昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

名ばかりの愛


 二人の愛とは、世界と共有すべきではなく、部屋に閉じこもり、二人の愛を深めるべきであり、どこにも出かけない限り、二人の愛を引き裂くものはない。ただ、引き裂くものがあるとすれば、いっしょに居ても、抱えて、感じてまう孤独である。孤独だけは、分かち合うこともできずに、互いが抱える孤独は、簡単に何かを壊してしまい、自らをも、破壊し尽くす。長い間に囚われた豊かな交錯から、互いに浸透するものが、思い、考え、煩うことすら忘れ、孤独な長い夜をあたため、もう冷めないように、とあたため合う限りに、愛は永続し、時間に囚われず、老いすらも超越し、互いの間で和解し、熱く火照る身体を癒すような風が吹き付け、ただ広い空間に置き去りにされ、認識することすら不潔に思うような純粋さが、空間的なものを取り払い、愛に入り混じるものが、全体性に背反し、用いられた背徳などは、その場での罪を解消するための、独善的なまがいものに変わり、瞬間は永遠にほどけ、循環するものが痛みや不安を取り除き、永続的な安心感を引き出すような愛が、季節を封緘し、いつかの面影に引き取られ、対象として捉えるだけの存在から、自らの確かさを生み出すための大切な存在へと変化し、体制的なものや、現実的なものに囚われぬ限りに、愛とは、その場での永遠性を深める。関するものが阻害するだけにいたる世界に閉じ込めようと強請るだけの国家すら煩わしく、もたらされた必然性などは、制度の中で膠着し、個人的な憂鬱を生み出すだけにいたり、確かな愛すらも、足枷に変えるような世界性には用はなく、ここで果たすべき義務を謳うほどに、愛とは破綻する。瞬間的な愛は、今に順応しようとも思わずに、互いの愛を貫く。そこにあるものも、夢となんら変わりなく、ただ有り、認識することにより、その場に有るように思えるだけで、現実に吸い込まれ、何もなかったかのように、次の場面に展開していく。置いていかれるだけの存在の危うさをとどめるべく、抱き合う二人は、永劫の調べを進め、互いの身体に書き連ねるパスワードを書き換える現実との対立を続ける。恋と愛の違いを雄弁に語ることにより、愛によりかかる思いを焦熱させ、愛するということに距離を置き、立体的な物事との差異を測るような理論的な洪水にのまれ、自ら愛することに疲れるという作用をもたらすような愛に蓄積していく苦悩が、浪費し続ける精神にとどめを刺すために絶えず自尊心をうながすような逃避から、還元されるための愛がもたらす空しさから飛躍すべく、愛するということから離れる彼や彼女らの鈍痛が泣き叫び、氾濫する意思に反し、かかずらうだけにいたらせるような功名心を求めるだけのネットワークから放たれ、自由であることとは、自由を有するにあらず、ただ、現れるものを純粋に知ることから、自由という名ばかりのものから放たれ、自由であることにより、求められるだけの自由から離れ、自らを愛することを始める。愛するということを知らぬ限りに、誰かを知ることはできずに、ここで陳腐に交わされる愛などは、何かを買い取るための価値を互いに与え、とがめられるだけにいたり、いたわることを忘れ、浪費し続ける思いは、システマチックになり、自らの意志を損ない、そこで純然たるものを用いずに、いびつな愛をかかえ、重なる思いは、重篤な病にかかり、悩まむほどに苦痛は増していき、逸脱できずに、愚かな自己を虐げることにより、快楽は増し、快楽の傀儡として、自らを屠るための自己愛を形成し、自らを苦しめることにより、自らを認識し、存在を確かめるような行為が引きずるような思いとは、今に悲観し、貧寒なものをかかえ、混濁する意識に蘇生され続ける苦しみをよみがえらせるための呪詛を過去の中で続け、つたない愛は、疎外感をかかえ、ルサンチマンに陥る。恨み辛みを吐き出すだけの苦悩は、誰かに責任転嫁し、自らの苦しみとは、外から与えられる影響にだけ左右されるなどとうながす限りに、その苦しみとは乗り越えられずに、そこで苦しむ限りに猛る思いは、自らを苦しめるように、他者をも苦しめ、自らの苦しみの領土を広げ、世界全体にその恨みをもたらせ、すべてを破壊するためのコードを生み出す。その苦しみをくみ取るのは、自らだけであり、そこで改ざんされるだけの今に機能していく苦しみに順応するほどに苦痛に従順とし、本質的な愛は自己愛によりねじ曲がり、生まれたままに用いた純粋な愛とは、ゆがんだ自己愛により病を加速させ、自らだけが苦しんでいるのは、誤りである、と外に向けられる敵意は、やがて大きな敵愾心に変わり、テロリズムを誘発させ、自らを破壊するための儀式のための生贄を探し、その敵意を他者に向け、その攻撃性という愛は、ただ純粋なままに暴力を誘発する。あらゆる愛とは暴力的なものであり、独占するため、所有のために偏りを見せる。愛とは、互いをとがめもするし、破壊にいたる場合もあり、散漫な愛がプロセスを形成するほどに、愚鈍な争いは強化され、強固な意志を用いる愛ほど、自らをゆがませていることにも気付かずに、自らを愛し過ぎるが故に、傷つけ続けることにすら気付かずに本質的な愛にいたらずに、本性を隠し、今を錯綜し、豊かな愛にいたらずに、何かを破壊することに原理を見出す。その原理をひるがえすために、私たちは生きてる限りに希望は失われず、用いられる理由に利用されずに、理性を保ち、心ない何かに苦しむこともないのであり、理想などを用い、何かを破壊にいたらせるような者などの支配から抜け出すための希望を持ち続ける限りに、愛は廃れず、自らをも傷つけないのである。

