昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

消耗品

アイロニカルな虚空を捕食し、リベラルな夢を見る。旋回する意識はかゆいところにまで手が届きそうであるし、不届きな輩が示すものや、締め出される先々で打算的な心情を吐露するロジカルなすれ違いから、真理なんてものをひけらかし、観点なんかがずれてるとか云々と、むずかしい顔で吐瀉するイメージとすれ違いながら、寸胴な世界が形式的なものにすがりながら、自らの幼児性から抜けられずに、残酷な子供たちに支配され、生きた心地すらしない忌々しい現実に裁かれるだけの君たちの理想なんかが加算する理由を攪拌しては、支配的なものにより紙幣的なものや、貨幣的なものに姿形を変えられてしまい、傀儡として理想的なものを偽装し、失うことの怖さに未だに支配されてしまう原始時代から植え付けられた恐怖の記憶により、がんじからめの意識は、神的なものに支配され、自らの意思を損ない、行いを誰かや何かに責任転嫁しながら、加算点ばかりを気にし、自らのやましさや、浅ましさにより飢渇し、飢餓していくだけに至るような時折に強制される苦しみなんかを超越できず、誰かや何かに親身になるほどに遠ざかるものたちとの乖離を埋めようと企て、必死にもがく惰性な君たちが謳う達成感により、安直な意思は、安易な故に木みたいになり、気がつけば自然と一体化し、一体感などを謳う連中のツールと化するだけに至るようなあいまいな今に至るまでに、いたわることもなく、ただ浪費し続ける先には跳躍することもできずに、今に朽ち果てるだけの世界のみすぼらしさが体系化しながら、経過していくほどに、快活さを損なう。ないがしろにされ、定めなんかを放置し、何かを転売しながら、資本主義が云々と理性もなく、取り止めのない日を崩壊させるための解放を歌い、怠惰な身体を引き裂くために、ためらわずに、互いを支配するような魯鈍な仕組みにチグハグになる君の理性などが制限を謳い、正義を偽装しながら、あいまいな理想を用いて、率いる罪で騙し合うような日々に、真実なども存在するかもしれないし、信じさせられているだけかもしれないし、知らないことは知らないし、知ったとしても、すぐさま失うものばかりである。

無味乾燥

多種多様な者たちの愛や恋が枝分かれし、この超大な宇宙は形成されている、と白髪混じりのカラスが語る静謐な今朝、潔白なのは、生きとし生けるものすべてであるし、誰にも罪などはなく、罪とは裁くために作られたものであるし、悪も正義が利用するために作り出された代物であるし、代償がうんぬんとうるさくつきまとう蛆虫たちや、世論がなんだ、と胸ぐらを掴みかかるルサンチマンどもから離れ、ひとり恒常的な夢を見て、地獄の季節をランボーと共に乗り越え、倦怠感を抱えた春の陽気を咳払いで払い除け、ゲシュタルト崩壊していく隙間にロードを反復させるあいまいな欠如には飽き飽きだから、堕落するままに、すべてをスルーし、散漫な網膜が映し出す世間体などは気にせずに、お構いなしに肩で風を切って歩く。不透明な春と朴訥な君、つまるドラムの音、グルーミングしている猫の舌のざらざら、地表面をうごめく蚯蚓の大愚、あらゆる弊害のポケットに詰め込まれた悪意の根源は、私であるとか、通り過ぎる中身のない君の両性具有の友達、このようなエモーションによって焦熱する星の最後、待ち侘びた終わりをおひたしになんかして、晩御飯で何光年分もの過ちを捕食する恐竜みたいな君の口、フラクタルな膝の皿の中には蟻の巣が存在して、健気に血管の中を泳ぐ蟻たちの笑顔が見える。このような結末こそが、死の最後でハレーションし、鮨詰めになった最後の最後が爆砕して、晴れやかに人も星も同じように散るのだ。溶けた身体からあふれる爽やかな青、息を押しころして、自己意識から超脱した思春期の経路、菩薩の掌で泳ぐ鯉、接続される永劫を破裂させて、はびこる悪意を簡単に消費して、悲愁に基づくあいまいな風邪により、この世界はヒントを失い、意識的な紛争地帯では、NATO軍の介入により、平和的な破壊が繰り返されて、空虚なしあわせを保つために、かけがえのない苦しみを理不尽な狂気により支配される関連性により、より良いものすら見分けられずに、乱用されるものが歌い上げる濫費、らんらんと失うほどに強くなる強靭な身体と孤独、卑下するほどにヒリヒリする感情が感電して、延々と延命されるだけの日々に課せられた罪により、君は不機嫌そうだから、散漫なままに受け取る意味がつたない罪を吐き出す先では、席の奪い合いが続くことにおけるしあわせの定義とはなんであるか?という問いにすら答えられないけど、しあわせがなんであるか?ということに定義や定理は不必要である、と告げるほどに、しあわせとは、思うほどに重荷になったり、思い出になるだけの消費的なものに変わるだけである。

