとは、時間の牢獄にとどまるだけの惰性な駄犬として門前で吠えるだけが取り柄の玩具として、眼前に現れる苦しみに表現を損ない、喪失感によだれを垂らす貪婪な獣として、ことごとくに負け惜しみを綴るだけの浪費的な観念は還元されるものだけが、価値を成立するのだ、と用いられる苦しみのいっさいは金銭で解決できるという世界から放たれる雑音をかき消すのだ、とマルキシズムミニマリズムがカモフラージュする仏教的な苦しみを買い取るカルマや、蓋然性を謳う制度に付着する寄生虫や緩慢な作用を謳う依存的な敗者も覇者も同じような暗示に引っかかっているだけに過ぎないし、徒に消費されるもっぱらに妄想的で獰猛な木偶の坊どもがどっしりと座り込むほどに流行に支配される君たちのデリカシーなどを謳う過信的な者どもの理屈こそひるがえすべきあるし、そこでルサンチマンどもが語り継いだ理屈が、やがて正義として騙られるだけに至るのであるし、やがて勝ちも負けるも、同じようなものを誘引し、自らに優位になるように事を運ぶのであるし、やつれた感情でやっつけ仕事的に執り行われるものの虜となる君たちの問いなどは、当為するものだけを同じように信心し、等位を生み出し、何かを踏み台にし、同じような物差しで測り、同じような道具で突き刺し、偶像崇拝に至るだけだし、熱病に犯され、そこで応じる答えだけを信用することだけが、恒久的なしあわせに至るのです、と純粋そうな目の奥では卑屈な弱者が存在し、そこで同情し、同情されることだけが、しあわせへの近道です、と語る表情は無表情で、浄域や聖域などを用いながら、自らをあたかも綺麗なもののように仕立て上げるような仕組みからの敗残者として備わるものの獲物として、或いは、何かの代価として、代償として生贄として存在するために損ない続ける生命などを崇めるような結末に浸るようなペシミストとして、自らを冷酷な支配者に変えるような死への恐怖に復古し続ける苦しみを引きずる空間におちいる散漫な季節の監房で描く絵空事に空疎な浮遊感をたずさえ、ドメスティックな一致や、一体感などをうながす疑似的な革命におちいる快楽的な逍遥から、症状とは、衝動的に囚われ、自らを不自由にし、抑圧からのすこしの解放を与えられることを自由と呼び、自らを自由と名付けられた監獄に捕らえ、それを他者の目を介して乖離した自己を席巻し、自らを傍観し続けることが、しあわせである、という過ちから逃れるために同一化させるための答えにためらいを生み出すために描くリズムだけが、信用すらも打ち砕くまで続ける。