昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

回顧


 状況により、物事との距離は生まれ、そこでまさぐる諦観から、観念論が模倣し続ける瞬間的に持続するだけの存在が今を苦しめるのだ、と妥当で卑近なものを催し続ける端的な競争に依存するだけの正解者どもの楽園から逃れた彼女たちが示す時間的なものと、現実的なものとの割合が、互いの愛を引き裂くまでの歴史と、解明するほどに、愛とは足枷に変わり、世界性に阻まれ、自らを醜いものに変えるのだ、と輪唱するような独裁的で神話的な様相から、応用されるものなどが途端に書き換える運命や、そこかしこでうねる運命に動機も攪乱され、定めるべき意味も、そこで位置付けるほどに、ここで不自由さの形跡を渡りながら、猥雑な時折に尊さを育むべきなのに、あなたとの違いを見つけるほどに、私は私では無くなるの、と悲しむ彼女たちが混同していく意識との自らの意思との懸隔を感じながら、とめどなくあふれるものとは、どれも似通ったものであるし、ビートがリフレインし、因果応報を超えるリズムが昇華させるような瞬間に揺動され、踊り続ける意識は、儀式的なトライバルな音に摩擦され、自らを悲劇的な生贄に変えるかのように、音と同化するようなダンスフロアーで熱情を重ねる補填されるべき瞬間的な爆砕から、離れ合う意識はビートの彼方で艶麗なものにひずみ、リズミカルであることよりも、そこで音と一致するものとの愛を重ねることに寂寞が消え、生きてる空しさよりも、そこで支配されるための音であろうとも、自らのリズムで消費することに専念することで、何かを体感するよりも、そこでのすこしの擦れに苦しむよりも、駆動し続けることだけが、ここでの言葉を超えて、ただ同じ感覚を消費するための資本主義的なダンスから、退廃的な呪詛を続けるペシミストどもが徘徊するデモクラシーなどは、人類と呼ばれ、人間と名付けられた途端に破壊された過去の遺物に過ぎず、そこでの償いを求めるために耐えず罪の形を変え、契約をむすび、自由を求めるほどに不自由になるという悲劇に気付かずに、ただ短絡的に模倣するタナトスや、大義を用いずに、ただ暴力性だけを加速し、そこで詠じられるものに死に至らされるまでの距離から、そこで生まれる虚偽に阻まれるまでの現れる現実性などが用いる制度が交合し、新たな子で束縛する生活から、緩衝できずに衝突を続け、膨張し続けるシステマチックな宇宙の原理から放たれ、法理に加工されるだけの瞬間的な理由に抵抗し続けることで、自由であることにすら阻まれぬ先に生まれる事実すらも掻き乱し、乖離していく先々で戒律を生み出すだけの空疎な関係性に関連するほどに、連想するものとは、そこで憎しみを育み、破壊的なものを育て、惰性にみちびかれる達成感から、孤立していく意識的な調和をめざすなど、とのんきに貪る禁忌から、課せられた罪が意識する罪により、自らを孤立させるだけに至らせるような受動的な苦しみを加工するだけの狡猾な正しさに支配されることのが幸せだ、と惰性にむすばれる瞬間的な迎合から逃れられずに、苦しむことだけの愚かさに気付かずに、記号化し、区域を生み出され、生きたいと願うほどに、願いとはほど遠くなり、担う意味も憎むだけに至り、怠惰に体感するがんじがらめの現在に点在していく意識的な乖離から、離散していくだけに至るような核家族の憂鬱から、悠揚に沈む次元からほとばしるエナジーや、確かさを足枷に変え、世界を狭めるだけに至らせるような史観の心因の屍肉を貪り、緩慢に支配されるだけの群れから離れ、群像に吐露するものなどは、軍国主義に変わるだけだ、と偏った思想を用いるよりも、空虚さを武器に、その空白に埋めるためのエゴで掻き乱される君が棄民に変わるような戦場で繰り返される殺戮の舞台から氾濫していく意識的な生業に馴れ合いながら、内向的なしじまにとろける会話が、愛すらも放棄し、ここで透徹すべきなのに、到達するころには、次々に生まれる苦しみに阻まれ、次に来る恋を待てずに、すぐさま次に移るほどにつぎはぎになる身体を羽交い締めにし、破壊するための言語により、分け隔てられた私たちに虚空や、国家的な偽装を行った太古から退化を続けるヒストリーや、約束破りの大人たちの午後の会話で捨てられた子供たちに与えられた国籍が絶え間なくさまよい、何かを分け隔てることだけが、今を正しく導くのです、というあいまいな示唆から、支配的な何かは、何かを破壊するために自らを支配者として位置付け、そこに居続けるほどに、何かを言い続け、抑圧し、暴力性に頼りながら、制度に付着した恋の予感や、要する形に均等なものなどないのに、そこで形付けられた途端に価値が生まれ、奪い合うだけに至った私たちの未熟な戦争の音が聞こえる。