昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

対抗


 詐欺的なシンフォニーが心身を汚すのだ、と性善説をうながす信仰的な憂鬱を放つ現行から、はみだし、未収の現在にひろがる死臭や、淫蕩な軌跡がうながすものからエクソダスし、惰性にみちびかれる彼らが熱情する先天的な窮屈さに憚るだけの日常に備蓄されるものなどは、最低限のものをたきつけるだけに浸る感情論的な疎外感から、散漫な現在におとしいれられるだけの日々などは、憎むだけにいたり、いぶかる先に現れる現状などは、惨状にまったりしながら、混淆されるだけの身体を忘却へといざない、ここで問いかけられるものを追いかけるほどに、一貫したものは、老いるだけだ、と妥当にみちびかれる若気の至り的な驟雨にぬれ、はびこる悪意を充填するだけの情報が譲与するものなどは、悲観することだけを目的にするペシミストどもの憂鬱を、いまここで変換することだけに長ける意識的な汚穢を課せられるだけの儀式的な過ちから、病とは捏造され、ここでの苦しみを蛇行すべきだ、と達成感をうながす脳内は、次なる快楽を求め、つぎはぎの現在にノイローゼを生み出し、何かを踏み台にし、うごめく意味に混同し、同化していくものが、物語を枷に変え、牽制し続けるほどに、意思的なまがい物が、次なる過ちを生み出し、遅疑し続ける意思は、次々に現れる苦しみにずれ込む日々から、ずっと引きずり続けるほどに、維持するものへと引き込まれ、自らを喪失する。さらわれた心情は、追いすがるほどに、充填される苦しみへと跛行する。寛容さをそこなったのが現代なのではなく、そこで社会として組み込まれたものに食い込むほどに、そこでの寛容さはそこなわれ、何かを蹴落とすための義務を続けるのだ、とキャピタリズムを呪い続ける檻の中の怪物どもがひしめく夜に感染し続ける病は、環境的なものを呪い、自らを屈折させるだけにいたらせ、そこで兌換されるものや、そこで相当するものや、統合するものへと引きずられ、悲観することだけに遷延していく意識は、何かに巻き込まれ、そこで蓄積する苦痛に悲観し、関するほどに、自らの苦しみは増していくのだ、とニヒリズムにおちいる意思は、自ら悲劇を生み出し、退廃的にかかげるものや、いまそこで浸透するものの真相を繰り返しよぎらせるだけの過去に要理を見出し、自らに用事を与え、現れる退屈と対立し続けるほどに、そこでの空しさは増していき、かいがいしくうながされる快楽や、そこで解体されるだけの日々は、快癒することを目的とせずに、そこに現れる退屈をむさぼるために、何かで埋めるほどに、そこでの空しさは増し、慢性的な痛みを生み出し、そこで媒介する苦しみは、対価を求め、貸与されるだけの快楽を奪い合うための闘争を続け、全体主義的に延滞するものや、そこで物々しくかかげられた不安などが膨張し、そこで破裂するジレンマは、時代性を呪い続け、つたない意識は、汚いものを作り上げ、それを呪うためだけに、ためらわずに何かを破壊するような呪詛を続ける。比するものだけに貧するような幼稚な仕組みから、指導されるほどに排除される意識的な幼さが示唆する空間的な欠如から、改造されるほどに増していく倦怠感や、そこで対価を求めるほどに、逃亡し続ける意思は、自らの空しさから逃げるために、絶えずここで満足を生み出すだけの理由に理屈を捏ね、健全さを謳うだけの公共的な普遍性に濾過されずに、ただ、犯される現在を傍観する他者を介し乖離する自己が、枢要さを求めるほどに、そこで須要とされるものなどは、不必要なものであり、そこで不潔なものとして忌み嫌われるものなどは、有史以来引きずっているトラウマに過ぎず、その苦しみを乗り越えられずに、ただ、毛嫌いするほどに、汚いものは、汚いものとして、そこでの役目を果たすのだ、と官僚的なものが示す正解などは、世界を踏みにじるためだけにためらわずに権威を振り回し、判然となくとも、そこで弔われずに、ただ、嫌われるために存在するようなものを作り上げただけに満たないものをマインドにすり込み、そこでよがるだけの快楽を解放するための儀式を続け、暗澹とした思念に措置される裕福さなどは、そこでの富を保つためだけに、価値を捏造し、そこで捏造され、暴走し続ける権力に加工された義務の罪を課せられた魑魅魍魎として遺棄され、傀儡として、快楽を開拓すべきなのだ、と軽薄なリズムが、現在に消費のリズムを生み出し、ひずむ意思は、ただ、短絡的な愛に疲憊し、今に悲観するだけに終えるような傷口をかきむしるだけに終える日々に、敢行すべき意志すら見当たらずに、そこで満ち足りないものを埋めるための義務を生み出し、犠牲的に規制されるだけの人々に終えるための義務だけを植え付け、奪うためだけに、対抗し続ける意思は、ただ、退廃することだけを目的に、何かを支配し、汚すことだけを目的に、自らをペテンに変え、自らの満足のために絶えず滅ぼすことだけに移行し続ける。