昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

抵抗力


 神が人を作り上げたのではなく、人が神をでっち上げ、あらゆる意味を疎外させるだけの意味へと偏執した途端に、信じることとは終焉にむかい、退廃的なものへと変貌をとげた。措置された今に配されるだけの意味に結合されるだけの短絡的な言葉が強欲に迫るだけの資本的なジレンマから、独裁的な緩慢さが、今に苦しみを吐き出し、破壊的な苦悩をまき散らすだけの機械的な論理から、論証される限りに、この命は、陰ることだけに転化していき、確実性を失い、ただ、記号の中をさまよい、自らを愚鈍なものに成長させ、物質的な猶予から、誇大妄想を吐き散らすだけの科学的な伴侶や、疎外感をかかえるだけのデカダンスの化け物が生み出す価値から、画期的なものすら終わらすだけに始められることごとくががんじがらめになり、担うべき意味も、着せられたものだけをじょうずに着飾り、汚穢を生み出し、終わるだけに始められたことが反復し、今に苦悩を生み出すのだ、とペシミストの嗚咽がなびきながら、感覚を損なうためだけにためらいを生み出す体系から、携帯する意味が不悉さをかかえ、差異を生み出し、互いを傷つけるだけの動機を率いる王国では、裸の者しか居らず、舌足らずの者が騙る原理から、理想は、理性を失い、利子ばかりを支払うような言動から、乖離すべく、すべての理由とは、いっさいに鈍感さを孕ませ、何かを騙すためだけに蓄積されたノイズをかき鳴らしながら、ディストーションにゆらぐ空間的な破裂を繰り返すだけのナーバスな宇宙は、誰かの悲しみのために、自らの命をこすりながら、交互する命は、動機を求めるばかりで、意味を求めるだけの愛に転換していく苦悩は、空虚さをかかえ、自らのニヒリズムに飲み込まれ、意識は混濁し、混淆すべき瞬間や、主体性を求めるために演じることに明け暮れることで交換される意味から、今は幼稚なたくらみを繰り返し、自らを錯乱させ、過去を削除できずに、ただ、過去からうながされるものだけが、今を形成し、あたかも意味を生み出しているかのように示すようなものが延々と反復したおかげで、誰もが苦しみことに重点を置くような枢要さを持ち出すことに否定できずに、ここでなしとげたものも、過去から借りてきたものだけをあたかも重用なように扱うほどに、保持する意味から距離は生まれ、そこで阻まれるものが貶しながら、倦怠感をかかえ、重たい朝をかかえながら、暗澹とした路上で、何かを叫ぶほどに、そこでの空虚さは増していくのだ、と惰性に導かれるような信仰を元手に、自らを苦しませるための元金をかき集め、飽きたらずに、何かを求めるだけの競争は、強制的に何かと同化し、統合を求め、正常さを用いることへの異常さに気付かずに、自らこそが正義だ、と高らかに謳う者ほど、残酷な者は居らず、そこで処理されるだけのペシミストどもは、自らの過ちに気付かずに、自らを苦しめる自らを乗り越えられずに、そこでおちいるだけの闇を形成し、何かに責任転嫁することで、苦しみから逃げ惑うよりも、苦しみに投下し続ける先に現れる虚空との対峙を終え、そこでの苦しみなどは、継続されずに、ただ、迫る苦しみから逃げることで現れる苦しみを延々と偽装し続けるためだけに、苦しむことを演じることで、次の苦しみから解放されるような感覚におちいるほどに、苦しみに応じ、自らの苦しみに屈従することだけが、ここでの正義を保つ秘訣なのだ、と惰性に導かれる痛みは、今にかかえる痛みよりも、次に迫る痛みに自らを転化させることだけが、今の不安から逃げるための仕方の無い転化である、と次々に苦しみをかかえるほどに、保持し続ける苦しみの重さに耐えかねずに、自らに屈し、復讐を強請るだけの暗鬱とした症状は、表情すらも凍らせ、カタトニーにいたり、浸る今から観念をねじ曲げるような反発を生まぬ限りは、そこで凍結し、凝固し、身動きもとられずに、織り込まれ続ける苦しみに襞でもがき続けるほどに、次に迫る襞につつまれ、苦しみから逃れられなくなるよりも、そこから生まれ出るためだけに反抗し続ける先に現れるどうでもよいような間隔に迫る還元されるだけの虚構を打ち倒すような徒労を続け、退廃的な呪詛をうながすだけの感情的な汚穢にもとづく迎合的な言葉のまやかしを消し去るために、対面する自己との訣別を告げ、そこで捨て続ける先に置かれる現状などは、すぐさま消え去り、そこでの苦しみなどは、瞬時に幻影に変わり、そこで関わるものすべては、誰も恨まずに、そこで用いられる懶惰な者に排除されるだけの自己に苦しみを運ぶのは、自分であり、そこで用いられる言葉に騙されずに、そこで邪魔されてもなお、自らを立て直すためだけに、現れるすべてに反発し続け、そこでの反抗だけが、先々に抵抗を生み出し、波及され続ける苦しみを押し流すような影響を生み出すのは、自らだけであるし、そこでの苦しみを繰り返すほどに、強固になる不安は、そこでの苦しみだけを強調し、自らを苦しめるためだけに繰り返し苦しむことを強要し、そこで有する価値などで、いっさいを加工し、そこで圧迫され抑圧された自己を解放させるために求められる自由だけが、本質的な自由であり、それだけが理由を超えて、希望へと変化するような昇華を生み出し、死をも乗り越え、そこで強固な意志を用いることだけが権力と呼び、用いられる権力などは、そこでの力に抵抗を加えず、与えられた影響により左右し、作用を施すだけの権力などは、力とは呼べず、そこに現れる影響に反することだけが、力であり、あらゆる反発こそが、そこでの苦しみを乗り越え、自らに英気を与え、次々に現れる苦しみを乗り越えるための準備をし、あらゆる苦しみを乗り越える強度を保つことだけが、力と呼び、何事にも左右されずに、自分であることの強度だけが、自らに力を授ける。