昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

黒猫たちの弁証法


 哲学者の猫が語る無限性や、カタルシスに至るまでの時間との擦れや、そこで更新されるもののほとんどは欲望に支配されているなど、と現を抜かす現実主義的なものを崩壊させるための手続きを施し、秩序を壊すために蔓延る悪意を充填させ、嬲られる思いが至らぬままに消費する認識などは屠るべきだ、と全体主義の犬たちの胃腔に住まう原理的な理想などに挿入されるものが、雌的なものを謳歌し、犯されていく瞬間をまさぐっている。無限性を語る猫は、「認識する者とは無残なもの、だ。存在を認識するが故に増え続ける苦しみを存在に課せ、認識されるための存在に枷を嵌める」世界性とは、秩序も保てぬからこそ、規律が必要なのか、と隷属するだけの悪趣味な連中が示唆する倦怠感に麻痺していくのが、普遍性であり、あらゆる普通とは、不潔なものを通過できずに、自らの通過儀礼の犠牲として、今に屈従していく。あらゆる悲劇を通貨に変えては、用いるが故に苦しみとは増すのだ、と仏教的ニヒリズムから、憎しみを増加させるための悲劇的な子供として、虚空を食する空洞化するものと同化するための転換から、季節を硬化させるための疑念を無数に張り巡らせ、偶像崇拝を続けるインテリジェンスなどが用いる支配的なコードから、課せられた意味と義務の間で摩擦を繰り返し、不具合を生み出すのだ、と妥当に位置づけられるだけの、そこに居続けるための存在がためらう限りに現実とは、現実であるが故に飢えるのだ、と惰性にみちびかれるほどに省かれる思いは、孤独を嘆き、自らを迫害し、途端に襲いかかる疎外感に滅亡のための呪詛を続け、倦怠感だけを加速し、何かを嫌悪するほどに、襲いかかる悪寒に耐えかねずに何かに依存し、存在を弔うために用いる他者との交通から、通過していく他者が用いるものの重みに耐えきれずに、自らを破壊するためのニヒリズムを加速させる。感覚を麻痺させるべきだ、と快楽主義的なマシンへと変化していく自己犠牲的な枢要さを謳うだけの宗教を破壊するための言葉に秩序を持たせる是非を問いながら、日増しに現れる平和の二文字などは、何かの平静すら保てずに、互いをとがめるための理想により、平和であることを願うほどに暴力性を増していき、用いられる制度と、そこで詠じられる死との境界線を引きながら、卑近なものを用い、意思を凍り付かせ、効率を求めるほどに、補填されるものなどが堅持するものなどに縁取られ、自らをステレオタイプなものに変化させ、そこで経て行くものなどは、閉経するだけに至るのだ、と惰性な老いを謳うようなレイシズム的な偽装から、偽計を重ね、簡単に処理されるための現在を交換するための儀式である交配を続け、つたない意識は、いびつな観念を形成し、今を継続するための犠牲を孕ませ、偽装を続けることだけに専念する。捻転していく意識は、形式的な美に芸術性を求め、そこで生まれた制度に硬化していくだけの美を規律で纏い、退嬰的なものを補完するための技術だけを育て、井蛙な者どもを増幅させ、些細な出来事に交換される義務的なものに適応していくための補完から、感応できずに、関係性が用いる制度の中で詠じられるものこそ、正しいものである、という認識から離れられずに、用いられるものが用いる保身により、保護されることを待ちわびているような悪魔どもに互換されるものが相似していく限りに憎しみとは増幅し続ける。あらゆ悲劇の子として自らをなぐさめる君の動機などを図に変換しながら、精神的な偽装を施すほどに補足される苦しみとは、苦しむための住まいとして、人格を自覚無く形成していく。あらゆる詐欺を施す偽善的な理想から、創造性を破壊するだけのブランチで、宙ぶらりんになった意思に背負わされる義務により軋む身体が難しくゆがませ、制度に付着する自分と、そこでフラクタルであることを願う母的な愛に覆われ、恒常的な苦しみに支配されるだけに生み出される支配的な構図へと至るだけの怠惰な慢心から、感心させるために演じるような保守的な帰巣を終えた携帯されるだけの答えがたゆませる現在に低劣なものを示唆し、思惟することすら不潔である、と還元される理由を嘔吐に導くための応用から、統合されるほどに正常さとは何かに操作され、高貴さを謳いながら、高次に至らずに、至らぬ自分を呪うことだけに専念するような史実にからまるだけの過去などは、今に怠惰なものに変わり、悶絶するほどにここから抜け出せずに惰性にみちびかれるだけのエゴを重ね、介在するほどに自らの苦しみを補填させることだけに遷延させ、最たる意味を用いるほどに、利己的に負担させられるだけの義務的な過ちから、あいまいに始動していくものに区間を与えられ、自らを捕獲するための檻を措置し、自らが自らに課せた罪により、苦しむことを義務化させるための規律などに疑問を持つべきである。