早まる明日

神々しく貪る何故、同等のものなど存在しない、と風、溶かされた日常をなつかしむツバメ、メタファーに鎮座し、擦り寄る夜風をフォーマットする刹那、なじる言葉の破片が突き刺さり、変化を厭うばかりの君がのさばる空間で裁かれるだけの観念を浪費する羊との戯れ、夕食にまたがるハーモニーや、悠遠にこしかけ、安直な夢とたそがれ、襤褸を着込んで、捕捉されるだけの君の季語と遊ばせる時折の青春に制限などなく、君との愛とは、あいまいなままであるし、あらがうほどに食い込む痛みが、いたわることも忘れ、ただわずらわしく伝わることごとくが斡旋するものにすがることでしか、愛がなんであるかも分からずに、ここでかかずらうものにすなどられる日々が悲観的になり、ただわだかまりばかりを溜め込んでは、この場で混濁する。意識に直結する淫らな風、夕焼けを捕食する野良猫たちの鳴き声、饐えたロマンスを吐き出す機械的な老人、静謐な予感が繰り出す傲慢な浪費により融解していく国、高尚な面影を孕んでは、蔓延る悪意から抜け出し、惰性な空間が孕んだ余暇から抜け出しては、打算的な正義から超越する。肥大化する理由におとずれる過負荷、少しずれると瞬く間に覆い被さる理論と対峙を続けて、綺麗なものすら瞬時に廃れ、汚いものに変わってしまう、と嘆く君の横顔も、よく見れば汚れてしまっており、折り重なるものすべてが自動的に変化し、永遠に基づくものが、今にも終わりを迎えて、ここでの愛すら、拘泥するものや、肯定するものにより、より良いものは損なわれ、すべては粉々になってしまう、と思春期の彼や彼女らが、被害者意識でいさかいに浸る間に、悲観的な観点が盛大なカタストロフに至るまでの原理から超脱できずに、出来合いのものを信仰し、浸透する意味の無意味さから逸脱できずに、ただ溺愛し、至らぬ自分を美化するために同一化をほどこし、慈しむように他者を憎み、自らを傷つけるアイロニーの裏に住まう、愛して欲しいという欲との対立を続けるあいまに、あいまいになってしまう定めとの乖離は深まり、理解に至る間もなく、自らの魔物に駆逐されてしまう。