名ばかりの愛


 二人の愛とは、世界と共有すべきではなく、部屋に閉じこもり、二人の愛を深めるべきであり、どこにも出かけない限り、二人の愛を引き裂くものはない。ただ、引き裂くものがあるとすれば、いっしょに居ても、抱えて、感じてまう孤独である。孤独だけは、分かち合うこともできずに、互いが抱える孤独は、簡単に何かを壊してしまい、自らをも、破壊し尽くす。長い間に囚われた豊かな交錯から、互いに浸透するものが、思い、考え、煩うことすら忘れ、孤独な長い夜をあたため、もう冷めないように、とあたため合う限りに、愛は永続し、時間に囚われず、老いすらも超越し、互いの間で和解し、熱く火照る身体を癒すような風が吹き付け、ただ広い空間に置き去りにされ、認識することすら不潔に思うような純粋さが、空間的なものを取り払い、愛に入り混じるものが、全体性に背反し、用いられた背徳などは、その場での罪を解消するための、独善的なまがいものに変わり、瞬間は永遠にほどけ、循環するものが痛みや不安を取り除き、永続的な安心感を引き出すような愛が、季節を封緘し、いつかの面影に引き取られ、対象として捉えるだけの存在から、自らの確かさを生み出すための大切な存在へと変化し、体制的なものや、現実的なものに囚われぬ限りに、愛とは、その場での永遠性を深める。関するものが阻害するだけにいたる世界に閉じ込めようと強請るだけの国家すら煩わしく、もたらされた必然性などは、制度の中で膠着し、個人的な憂鬱を生み出すだけにいたり、確かな愛すらも、足枷に変えるような世界性には用はなく、ここで果たすべき義務を謳うほどに、愛とは破綻する。瞬間的な愛は、今に順応しようとも思わずに、互いの愛を貫く。そこにあるものも、夢となんら変わりなく、ただ有り、認識することにより、その場に有るように思えるだけで、現実に吸い込まれ、何もなかったかのように、次の場面に展開していく。置いていかれるだけの存在の危うさをとどめるべく、抱き合う二人は、永劫の調べを進め、互いの身体に書き連ねるパスワードを書き換える現実との対立を続ける。恋と愛の違いを雄弁に語ることにより、愛によりかかる思いを焦熱させ、愛するということに距離を置き、立体的な物事との差異を測るような理論的な洪水にのまれ、自ら愛することに疲れるという作用をもたらすような愛に蓄積していく苦悩が、浪費し続ける精神にとどめを刺すために絶えず自尊心をうながすような逃避から、還元されるための愛がもたらす空しさから飛躍すべく、愛するということから離れる彼や彼女らの鈍痛が泣き叫び、氾濫する意思に反し、かかずらうだけにいたらせるような功名心を求めるだけのネットワークから放たれ、自由であることとは、自由を有するにあらず、ただ、現れるものを純粋に知ることから、自由という名ばかりのものから放たれ、自由であることにより、求められるだけの自由から離れ、自らを愛することを始める。愛するということを知らぬ限りに、誰かを知ることはできずに、ここで陳腐に交わされる愛などは、何かを買い取るための価値を互いに与え、とがめられるだけにいたり、いたわることを忘れ、浪費し続ける思いは、システマチックになり、自らの意志を損ない、そこで純然たるものを用いずに、いびつな愛をかかえ、重なる思いは、重篤な病にかかり、悩まむほどに苦痛は増していき、逸脱できずに、愚かな自己を虐げることにより、快楽は増し、快楽の傀儡として、自らを屠るための自己愛を形成し、自らを苦しめることにより、自らを認識し、存在を確かめるような行為が引きずるような思いとは、今に悲観し、貧寒なものをかかえ、混濁する意識に蘇生され続ける苦しみをよみがえらせるための呪詛を過去の中で続け、つたない愛は、疎外感をかかえ、ルサンチマンに陥る。恨み辛みを吐き出すだけの苦悩は、誰かに責任転嫁し、自らの苦しみとは、外から与えられる影響にだけ左右されるなどとうながす限りに、その苦しみとは乗り越えられずに、そこで苦しむ限りに猛る思いは、自らを苦しめるように、他者をも苦しめ、自らの苦しみの領土を広げ、世界全体にその恨みをもたらせ、すべてを破壊するためのコードを生み出す。その苦しみをくみ取るのは、自らだけであり、そこで改ざんされるだけの今に機能していく苦しみに順応するほどに苦痛に従順とし、本質的な愛は自己愛によりねじ曲がり、生まれたままに用いた純粋な愛とは、ゆがんだ自己愛により病を加速させ、自らだけが苦しんでいるのは、誤りである、と外に向けられる敵意は、やがて大きな敵愾心に変わり、テロリズムを誘発させ、自らを破壊するための儀式のための生贄を探し、その敵意を他者に向け、その攻撃性という愛は、ただ純粋なままに暴力を誘発する。あらゆる愛とは暴力的なものであり、独占するため、所有のために偏りを見せる。愛とは、互いをとがめもするし、破壊にいたる場合もあり、散漫な愛がプロセスを形成するほどに、愚鈍な争いは強化され、強固な意志を用いる愛ほど、自らをゆがませていることにも気付かずに、自らを愛し過ぎるが故に、傷つけ続けることにすら気付かずに本質的な愛にいたらずに、本性を隠し、今を錯綜し、豊かな愛にいたらずに、何かを破壊することに原理を見出す。その原理をひるがえすために、私たちは生きてる限りに希望は失われず、用いられる理由に利用されずに、理性を保ち、心ない何かに苦しむこともないのであり、理想などを用い、何かを破壊にいたらせるような者などの支配から抜け出すための希望を持ち続ける限りに、愛は廃れず、自らをも傷つけないのである。

