昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

零落


 原初状態からうながされる十全とした正義すらも主体性を黒々としたもので覆い、軋轢を重ね、動機をむさぼるだけの空疎な連中が聯立させる方式から、簡単に処理されるための身体を措置するための敗残を重ね、空虚さを埋めるための理想を困窮させ、ためらうほどにここで生まれるものとは、何かを阻めるための理想を供給し、狂気に至らせ、いびつな観念を還元するための放蕩から、報じられることに取り残されるだけの競争から蓄積されていく徒な時折に貧するだけの価値に消費される思いは、端的なものに敵対心を生み出し、対立を深め、関わるほどにおどける意思はすたれ、ただ何かを恨むために不真面目さをあざ笑うだけの高みから、大抵の異物感を生むための高尚などは、高次に至らずに、ただ何かをおとしいれるための教養で何かを撃ち落とし、捕食するための知識などは、画面の中で何かに従い、ただうながされることを、うながされるままに語ることなどを即する強制的な言辞だけが、ここでの正義を語ることに原初状態を破壊するための構造から、行為に基づき、そこで迎合され、幻想を生きるままに逸脱できずに、脱する先々で退廃的な呪詛を続け、つたない意識は、汚いものを崇め、愛されるためだけにためらわずに何かを恨むような途端に汚穢を含ませ、複製されるだけの真実を崇めるための理想を理性として変換し、そこで強制され、強要する力により、介する間に加えられる圧力に屈従し、朽ち果てるだけの問いは、でたらめに愛した記憶だけを引きずりながら、卑近なものとして措置される愛をそのままに受け取るようで、受け入れるほどに経過していくものは何かに傾倒し、軽薄に何かを崇め、あいまいなままに愛し去りゆくだけの経緯の刑場で自らを補完するための完全な惰性をうながすようなサウンドの彼方で、理想とは、理性を圧壊させるための偏りを生み出し、今を屠るということを誰も教えぬから、教わる日々に襲われるだけのいびつな観念を計測するための職業が欺瞞を続け、追随者がうながす独善的なものから偽装されるだけの真実とは、命じられるままに罪を加工し、そこで加速していく自分と行き違いながら、いくばくかの可能性を屠るための儀式に興ずる。快楽を受注生産し、さいなまれる記憶は、そのままであることを憎悪する。自らの力により磔にされた神は、自らの力に寄りかかるほどにかいがいしく迫るものが打ち出すセンチメンタルなものに偏りながら、何かを購い崇めることから求められることにより破壊され、掃きだめへと捨てられるために何かの犠牲として慈雨に濡れ自作自演を続け、つたない記憶に臆することから、自らの罪を偽装し、あたかも悔い改めるように示す間に正義すらも無く、そこでは強制されるための罪が罰を受け入れ、自らを浄化させるかのように示されることに閉め出されることだけが、幸福へと至る道であるのだ、という哀れみを持つべきだ、と憐憫に耽るだけの同情的な迎合から、奔走し続ける孤独な精神は、自ら孤立することを知らずに、与えられた孤独により、孤立しているかのように感じることに応じるための孤独などは、孤独では無く、ただ孤独である自らを嘆くことを演じるためのメランコリーの襤褸を着込み、自らをデカダンスに変換するための偽装を続け、つたない意識は、そこで汚いものを機関的に演じ、機械的なものの螺旋としてあらゆるつながりをとめるためのツールとしてそぐう形に与えられる影響を補完するための空虚な器として、空疎な自分を嘆くほどに他者を恨むためのルサンチマンとして、慢性的な痛みを吐き出す破壊的な錯綜から、散漫な意識がもとづくものへと調和できずに、ただ与えられる影響により、傲慢な者として支配的にののしることだけが何かを取り繕い、徒労に終わるのだ、とうながす者どもの平伏させるための普遍性がコード化され、無意識にまで迫る洗脳的な呪詛を続ける普遍性のコマーシャリズムが迫り、脳内で再生され続けるものを納期するための機能を屠るために、ここで体系化されるものなどがうながす価値などは、自らの偏りを縮めるためだけに体系化されたものを崇めるほどに購う者が何かをおとしいれるための愚鈍な正常さを保つためだけに、ためらわずに犠牲を孕んでいく懶惰な闘争から、統制される者などは、何かに統合されることを正常だ、と思うことの異常さに気付かずに、自らを異常である、と認識させないために詐称を続け、詐病に浸り、悲観的な構想から空疎な悲劇を加工するための受理を続け、受動的に制される間に多目的に迫る情報に左右され、自らを未熟なままに制する間に採算を合わすための独善的な手法で欺瞞を加工するためのギミックに制される間に収納され続ける意識などは、敵意を生み出し、自らを独裁的に変換するための手続きをすすめるために何かを犠牲にすることだけが、よろこびに変わるのだ、と亜種どもは語る、と否定的に攻め入るエリートどもが理屈を捏ねる間に光年に隔てられる時間的な渇望を終え、何かの傀儡として生きるよりも逃げ惑い、どこにもとどまらぬように変化を求め、絶えずすべてを笑い飛ばすような快活さを用いる。