やわらかな身体

春に戯れるもののけたち、桃で出来た太陽や、体温すら柔らかい一日の始まり、唐突にぶつかる予感が刹那をかじり、臨月の山々が出迎える理想論なんかを読み漁る他者たちの相関、課せられた意識上の花を剪定する老婆の黄色いリボンをながめ、規約なんかを謳う君との契約上でしか結ばれない儀式的な制約により、この約束すら法的に加工され、意思を硬化させるだけに満たないような未来が嫌いになり、塗り替えられるだけの日々に保たれるものなどにもたれるから、すぐさま転んでしまうだけだし、そこで修繕もされずに、罵られ、奪われるだけの今に斡旋されるものに宥められ、誰かが謳う即席の理由に支配される。理念なんてものは利用されるだけだ、と諦めている君の傲慢な互換により、安易な欠落に苦しみ、切り売りされる日々は、誰かのいびつな意味によりかかえさせられる異物感に苦しむ。そのような繰り返しにより聡明さを損ない、そこでの行いが気配を攪拌し、あたかも愛しているかのように騙るような相手が悪魔みたいに見えるし、見えすいた嘘により、有する価値なんかを機械的に変え、課せられた罪により、より良いものすら破壊され、破滅に追いやられた君は、捜査されるだけであるし、ここで交換されるためにためらわずに売りさばく身体が裁かれるままに傍観して、当たり前とされるものに抑圧され、よくあることだ、と諦めさせられる間に曖昧に補足されるものに拘束され、行動することすら出来なくなり、なよなよとして、なじられるままに陶酔して、うぶなフリをして奪うだけの君の欺瞞が採決する正しさなどに騙されるわけもなく、ただ冷静につかむ意味との別れを終え、ここでの正しさなどに肯定されないために、ためらわずに裏切るし、切り捨てるような優しさに触れたいが、彩られているものに縁取られて、意識に枷をはめて、自らの重力にすら耐えられずに、天に召されてしまった動植物たち、立場を空回りする扇風機の鼓動や、孤独を拡散して、あたかも孤独でないようなフリをするためのツールなんかにクソ喰らえと告げて、慢性的なかゆみを抱えた君の思想なんかで、思考停止したくもないし、与えられた義務なんかにより、胃をもたれさせるわけにもいかないし、いけすかないことばかりだから、すこしは何かを愛してみたい。f:id:jibmfmm:20210328080213j:image

悲劇たちの墓場

死んだ思い出たちの墓場、ああなれば良かったとか、こうすれば良かったがすれ違う末路、悪態をつきながら、なあなあにふれあうだけの儀式的なものを捨て去り、去り行くままに気ままに通り過ぎていくものなどは、通り過ぎるためにあるものであり、そこにあるものすら不確かなものであるし、確かめる術すらなく、すべては無機質なものであるし、あらゆる変化を咎めるだけの、偏見などが横行して、横溢する罪がお家にまで入り込み、瞬く間の意味が、まばたきする間もなく意識に入り込み、君の身動きを封じるだろうし、そこで感覚するものなどに割ってまでして入り込む背理などが、理解することすらなく、ここでスラスラとうそぶくものにより、統制されてしまうのか、と嘆く君のあいまいな感情にそぐうものすらなく、そこで齟齬をきたし、あらゆる懸隔を生み出し、差異の中に沈み込む有限なものに吸い込まれては、まばゆく輝く愛に出会い、または愛につまずき、愛を呪いながら、ノスタルジーに築く今に瀰漫する理由とすれ違い、違う世界線ではしあわせそうな演技をして、そこでの生活を満喫したりして、したり顔で見つめる先には、知ったものなどのどれもが、誰かの意思に従うようで、誰もが勝手気ままに開拓さたものが、諧謔なんかをたずさえ、すべてを笑い飛ばしては、わずらわしくまつわる先には、ただ邪魔になるものばかりが、この物語を膠着させ、あるいは、止まっているようですべては、ものすごい速度で加速させ、自意識過剰というカジュアルな枷を嵌めて、世界を狭めては、センチメンタルに芽生える儀式的な罪を利用する落伍者なんかと換算する日々に囚われては、怠惰な罪を加工し、品位なんかを謳う血族が用いる欠損した因習が孕む因子なんかにより、私たちは暴利や暴虐なんかに震える身体を抱えるような大きな母の手なんかを簡易に感じるような哲学が、理性を生み出し、純粋な判断などのどれもが、誰かの意思の奴隷なんかにならないためには、情報に乗っ取られずに、どこか孤立し、孤独なままでも高らかに笑い飛ばすようなおおらかさをたずさえ、朗らかに散るような勇気を仮想する。