夜の裏切り

サイレンがうなる夜、
始発を待つ悲しみを
描くクレヨンが折れて、
よれた風が、
バイタルを破壊し、
今にも瓦解する風景を
ドライブし、
退廃的な夜のモジュールが
機械的な気配を生み出し、
たゆんだ風景に固執するだけの
ルサンチマンを迎合する輩ばかりが、
成功を謳いやがる。

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

背くほどに加速するひらめきは、そこにとどまらずに、瞬時に今を駆け巡り、未来よりも先へと意志を伸ばし、そこでとどまらぬな、と延々と背中を押し、そこに現れるものを突きぬけ、今に浸るよりも、瞬時に現れる永遠性に引き伸ばされるだけの過去などを捨て、掃きだめで描く真実がよりよいものを用いるほどに、何かを破壊するための力学に変わるだけの夜を越える、まる

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

逆上し続ける意思は、短絡的な破壊へと移行し、思いを膠着させ、何かに苦しむべきだ、といざなうような短絡的な衝動に呼応し、順応するために苦しむべきだ、とうながすような退廃的なモジュールに組み込まれるためのあいまいな言葉で、自らを孤立させる、まる

官能的な昇華


 誰にも届かぬ祈りに迫る夜が、真理を打ち砕き、論理に疎外され、ふるえる今を体感し、かかずらうだけにひろがる闇が心地よいように感じるようでは、この夜から逸脱できずに、用いられる位置は、今に折檻を加え、あらゆる阻害を加え、相対的なものへと加工され、名付けられた途端に、苦しみとは、陰惨なものをモチーフに貧相な主体をかかえこんでは、混濁する現在にひれ伏すだけにいたるようなあいまいさを含み、そこに用いられる差額や、与えられた差異などが陰鬱なものを用い、衝動性をそこなわれ、そこかしこで点滅する孤独は、今を苛むことだけに刺激を加え、言葉数も少なく、幼稚に励む愛から、混沌としていく子宮の中での論争から、カラカラに乾くほどに、ほどける生命は、創造的な飛躍をめざすべく、ベクトルは、意識を旋回し続け、ここでとどまるな、と泣き叫んでは、そこに現れる怒号が、目を覚ませ、と神的な支配から抜け出すべく、自己に帰還するような旅路へといたるような哲学的な夜にからまり合う性的なノイズや、森羅万象をむさぼるだけの人類のまやかしなどが卑劣なものを忍ばせ、ここで騙されることだけが、自らを生きやすいものに変えるのだ、とうながされるほどに反するのが私であるし、ここで語られる私などが吐き出す要理にひしめく詭弁めいたものが、寂寞の中での白昼夢を生み出し、白痴どもが徘徊する博打的な夜に手を打つことなどできるはずもなく、論理的な抵抗こそが、行動を越えるのであり、そこでの行動などは、何かにうながされる限りに限りあるものに変わり、或いは、陰りを生み出し、日だまりに出ることもできずに、深い闇に措置される受注されるだけの快楽に錯綜するほどに、この生命とは、あいまいなものをかかえこみ混乱し続ける意識は、魂胆を忘れ、ただ批判し、罵倒し、罵声を浴びせるだけに終えるのだ、という過ちを屠るだけの終わりをうながすだけの否定的なルサンチマンで終えずに、ここでの否定とは、何かを乗り越えるための正しさに