昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

正義をも捨てた後に広がる景色


 終わりに近づき、心がチクチク痛むわけでもない、あらゆる刺激を通り越しては、さびれた記憶に鎮座する面影は、単に重たいだけで、今に何ら影響を与えず、ただ、とおりすぎ、消費的な衝動だけが、世界性をかこみ、慢性的な痛みは、悲劇的なものを当て込んでは、混濁する意識は、表現を失い、多目的な理由が流動し、偏りを示す心を単一化すべきだ、と否定的な面影が今に便りを与え、攻め立てる。生じる運命は、単に消費的に迫る意味と逼迫し、貧寒なものをたずさえ、ままならぬ思いが通過するほどに、観念はゆがむのだ、と惰性な思いが、精査を下す。やさしそうな母の姿を重ねるような恋の瞬間から、余韻に入り混じる風景に転換し続ける思いに吹き付ける風のねばっこさにまじわる意識から始まる物語や、転化し続ける先に現れる永遠性や、制度に付着するための闇を生み出す過程をしりぞけ、純粋無垢な自己に行き着き、自らに比重を加え、苦しみから逃げ惑う先に現れる苦痛などは、すぐさま過ぎ去る。嘲笑されるだけの論理が寒空に協調性を求め、制度の中で膠着するわびしさに虐げられ、自らの健気さを喪失し、今に倒錯していく苦悩から伸びる意思的な緩慢さに表現は孤立し、自らの虚しさに抑圧された思いは、悲劇などを用い、自らを苦しめるためだけの苦悩にひたるような被害者意識を加速させる語源に抵抗を加え、ここに用いられた短絡的な苦悩との闘争を続けるほどに、革命とは、程遠くなり、縛られた意識は、がんじがらめになり、信じるべき自己を確立できずに、意味を従え、従順に理解することだけが、自己愛を敷衍させ、自らを愛することだけが、他者を愛するのだ、という虚しさを抱え、自らを愛するほどに、他者を愛するという意識からは、かけ離れる。すべての形式を捨てた後にだけ、透過していく意識は、形式的なものにさだめられ、強調されるほどに、補完されていく思いを昇華させるための抵抗を続けるべきことに気付かずに、均等化をめざし、平等を謳うほどに、短絡的な憎悪を加速させ、対象とされるものを恨むための他者を捏造し、自らの苦痛を昇華させるための証拠をでっち上げ、自らを納得させるために手懐けた従順な意志から、陰鬱な衝動を拡散させるためのツールを用い、自らの痛みを分散するための苦闘を高らかに歌い上げ、自らこそが、いちばん苦しんでいるのだ、と妥当に思い浮かべる理想から、理性をそこない、そこで沈積する憂鬱をむさぼるだけの貪婪な者として、あるいは、悲劇を格納するための悲観的な肥満体として、あらゆる苦痛を吸い込むことだけが、崇高な役目であり、そこでの役割だけで、約束とされるものに反し、ここでの意志を確かなものに変えるという愚鈍な行為に貧するだけの意思的なまがい物を溜め込むだけのケチな者として、いけ好かないものを強調するだけの段落に潜む悪意の根源や、悪魔的なものを捏造し、自らを利口な者に変換するだけの記号的な者としての役割だけが、自らの存在を強調するのだ、と惰性に導かれるものだけをランダムに消費するような過激な理想を企て、贋物の達成感などをうながすだけの虚偽的な者や、シンドロームに蓄積される苦悩を培養するような陰鬱な生産性だけが、消費を加速させるのだ、と謳う者や、生産的な排除を用い、何かを支配することだけが、ここで充当されるものを真実に変え、ここでの本質などは、すぐさま変換されるものへと飲み込まれ、物質的な本源などは、すぐさま切り替えられるだけにいたるのだ、と短観に潜む価値を悲壮するだけのニヒリストとして、背くための破壊からはびこる悪意を熱望する正義の矛盾を攪拌するような悲劇的でアイロニカルなアイドルとして枢要さを謳いながら、もたらされる意味にはびこる欠如に補完すべきものを捏造し、緩衝すべきものを持たずに、ただ、衝突を繰り返すことが、時代を飛び越えるのだ、と言い放つ間にも、完全性を用い、そこで善政を敷くほどに、自らのルールにしばられ、そこで敷かれたレールなどは、悪へと移行し続けるだけにいたるのだ、ともたらされた権力がカタルシスを求め、自らの死をも超越する間に、偽装されるだけの真実は、今に干渉し、自らの正しさだけをまき散らすプロパガンダに必死し、世界的ながん細胞へと偏執するだけの革命的な理想とは、ここで行いを正せずに、ただ、自らが正義として崇めるものだけが、正しいものだ、という認識のズレから、自らを疎外させ、自らの苦しみを昇華させるためだけの闘争を続け、つたない意思は、愛がなんたるかを知らずに、ここで構築されるものの巧緻なたくらみに疎外され続けることで、短絡的な暴力性は、制度を打ち砕くための短絡的な破壊活動へと移行し、自らの正しさを保つために、自らを騙すような矛盾から、暴力は加速し、破壊することだけを重点に置き、自らを置き換えるための理由を捏造し続け、自らを快楽へといざない、自らを操作するための傀儡を自らの中で作り上げるほどに、補完される苦しみは、自らを消費するための快楽へといざなうための理由を探し、自らを破壊するために、世界を破壊するのだ、というペシミズムに移行し、自らを正すための統合をめざすほどに、暴力性は錯綜するのだ、とうながすよりも、性質的な暴力性は、抑圧できずに、本能がむさぼり続ける破壊への快楽は解体できずに、そこで破壊することだけが、自らを正すのだ、という過ちには気付くはずも無いのが、性質的な暴力性であり、そこであてがわれる制度などは、その者を抑圧するほどに、次なる破壊をもたらし、自らとの訣別を用い、純粋な理想のために破壊し続ける自らの快楽のために破壊し続ける者を止める手立てなどは存在しない。