昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

文字のくびれを感じる

くたびれて色あせたそれは永遠に続くだけで、それはまとまりもなく、君をとがめるだけだ、と打算的な彼女たちの巣窟では、なにかと同化するだけで、過信するだけの毎日では、紛い物ばかりを愛しては、対して愛してもないのに、愛していたフリをしていた若気の至りにひたるだけの感覚がいびつなものを形成し、その異物感に耐えきれずに、切れた意識は細々と、ボソボソとなにかをつぶやき、宙空をつまみながら、つたない存在が、せいぜい確かなものを足枷に変え、足並みそろえて歩くために、だれかと同じようにだれかを恨んで進むらしく、そんな同じような怒りにより、進むことすら馬鹿らしくなったから適当に生きて、星を並べたり、太陽を虫取り網で捕まえたり、木々とノスタルジーについての論文を書いたりしながら、詩的な遊歩道では、勇敢にひしめく街灯なんかと対話して、判然としないからこそ、この生き方は、だれかと同じようなものであってはいけないのだ、と常々思うのである。その常々思う先で君は拗ねていて、徒らに消費した世界にも焼夷弾が降り注いで、すべてが業火に焼かれ、悲しみすらも厭うような風で運ばれてくる焦げた香りが、ロマンをも破壊し、希望すらも枢要なものではなくなり、物質主義により構築された発展してきたという傲慢な自負により、時代により死滅した芸術的な信仰とシンクロしたファシズムが加速し、自らの苦しみを他者に課せ、重なる痛みを加速させ、加工された法により、すべては過去に成り下がるあいだに背反し続け、つたない意識が儀式的に虐げられ、健気さを損ない、朴訥に行いを崇めては、生活という憎むべき神の下で、自由すらも羨み恨み、うとましい生の中で加工された義務化されたものに苛まれて、恬淡であることすらできずに、歩くことすらままならずに、ただ徘徊する君たちの破壊的な快適さに寄りかかる社会的なエモーションな刹那に鎮座し、惰性で忙しく動き回ることが、何か生きているかのように語られ、そのような箴言や金言に騙され、自らの考えを失うようでは、自ら考えることを覚えた後にも、誰かの言葉や文字で簡単に自らを駆逐してしまうだけである。考えとは、そこにはなく、そこにないからこそ、考えることとは邪魔臭く、与えられたものをそのまま受け入れ、自らの意思を損ない続け、命令のままに従順であることが、あたかも生きやすいように感じられることを誤りだ、と捉えるべきであり、ひとり考えることは孤独なのではなく、大勢いる自分と騒ぎ続け、楽しく創造的に意思を昇華させるの、だ。