迫害され、ここで追求するものに追従すればするほどに、物事との懸隔は生まれ、ここで奪われる思考停止におちいるだけでは、横溢するものに飲まれ、物質的な猶予から、現実的なよりどころに虜になるだけだし、出し抜くことばかりを考え、大切なものを拒否し、そこでの愛を荒んだものに変えるのだ的な宗教的な汚染から、同情を謳うばかりで、自らの保身に走るだけの悲観的で受動的な輩が打ち出す成果などが示す正解などは、世界性を用い、何かを支配するためのでたらめなものであるし、ここでの服従すればするほどに楽になるのだ、とうながすような世界から居なくなるようなよろこびを放浪し続け、哀感に浸るよりも、ここで悲観せずに、感知し続ける限りに、継続されるものだけが、本質的な愛を受け取ることを教わるのだ、という結論に浸るままでは、ニヒリストで終わるだけであるし、やがて渇望するのが、この欲望がへだてるだけの惰性さが織り成す生命的な法則なのだ、と宇宙的な狂乱者がうながすカタルシスのカラクリを説き明かすために、コマーシャリズムに占領される前に、その普遍的な毒素が脳内を汚し、気配を消してまで、君を抹消するための言葉を巧みに操るような私こそを拘束し、処刑台へと送りべきだ、などとうながすようなペシミズムをかかえた自己が混濁へといざなう前に、この夜をとろけさせるような愛を受け取るべきではあるが、私といえば素直さは、自らに帰するものであると思うし、やがて重なる愛とは、何かを腐敗させるものであるし、愛が用いる力の強大さに飲まれ、自らを裁くことでしか、正しさも見出せぬようになり、担うべき愛も、その愛の重みに耐えかねずに、体系的なものに飲まれ、そこで携帯するものだけが、自らを守るのだ、という機械的な結合から、結論とは束縛され、そこで捕縄され、独房へと入れられ、自らの罪の意識を永遠にかかえるのだ、と語る悲恋から、悲観的な洪水に飲まれ、感覚的な潤いを求めながら、詩的な能動性だけが、制度を飛び越え、疲憊しないで、今を渡りきるような高次へと運ぶのです、と自信ありげに語る健気な醜さにほれぼれしながら、何かに骨抜きになることもなく、答えとは、今を引きずり、答えを引き伸ばす限りに陰る本質は、何かを保つために何かを引きずり下ろし、何かを棚に上げ、何かをこき下ろすためだけに利用されるような領土を保つために、ここでの闘争は続けられ、同じような過ちの間に迫る過ちに背反するような者が現れても、その者が力を手に入れ、同じような過ちにいたるような連鎖的な渋滞から逃れるために息も絶え絶えになりながら、悶える夜は、真理よりも、神秘的な星のにおいや、殺伐とした脳内で受胎し続ける文字という子供が虚空をかき消すからこそ、人間的であるよりも、その人間的なものから逃げ、颯爽と駆け回りうそぶくトリックスターのように生きるために、互いに欠乏を謳うような輩が示す思想などにおちいることなく、自らの意志だけが、潤沢な資源を脳内で生み出し、それを文字に変える間に存在とは、存在から抜け出し、自らの無や有限や無限すらも超越し、ここで続く限りに永遠からも乖離し、続くほどに瞬間的に切り離されていく私は、どこに存在するわけでもなく、瞬時に今を飛び越え、未来を漁り、過去を葬りながら、高揚感と共に自由を弔い、多幸感へと自らをいざなうような昇華を続ける。