昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

叙情的な交差


 法が打ち出す苦しみよりも、法から抜け出す喜びよりも、法から逸脱し、解放されたい、と願うほどに、法自体に関わるように慈しむような機械的な愛に従事するよりも、より良くなりたい、と祈るばかりの、化け物どもが徘徊する街中で、一律の幸せなどを探すよりも、獰猛に慟哭し、正しくあろうとすらせぬところから、善悪を脱ぎ捨て、全肯定するだけの、快楽主義的な自己啓発に汚されずに、自らの健全さに、行き着くように、自らが、自らを騙す。動機だけが交錯し、互いが抱え込んだ罪を置き去りにしてまで、自らを幸せにしようと目論むような罪には、罪の意識が微塵も感じられず、自らの幸せのために、自らを正当化する罪には、なんの罰も与えられずに、のうのうと永続化される意識は、自らを正しい者として、自らを神に仕立て上げ、自らを神として崇める。何かに抑圧されるなど、うんざりであり、何かを理由にこけ落とすことなど、馬鹿げたものであり、そこで、陥し入れようとする自らに陥る病が有史以来、加速し、あらゆることに、枷を嵌め、罪の意識などを埋め込み、自らが、自らを抑圧するようなシステムの奴隷として生きることなど、以ての外である。政治から離れて、自分に行き着くこと、枠組みを超えて、何かを排除する以前に、自らを保つために、自らに帰る。行き着く先は、何度も屈折していき、自らの苦しみを植え込んでいく。あらゆる空疎な方法論が、自我に攻め入り、時間的なものを有しながら、今を強請り、強奪し、さらなる苦しみを倍増させるための裏切りは続くが、そこで生み出される苦しみなどは、依然として空疎な苦しみであり、何かを感じ取ろうとせずに、与えられた苦しみに浸るだけのセンチメンタリズムに犯される。充当されるもののほとんどは、無意味な正しさを吐き出し、何かを履き違え、自らを守り、保つための欺瞞を続け、自らを正当化することでしか、その正しさにすら近づけぬように差し向けるほどに生まれる空しさとの対峙を続け、自らに打ち克つこともできずに、勝敗が価値を曲げ、そこで正しいとするほどに、答えからは懸け離れていく。あらゆる正しさとは、周囲が及ぼう影響により偏るだけにいたり、何かに寄りかかることでしか、自らを正当化できずに、義務的に執り行われる善意的な架け橋を安易に渡るほどに、答えからは遠く離れていき、幽遠へと引き裂かれていく思いは、そこで分裂を繰り返し、断絶され続ける意志は、高潔なものを失い、独善的な支配へと身体を明け渡し、自らの苦しみを垂涎する者の餌として存在し続けるだけに浸る痛みとは、間違いを改めずに、何かを責め続けることでしか、正当化できない正しさの中で苦しみ続けるだけであり、デカダンなものをかかえ、完治しない苦悩をまさぐりながら、何かの傀儡と化し、加算される原理とは、理不尽な正しさを応用し、そこでの正しさを際立たせるための虚飾を続け、つたない意識は、そこで正しいとされるものの餌として、提示される現実との差異を埋められずに、その正しさを鵜呑みにし、自らをそこない続けることに存在とは軽薄で、軽々しいものにしいたげられ、荷担する義務が用いる名ばかりのものに利用されることだけが、ここでの役割を担い、使命などを与え、運命と共に生きるなどとうながす首謀者が生み出す独裁的な物言いから、簡単に処理されるだけの今に起源を与えずに、過去のものを流用し、そこでの正しさを謳い続けることだけが、何か正しいことのように思わせられることに生まれる協調性などは、制度の中での役目を生み、官僚的な支配から、気配を攪拌させられ、管轄を用い、規制され続けることで生まれ続ける悪とは、正義に利用されるだけであり、そこでの悪とは、本質的な悪にいたらずに、そこで否定されることにより生まれた被害者でもあり、加害者でもあり、何かをもたらす是非などを是認させるために利用され続けることで、機械的なものとして、ひとつの正しさを、絶対的で十全とした正解として「崇め」神と名付けられ、そこで数千年の罪をかぶせられるだけにいたる一人の人間として指定されるものへと偏ることなく、自らを悔い改めよ、叫ぶ間に短絡的な罪などは、正しさを理解できずに、ただ、罪から逃れるためだけに、何かをためらい、自らを屈折させ続けることにいたらせる正しさが生み出す偏向を迎合することが、正しいとされるのであれば、ここでの正しさなどは、依然として悪を創造し続けるだけの贋物の神として存在するためだけに、人間と名付けられ、その人間としての義務を全うするための正しさなどは、独善的なものでしかなく、そこに現れる絶対的なものなどは、何かに適応するための絶対性であり、そこでの制度からはみ出さぬように生み出された世界などという悪魔的なもので邪推し続けるだけの悪魔的なものの子供として、独創性を奪われ、森羅万象を駆逐するためだけに、ためらわずに破壊するための制度の一部として存在することに混在する意識的な枢要さなどは、止揚にいたらず、物事を膠着させ、行動を拒否し、渋滞や行列にきちんと並ぶような普遍的な善意を抱え込まされたことにひたる原理的な善意の申し子のように語り出すような正しさを放つ手法や商法の一部として生きることこそが、善良である、などとうながすような悪魔的なものの子供とは、恒久的な孤独をかかえ、何かを恨むことでしか、存在理由すらも見つけられずに、その場で用いられるものにいらだちもせずに、何も考えずに並ぶという過ちに屈折していき、自らの罪を感じることにより、誰かの罪は、自らより悪いものとして定め、痛めつけることだけに専念するような全体主義的な管理下に置かれた檻の中の獣として、除け者にするためにためらわずに自分以外のものを否定し続けるだけの食されるために生まれた家畜のように、あらゆる独善的な毒性は、真理をもむしばみ、自らを傷つけずに、何かを傷つけることには厭わないような者どもを配下に置き、自らを崇めるためだけに、ためらわずに攻撃性を止揚し続けることだけに専念する限りに、そこでの神は、人間が生み出した神から超越できずに、自らの定めをも呪う者どもを生み出し続けることが、創造性だ、とうながすような神などは、神と名付けられ、神の皮を被った人間であり続ける。