昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

過ち


 何も見えずとも歩くのが人間なのだよ、と促す先に現れるだけの幻想的な記号の群れが反射的に執り行う義務感に苛まれ、記憶に臆するだけの私情を挟み込み、混同する意識が受理するものや、そこに生み出される水域などは、何かを愚かにするだけの指数や思想を生み、運命論的な論難や、約束事に秘めた裏切るだけの衝動が、精神的な緩慢さをカルマの責任にし、転換され続ける間に生まれる間隔に嵌め込まれる思いが、破壊的な心理を生み出し、倒錯し続ける精神的な素因から、阻まれるだけの現時点へと統合され続ける間に生まれる変化は、懸隔を生み出し、最たる意味すら見出せずに、ここから逸脱し続ける先に都合の良いものへと変化する間に生まれる空疎なものへと矯正され、権力的なものをかぶり、過敏な精神を掲げ、簡単に処理されるのが人間であり、そこで関わるものなどは、教義を押しつけ、快楽的なものを摩耗させ、毎日に生み出される寂寞や、苦悩をこじらせ、心地よいものなどもなくなり、ここに現れる善意的なものに荒らされるだけの精神は、果敢に挑もうとするほどに、自らの空虚さに耐えかねずに、人間として何かを認識するほどにそこで保持する名前などとの軋轢を重ね、懐疑的な日常に補完され続ける苦しみだけを繰り上げ、自らの苦しみだけが、唯一の救いを生み出すのだ、と惰性に施された域から転じて行く空疎な悲劇が緩衝できずに、自らの苦しみにより、抑制され続ける先に生まれるのが、世界の破滅であるなどと宣言するような幼稚な企みの枠内で屠られるだけのペシミストたちに夜明けを越え、のぼり続ける朝との昇華を迎えるべく、ベクトルは、恨むことに原理を用いず、ここに現れるものをそのままに食すのが、マナーであるのだ、と淫靡な結末に有する過程に捕食されるだけの独善的な哀れみで何かを優雅に屠るような連中が示す尺度などに囚われるほどに、補填される苦しみは倍増し、空間を汚すだけに至ることに用いられる時間から抜け出せずに、自由をまとうほどに、連中が保持する理由へと搬送され、反逆者は疎外されるだけの運命なのだ、と堕落した論理を掲げ、論証されることだけが、あたかも世界を形成し、そこに答えを生み出すほどに保持される権力を尻目に、倦厭するだけの大衆に別れを告げ、ここに現れる人間としてもとづくものなどは、迎合されることだけが真実のように騙られ、散漫な意識に入り込む利得などが、価値などを謳い、悪態をつきながら、罵るだけの過程が演技的なものを続け、犠牲的な精神こそが、良いものを作り上げるなどと宣言するような幼稚な企みから、そこに枠組みを生み出し、はみ出す者を位置づけるだけの善悪で解消されるだけの正しさなどは、どこから正しいと定義され、そこに正しさを押しつけ、罪の意識により意識を抑圧させ、逆らわぬことだけを求めるような正義などは、悪を位置づけ、そこに逆らうものを悪として捉えることだけに専念することから解放されずに、そこで監視し続けるだけに至るような意識的なパノプティコンの中で忍び足で隠れながら、背反を続ける意識的なゲートウェイを通過し続ける先に煩忙を極める代理母たちの憂鬱の中で信仰心を掻き乱すような幼児退行的な混淆から、はびこる悪意は散漫な意識を乗っ取るべく、そこで正しいとされ、意思を虐げるものなどが論題を綴り、意識的にまがい物を生み出し、過激な思想をたずさえ、忿怒へと至らせるようなことから、侮蔑され続けるだけの要理に迫る自らの価値にカタストロフを生み出すだけの倒錯から、等差を生み出し、そこに間隔ばかりを生み出し、何かを奪うためだけに攻め入るだけの悪趣味な搾取にアクセスし続けるだけの数理にもとづくエゴから、迎合されるだけの観念が恒久的な悔悟を放ち、毒性を蓄え、生じる由縁を突き刺すために迫る黒い影から逃げ出すべく、自らの考えがあらわになり、担う意識などは、今を阻むだけに至り、体系的に携帯する位置的な何かを背負うほどに、何かを親身に感じずに、敢行されるだけのものをあたかも自分のもののように背負うような義務的な緩衝から、反照し続ける意思に迫る犠牲的な精神にもとづくエゴから、安易な協調性を生じさせるだけの些細な闘争から、倒錯し続ける先に生まれる狭小な意思が何も受け入れられずに右傾化し、或いは、何かに反するためだけに交錯し、そこに生み出される悲劇とは、たずさえる信仰の欠如である、と制する辺りから、過激な思想は生まれ、何かを保つためだけに守ることを強制するような利己的な現れだけが、存在を誇張し、高尚へと誘うのだ、と支配的な形式から、何かを加工することだけが、何かを正すことに至らせるのだ、と促すような教育から離れ、自らをプロパガンダで仮想させるような世界だけが、世界として認識することの限界である、と制する辺りから、政治的な伴侶が、君を攪拌させ、何が正義か?と促したことすら忘れ、何かに反し、邪推し、何かを虐げることでしか、正しさも見出せないような差異からの背反を行えずに、ここに反する意識とは、何かに汎用されることに反することもできずに、何かに横柄に迫り、形あるものに詐欺的な行為に従事するだけに『終える』ような価値などは、応益に反する行為であり、そこに応じる過程から、価値などを用い、何かを従わせるだけに横柄に迫るような価値などを打ち倒すこともできずに、問題を見間違えるから、私もいつまでたっても人間的な位置にとどまり、そこに押しつけられる問題を命題のように取り間違え、自らの誤りに気付かずに、規制される自己に自らが虐げられ、そこで抑圧されるほどに与え続けられる罰が何かを背負うように強制しながら、自らを抑圧し続ける先に現れるのは、サドとマゾの関係性が用いる絶対的な正しさだけが示す精神的な潤いだけが、応用される原理にすら反し、高揚感を託すだけの、この関係性だけが、敢行されるものにすら反し、ここに現れかかずらうものに応用される以前に、ここで雇用されるほどに誇示するものが今に使命感を与え、命じられるほどに高まる意識は、さらなる快感を呼び込み、そこで終わらぬ高揚感が永続することだけが、正しさをおぼえさせ、そこで横暴に支配されることだけが、世界を正しいものとして強制的に認識させるような関係性に陥るだけの堕落した観念が経過する意識の景観を汚し、擁護されるだけの関連性から、従える自らを契合させるように用いられる快楽だけが、今に全能感を与え、今に従うことだけが、唯一の快楽である、と示す辺りから、自らとは喪失され、何かと同化し、同調することだけが、快楽を呼び、さらなる快感を増すように仕向けるような脳内の働きだけが、今を十全なものに変えるかのように麻痺させる。