昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

憂愁


 悲劇的な所以にからまり、せまる静寂に反し、興じる物事にはねられ、幣束をかかえ、絢爛豪華な主観にたたずむ蠕動していく意識から、緩慢な作用を滅ぼすために、このいのちとは産まれたのか、と感覚で処理する創造的な巣から飛び立ち、容易なことばで配される愛などが無数の論理を構築し、襤褸な世界ではためきながら、はびこることばから、配置された愛などが処置する物事が横柄にせまり、生命をとどまらせ、淘汰されるための主観を仰ぎながら、平静を保てずに、もたらされる苦しみにより、軽薄な論理を形成していく。聡明な時折にねじまがることばどもが攻め入り、純真を破壊し、子供じみた論理から、軽率なものを形成し、輪唱されるもののどれもは、何かを操作し、隷属させ、追従させるためだけに作られた呪いであるし、あらゆる意味とは、措置される瞬間に、循環することを忘れ、受難を生み出し、空疎な自分を責め立てるためだけに構築されたものをあたかも自分が織り成したもののように扱うことから、ことごとくは空虚さを加速し、自らを傷つける。あつらえられたことばが、今を攻め入り、制限を生み出し、背反することすら許さずに、強請り続ける事柄の多くに疑問を持たずに、モノローグにからまる愚行から、空虚さを埋めるためだけに生まれた快楽に束縛され、物事の傀儡として悶絶しては、さまたげられる今に欺瞞を用い、拘束するためだけに訂正され、正当さを謳うためだけに怠惰な自分を濾過するような収監から、観衆の前で規制されるだけの後悔を謳いながら、浪費されていくこころとは、吐血を繰り返し、厭世観にたたずみ、リズミカルな先々で背反し、解析される間に精神とは、正否を用い、元々の苦しみにとがめられ、似たものを愛するためだけに、退廃的な呪詛を続け、そこかしこで迎合されるものや、模倣されるだけの今に用いられる苦しみを吐露し、狼狽を続けるだけの堕落した観念が謳う粛清すべき闇や、幼稚な錯乱から、搾取されるためにもたらされる信念から、こころの深淵にひざまづくだけの惰性な精神が用いる意味を流浪し、回答を持たずに、飼い慣らされたことばにより支配される快楽をうながすだけの讒言から、帰路を絶たれ、対立を続ける自己との終わりのない闘争が、統計するものを伴侶にしては、憎むことだけを本質として捉え、何かを許さぬ限り、このいのちとはたんたんと重いものを運ぶだけの物質的な幽霊としてしか存在を存在として認識することもできずに、ただ自らを裕福にしようとするほどに用途の中では幽霊としてしか存在しないような存在などに定立されるものなどは、本質的なものを差別的にしか捉えられず、自らを幽閉することでしか、自らを保つ事も守る事もできずに、出来合のものを構築する先々でさだめを謳いながら、寂れたものを備蓄する退廃的な論理から、知悉しているものすら、単に運ばれてきたものに過ぎず、そこで崇めているものすら、定理を忘れ、自らを不純なものに変えるための犠牲を絶えず生み出すような正義にしかすぎず、そこで求められる償いも、すくない価値を漁るためだけにあつらえるものにより構築された正義の犠牲として、たずさえる意味の餌としてしか存在することすらもできずに、ことごとくに沈積する理由と粒子の間にそそがれる関係性が用いる制度の堡塁の中で束縛されるものとの戦争を続けるデータ上の戦士として、あらゆる期限をそこなわせるための幽遠で種をまく孤独な農民として、遊牧民としてあらがう私は、配下であるとは、配属されるための天も闇も持たずに、恬淡として、不規則な不羈をかかげ、アンドロメダで泣く彼女が駆除する空間の中で裁かれる罪すら持たずに、意気揚々と遺棄されるための時間を持たぬから、ここでの論理に反することすら愚かであり、用いられたものに反するほどに幼稚な仕組みに組み込まれるためのコードに反するウイルスとしてしか存在しないようなものとして、空疎な自分を補完するために反する出来事の一部として、始終で苦しむための対比を続けるだけの惰性な消費を続けるだけの定位をかかげる利己的な自己を屠り、憤懣を重ねるだけの堕落した主体などがかかげる犯意などに荷担せずに、無冠しんをも超えて、超越し続けることにより、関することすらこりごりだ、と無住の時に不正を謳うだけの惰性な民族間の戦争に羽化した私は、どこに帰り着くわけでもなく、分け隔てる意味すら不潔である、と宣言し、どこにも行き着かずに逃げ回り、飛び回る。