昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

彷徨


 茫漠たる形容に潜む暗澹と奉られたものが、都市の生命を奪うための母を掲揚するための語源に隠された悲哀や、メロウにとろける瞬間から自立する永遠性に放たれる一抹の不安の恍惚から、管轄で処理されるための感情を攪拌するだけの金銭的な欲動から、理性を凍結させるためのコードをうながす奴隷から、感傷的な監視者が熱望する未来との衝突や、空疎な悲劇に満ちた世界だ、と嘆くよりも、喜劇であるのが、この世界であり、名付けられた者が演じるほどに空しく調理される現在などは存在せず、ただ消え去るために絶え間ない儀式へと超脱していくのが世界と名付けられたものの役目であり、楽しく散り行くのが、さだめである。運命とはでたらめなもので、データ化されても空しく今に鎮座し、挫折感を煽るために今に織り込まれるものがのうのうと現実を書き換えていくような商法から、消耗品として扱われるために名付けられたにんげんという役割などは対価を生み出すための偶像のツールとして働きを加えるだけでは、すぐさま今に廃棄処分にされるだけだし、出し抜けた後にも迫る何かを収奪するための行動だけが、正義としての役割などを謳うから、何かの奴隷でしかないことで、何かに祈ることしかできないで、体たらくなままにフラクタルなものをフランチャイズし、能動的であるがために何かを否定し、排除することでしか、満足を得られぬような依存症的な者どものノイローゼの声が反響し、反社会的に彩られるものや、縁取られたものからはみだしたら最後などという幻想的なものをかかげることにより、何かを崇めることでしか、自らを正当化できぬようなあいまいな規範から飢渇し、快活さを損ない、寛容であることを忘れ、何かを批判することが、あたかも正当なもののように勘違いを生み出すための扇動から、憧憬するだけの者どもの理屈が卑屈な力学に変わるのだ、とインテリがメディアで答えてる合間にすら背反し、何かから逸脱することこそが、ここで姑息なものを生み出すよりも、前衛的に捉える先に現れるものを不純に愛しても尚、逸することでしか、この命とは情報に娶られることで、満足を得て悦に浸るような悲観的ににんげんであることが正しいことなのだ、とうながすようなものから離れ、自らを正しく示唆するよりも、ここで完成されるものなどは、未熟なものであるし、あたかも正しいもののように摂理のように切実に崇められるものが設置されることで、ここでの正しさが規範になり、自らを未熟なままに正当化されるものが正義として崇められる間にも悪とは充満するのであるし、正義が生まれることにより、悪とは加速し、悪が加速することにより、正義は加速するのであるし、お互いに逃げ惑うだけのゲームから、原則を超えて、原理的な円環から放たれ、蔓延る悪意を重複する服従心や、維持するほどに従事するものが必要になり、何かを押さえ込むほどに反発する者は現れるのが宇宙的な調和であるし、摂理であるのだ、と切実さも損ないながら、即席の自由を謳う悲劇のヒロインや、引接されるがままに緩慢にむすばれるものが正しいもののようにあてがわれるほどに、あいまいな信仰心を生み出し、阻まれる思いは、果たすべき理由を求める限りに陰る真実にかかげられる自由により、不自由になるという罠に嵌まり、自らを不自由にし続けることで、すこしの自由が現れた途端に自由を体感するような抑圧されるほどに増していく小さな穴に差し込まれる強大な快楽の虜になり、依存していくだけに至る。くだけるだけの過去から、空疎な自分までの距離に纏う理由などは、不必要なものであるし、そこでは、過ぎ去るための永遠性が運命などを謳わずに、ただ進むままに緩慢なものを処理し、勝利を謳うよりも、動機を普遍化させるよりも、何かを不潔なものとして排除し、疎外した後に処理するための施設の建設を急ぐよりも、強行されるものが示すものに閉め出されたものの運命を呪うような短絡的な排除法から、灌漑へと至るべく、汚れた土地を捏造し、いっさいのものを排除するための規約や契約を結び、法により疎外されるための者を犠牲にし、法で疎外するための法を捏造し、そこで縫合されるものが規律として現れ、そこでの抑圧を強固なものにしながら、慈しみを忘れ、いつ死んでもおかしくない、とうなだれるだけのペシミズムにおちいるよりも、大いに笑うべく、私たちは誰でもなく、誰かといっしょでもなく、何かを同感することもなければ、何かと同化する必要もなく、自由である必要すらもないのであり、何かを体感することに対価を生み出す必要性すらなく、制度にがんじがらめになる必要すらもなく、姿形もないようなものであり、そこでの存在などは、ぞんざいに損じていくようなものであろう、とここで永続する限りに大いに笑うためだけに存在しているかのように存在していることをくつがえしていく。