昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

官能的な昇華


 誰にも届かぬ祈りに迫る夜が、真理を打ち砕き、論理に疎外され、ふるえる今を体感し、かかずらうだけにひろがる闇が心地よいように感じるようでは、この夜から逸脱できずに、用いられる位置は、今に折檻を加え、あらゆる阻害を加え、相対的なものへと加工され、名付けられた途端に、苦しみとは、陰惨なものをモチーフに貧相な主体をかかえこんでは、混濁する現在にひれ伏すだけにいたるようなあいまいさを含み、そこに用いられる差額や、与えられた差異などが陰鬱なものを用い、衝動性をそこなわれ、そこかしこで点滅する孤独は、今を苛むことだけに刺激を加え、言葉数も少なく、幼稚に励む愛から、混沌としていく子宮の中での論争から、カラカラに乾くほどに、ほどける生命は、創造的な飛躍をめざすべく、ベクトルは、意識を旋回し続け、ここでとどまるな、と泣き叫んでは、そこに現れる怒号が、目を覚ませ、と神的な支配から抜け出すべく、自己に帰還するような旅路へといたるような哲学的な夜にからまり合う性的なノイズや、森羅万象をむさぼるだけの人類のまやかしなどが卑劣なものを忍ばせ、ここで騙されることだけが、自らを生きやすいものに変えるのだ、とうながされるほどに反するのが私であるし、ここで語られる私などが吐き出す要理にひしめく詭弁めいたものが、寂寞の中での白昼夢を生み出し、白痴どもが徘徊する博打的な夜に手を打つことなどできるはずもなく、論理的な抵抗こそが、行動を越えるのであり、そこでの行動などは、何かにうながされる限りに限りあるものに変わり、或いは、陰りを生み出し、日だまりに出ることもできずに、深い闇に措置される受注されるだけの快楽に錯綜するほどに、この生命とは、あいまいなものをかかえこみ混乱し続ける意識は、魂胆を忘れ、ただ批判し、罵倒し、罵声を浴びせるだけに終えるのだ、という過ちを屠るだけの終わりをうながすだけの否定的なルサンチマンで終えずに、ここでの否定とは、何かを乗り越えるための正しさに迫害され、ここで追求するものに追従すればするほどに、物事との懸隔は生まれ、ここで奪われる思考停止におちいるだけでは、横溢するものに飲まれ、物質的な猶予から、現実的なよりどころに虜になるだけだし、出し抜くことばかりを考え、大切なものを拒否し、そこでの愛を荒んだものに変えるのだ的な宗教的な汚染から、同情を謳うばかりで、自らの保身に走るだけの悲観的で受動的な輩が打ち出す成果などが示す正解などは、世界性を用い、何かを支配するためのでたらめなものであるし、ここでの服従すればするほどに楽になるのだ、とうながすような世界から居なくなるようなよろこびを放浪し続け、哀感に浸るよりも、ここで悲観せずに、感知し続ける限りに、継続されるものだけが、本質的な愛を受け取ることを教わるのだ、という結論に浸るままでは、ニヒリストで終わるだけであるし、やがて渇望するのが、この欲望がへだてるだけの惰性さが織り成す生命的な法則なのだ、と宇宙的な狂乱者がうながすカタルシスのカラクリを説き明かすために、コマーシャリズムに占領される前に、その普遍的な毒素が脳内を汚し、気配を消してまで、君を抹消するための言葉を巧みに操るような私こそを拘束し、処刑台へと送りべきだ、などとうながすようなペシミズムをかかえた自己が混濁へといざなう前に、この夜をとろけさせるような愛を受け取るべきではあるが、私といえば素直さは、自らに帰するものであると思うし、やがて重なる愛とは、何かを腐敗させるものであるし、愛が用いる力の強大さに飲まれ、自らを裁くことでしか、正しさも見出せぬようになり、担うべき愛も、その愛の重みに耐えかねずに、体系的なものに飲まれ、そこで携帯するものだけが、自らを守るのだ、という機械的な結合から、結論とは束縛され、そこで捕縄され、独房へと入れられ、自らの罪の意識を永遠にかかえるのだ、と語る悲恋から、悲観的な洪水に飲まれ、感覚的な潤いを求めながら、詩的な能動性だけが、制度を飛び越え、疲憊しないで、今を渡りきるような高次へと運ぶのです、と自信ありげに語る健気な醜さにほれぼれしながら、何かに骨抜きになることもなく、答えとは、今を引きずり、答えを引き伸ばす限りに陰る本質は、何かを保つために何かを引きずり下ろし、何かを棚に上げ、何かをこき下ろすためだけに利用されるような領土を保つために、ここでの闘争は続けられ、同じような過ちの間に迫る過ちに背反するような者が現れても、その者が力を手に入れ、同じような過ちにいたるような連鎖的な渋滞から逃れるために息も絶え絶えになりながら、悶える夜は、真理よりも、神秘的な星のにおいや、殺伐とした脳内で受胎し続ける文字という子供が虚空をかき消すからこそ、人間的であるよりも、その人間的なものから逃げ、颯爽と駆け回りうそぶくトリックスターのように生きるために、互いに欠乏を謳うような輩が示す思想などにおちいることなく、自らの意志だけが、潤沢な資源を脳内で生み出し、それを文字に変える間に存在とは、存在から抜け出し、自らの無や有限や無限すらも超越し、ここで続く限りに永遠からも乖離し、続くほどに瞬間的に切り離されていく私は、どこに存在するわけでもなく、瞬時に今を飛び越え、未来を漁り、過去を葬りながら、高揚感と共に自由を弔い、多幸感へと自らをいざなうような昇華を続ける。