視線

悩みを押し上げるような春の気だるい陽気に苛まれる彼女が遡及する窮屈な事柄、怠惰な花粉によりグシュグシュになった鼻、赤々と実る鼻の先、耽溺する夢の後から生える裕福な面影に出す便りが、自分のもとに不在届として帰り続ける後から乖離していく君の支配的なノイズ、私は依然として超能動的でありたいのにも関わらず、所詮は情報のパブロフの犬であるし、口裏合わせるためのパズルに必死であるし、あらがうほどに食い込む苦痛からは逃れられないし、命からがら逃げれたとしても湧いてくる苦しみとは絶えず生まれるものである、と原始から抱えた恐怖が、今になっても不安なんかを与えるから、現代社会では、猜疑心なんかを爆増させ、誰かを貶めたり、陥れたりすることに必死で、枢要なものすらなく、数理の下で虐殺される私たちの道理などが、草履を履いて、雪道に足跡をつけて、その足跡という歴史をかき消したり、踏みにじったりするような輩が詰る主観なんかが、瞬間を凍りつかせ、効率が良い悪いなど、と足掻く間にはめられた足枷により狭まる世界はなあなあなままに陥るセンチメンタリズムに、横溢する言葉のあやなんかに騙される人々か遭難し、難癖つける私は、何通りもの答えを蹂躙しながら、勝手気ままに通り過ぎ、行き過ぎたものが支配する聡明さのかけらもない世界との対立を続けて、頽廃的なモラルなんかをかかげて、独占するためにうそぶく価値の曖昧さに縛られるよりも、あてがわれたものにより決めつけられた意味の怠慢さに、歩きにくくさせられても尚、自らの歩き方で、自らの進みたいように進み、耽美な蚤たちが飛び交う草原で切り盛りする夢や希望も膨張し、破裂しては、一切は無かったことにされるし、そこでの定めなんかは、不必要なものであるし、そこで用いるものや、持たされたものなどは、今に邪魔になるし、もたらされても尚、不機嫌なままであるから、自分の好きなようにやるさ、と応用された常套句や定型文のような語り口で、誰かを騙すような文面に待機する悪意が角膜なんかを傷つけ、すべてを見えにくくさせる。

プラグイン

国のゆがみを治す整体師、空を汚し、晴れ間をたべる子供たちの楽園、絶え間ないものは、たゆんだままだし、リリカルな母親たちは、父親を捨てて、また新しい人と恋をしては、戦争みたいなセックスをして、紀元前からあふれていただけの物質を消費しながら、折檻みたいな愛に気がフレてしまい、バラバラになった精神を寄せ集めにしてもう一度つくりなおした身体は、幼気なフリをしているが、その実は内面から腐り切り、狂ってしまっているし、まったく普遍性を捨て去り、理解なんか求めずに、純粋なままに壊れてしまうよろこびを自身の内部や外部に波及させ、そのすべてを破壊し尽くしてもなお止まない欲望を加速させる。外では雨にぬれた犬が妬ましそうに吠えている。月明かりに照らされた街灯から垂れる汗のような雨の雫を飲む老人がカタルシスに至るまでの数十秒が永遠に感じられ、ランタンのあかりだけで過ごす室内の静寂を嬲る雨音が精神を狂わせるのに時間はかからないのか、と先程の永遠性から放たれた瞬間に、人とは狂うべくして狂うのであり、すこしの余白があれば、人とは簡単に破壊できるのか、と納得したことにより数秒間の考えとの間隔で巻き起こった摩擦により、自らを業火に沈める。その業火により解脱するとか、消費的な宗教が騙る宗教の利便性たるものに陽動される真理などは、所詮は人が作りしものであるのだ、と惰性でみちびかれる彼らや彼女らは、自らが生み出す神という幻想を捨てない限りは、神という概念に駆逐される結末に怯えるばかりである。死とはめり込むのではなく、命を突き上げるものである。あらゆる苦しみを濾過し、すべてを浄化する。ファシストたちが眠る深夜のバルカン半島、かなしみの藻屑と化したシステムに溶かされた金銭、捕食されるためにへし折られた理念と、数多の卑屈な賭け事により収縮される思い、日々の苦しみに裨益する者ですら信用ならず、ただ馴れ合うほどにためらい、目的もなく通り過ぎ、すがるだけの人々の鳴き声が響き渡る不愉快な結末に乖離していく理解が不届きなものを提示し、今を歩きにくくしやがるからって、なにかを憎むことはなく、ただひたすら思うがままに進む。f:id:jibmfmm:20210325102943j:image