昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

誰かの身体


 つながれた二人は、ただ愛し合うための紊乱さを敷衍させ、果てない愛にくたばる。ただれた誰かの身体をかかえ、フラクタルなものすら汚穢に感じるような現代的なものを移流させ、混同していくだけの意識が短絡的なマントラをうながし、完成形を歌う雨にぬれ、形骸化していく意識は、織り込まれる意味に繰り返し苦しめられることを繰り上げるだけで、惰性にとらえる瞬間などから自立できないから、今の苦しみを永遠にかかえるような緩慢な死を乗り越えられずに、得たものでたゆたうような主観的な終わりから入り組んでいく意識的なラビリンスでかかえこんだ自堕落な心情に逃避することもゆるさぬような輩が、支配するような世界などに合致しないから、といって苦しむ必要性すらなく、そこで制される前に数多に契りを重ねるだけの遊蕩な世界の不正に絶えかねずに、対価ばかりを求め、モラルがどうとか言い放つような間をなつかしむようなファシストどもが邪推し、徘徊するような原野で精読されるものすらなく、ただ制度を用い、何かを膠着させるだけに至らせるような等差から、錯雑とした観念に比するものだけが、何かを統べて騙るような欺瞞から付着する意味との相似により、同族嫌悪におちいるような世界性を狭めるだけの激動を歩き、この生命とは、何かに膠着するだけで、苦しみを咎めるような理論的な終わりに食い込んでいくいくばくかの価値に果たすべき義務などを謳いながら、打ち損じぬように、いびつな観念を成熟させるべきだ、と固執していくだけの意識が偏りを示し、偏執し続ける先で対立を続け、いくつもの軋轢がやがて大きな戦争に変わるまでの軌跡を歩くだけの偏屈な人間が戻るだけの世界などは、世界としての過ちを重ねることしかできずに、用いられる答えとの惜別を終え、応じるだけの答えが反響し、ここでのさばるだけの答えが快活さを失い、恫喝されるだけの真実や、運命論から放たれ、ここでのたれ死ぬまでの軌跡を照らすような生きた痕跡すらも消え去るだけであるし、あらゆる根源とは現実を引き延ばしながら、卑近なものに帰るためだけの普遍性が打ち出す限度から、家畜化していくほどに価値観にだまされるだけの愚かさを嘆くよりも、そこで操作する者が用いる権力が打算的に見出すものが席巻する未来をなじるよりも、ここで転じる意味を手にした途端に自らも老いるだけに至るのだ、という性悪説にアクセスするだけの道理にみちびかれるよりも、そこで彼らは枯れ果てるまで労働に転じて行くのだ、と苦しみのベクトルをねじまげては、さすらう意識は、散漫な儀式へと長じ、何も超克できずに、刻刻と迫る意味に屈従することだけが、ここでの尊さに気付くのだ、とうながすような性善説へとこじれていくだけの慈愛などを引き取るほどに卑近なものを謳いながら、軽やかさを失い、自らを喪失した喪失感により、何かに依存し服従することだけが、この存在の確かさを足枷に変え、世界にへばりつくだけに至り、いたわることを忘れ、老化していく心情は、透過できずに、汚濁に身を沈め、使命感を持たずに、たださまようこととは、奴隷のようだね、と嘆くよりも、ここで必然性すらも捨て、つたない心情が消費していくだけの幼稚な観念が引き伸ばすような例から逃れ、能動性を持たずに、受動的に制される間に排斥されるものや、物事を卑屈に変換していくためのコードが憧憬しているだけに満たないような世界などは、世界としての役割を果たすために備わるような世界としての役目を果たすためだけに、何かを利用しているようで、すべては、必然的な役割によって、同じような意味を同じように安易に引きずりながら、何にも反せずに、ただ現れるものを乗り越えては、答えすら知らずに、蓄積される苦悩との魯鈍な対峙を続け、つたない意識は、安易な正常さに左右され、あいまいな理論を摂理としてうながすような独善的な法が謳うような真理とは、真意を今の今まで語ったことすらなく、そこで伝わるものなどは、どれも本質にすらたどり着けずに、その場で屈従することだけが、やがて世界を正解でまとわせることもできるのだ、と妥当にみちびかれるだけの独善的な手法が今を手玉にとり、途端に騙されるための回路が、懐疑的な者をも圧縮し、屈折していく意識は、途端に自らを苦しめることだけに専念する。うずくまる彼女たちは、熟れた身体を時間にあずけるほどに、何かとのずれを感じ、勝敗を謳うほどに、たゆむだけの身体は、時間に逆らえずに、連帯感などを謳い、簡易な罪を用い、誰かに罰を与える。