恋に浸るだけの偏り
限りあるものだけが、物語を拘束し、遊蕩し続ける意識のラビリンスに嵌まり込み、這いつくばる意識から、やがて尽き果てるまでの軌跡をたどり、怠慢な原理に宿す生命的な基礎を抜き取り、ロジカルな生後へと退廃していくだけに、権限を用い、モチーフとされる物事に乱立するだけに正義を制限にし、性善説や、性悪説をまとう信仰心から、綿密に罪が得る互換から、悔悟をため込み、離愁に漂うあどけなさや、折檻の音や、咎める昔年に凄絶な闘争が巻き起こり、舞い込む意識が、やがて誰かに奪われ、他者からの総和から、退行するだけの精神性などを分析するだけに、制度の嬰児は、咎められるだけに至り、分離するだけに至る現在に静謐さも無く、ただやかましく迫る婚姻から、関係性は、制度を用い、制限を利用し、領土を奪い、療養する時折に屠られるだけの言動から、原理的なガス室へと送られるだけの悲しみのゲートを超え、限界を用い、有する事柄に閉じ込めるだけに、投棄される現在に吐血を繰り返し、穏便に見つめる先に密会を繰り返し、裏切りの轟音が迫り、互換される敢然とした善意も、何時しか悪意に変わり、改善されない今から、貸与する理由が同調を求め、織り込む意味から、繰り出される理由に操られ、空間的な無気力さから、境目を用い、すなどるだけの連中が芝居を続け、支配の経路を渡り、形骸化するまで、すなどるだけの悪趣味な行為にもとづく本質などに、真実などは無く、清貧な者こそが、何かを求めずに、何も追いすがらずに、横溢するままの現在を清廉潔白に生き、いきいきと心情を澄ませ、正当さを謳う訳でも無ければ、言い分けがましく今に尽きるだけの永劫に悟りなども謳わず、ここにあるものとの咎めから、怠慢なものが生まれる訳でも無ければ、たちまちにあふれる事柄も、ことごとくに制限を与え、有限なものである、と告げる先に苛むだけの記憶が、傍観者として、自身の中で乖離し、懐疑的なものを生み出し、改善されずに、査定されるだけの意味から、高慢なものが生まれ、恒常的な帰巣から、記号的な論調から、朗唱される真実とは、たぶん太古から、当てこすられた物事を、今に引きずり、それこそを信用し、姑息なものであるべく、誰かを陥れるべきなのだとか、促すだけの薄っぺらな感情から、加速する因果から、銀河規模に膨らみ、宇宙の枠組みから放たれ、悪阻を繰り返し、応答すらも拒否し、境涯に攻め入る制限や、私怨や思念を取り除き、浪費するだけの真実に交換される意味合いから、期待感を孕み、気概を含み、自らの風味を確かめ、たしなめる時折に驕ることなく、攻撃的にあるいは、劇的に生み出す悲劇から、喜劇までの距離すら持たず、激動を歩き、苛む言葉をぬぐい去るような猿のままであり、あるいは、暴かれる時折に横暴さを下すだけに、出し抜ける意味合いから、今に至る原理から飛び跳ね、なぞる月日に蓄積される苦悩すらも取り除き、移動し続ける意思に補完すべき愛すら用いることなく、愛する事とは、ここかしこで返事を打つだけに至るような暮れに潜む戦地から、緩衝していく現在に浸るセンチメンタルな思いから、リベラルな思想から、アナーキーな思考に浸るだけの紅蓮から、連動していく日の光の終焉から、周辺は、詩的な思いを積み上げ、掲げるだけの心象をコード化し、安易な情緒で、制限を用い、物事を占領するだけの倒錯から、踏破すべき現在の姿勢を正すべく、あらゆる原理に反し、批判的に乗り越える先に現れる超肯定的な理論を生み出すまでに至るまでの軌跡だけが、己の権勢を破棄し、敢然と執り行う意味から、今に浸るだけの恒久的な故郷たる過去から疎外され、咎めるだけに至る対価から、対比されるだけの恋へと波食していく今が波にのまれ、一切の悲劇を疑似的に見せつける辺りから、愛した記憶だけが、ただ優しく御身を包み、追憶に馳せるだけの思い出の加工物として、独善的に見出す現在の懸隔に悲観するだけの輩が、排除を繰り返し、廃絶されるほどに、魯鈍な輩が支配するだけの経路から、迎合されるだけの現在に契約を済ませるほどに、補填される意味に悔悟を用い、改善される続ける悪から、利用されるだけに現れる今へと対比していく途端に吐瀉を繰り返し、やせ細る心身は、森厳に従うだけに起源を失い、今に浸るだけの悪意から、利用されるだけの軽々しい思惟から、軽々しい身体から、虐げられるだけの心身は、指針を失い、ただマゾヒズムを抱え、加工される義務に虐められる様相を惨めだとは思わず、よろこびだと感じ、勘違いした意識は、ただ従う快楽から、傀儡と化し、ただ命令されるよろこびに敷衍していく思いが、思い事態を飲み込み、自らの意思を失い、ただ流され、緊縛されるよろこびに震えている。恋に浸るだけの偏りから生み出される意味合いとは、均等もとれずに、ただ連想し、連動する意識に支配され、従える意識は、彼彼女に従い、互いの中で倒錯と等差を生み出し、錯雑な意識をこなごなにし、その破片すらも無くなるほどに愛するという混淆から、渾然一体となるべく、何もかもを無に帰し、あらゆる原理を倒錯させ、自らの愛する意思は、その場にあるものの一切を無視し、自らの愛する意思だけで、物事を行き来する。