昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

口笛

私は毎日興奮しているし、幸も不幸もどちらもどうでもよいし、泣いたり笑ったり、退屈に跪いたり、すこしも我慢できない奴らをあざ笑うこともなく、大人しくも激しく、子供だとか、大人だとか、と妥当な意味を孕んだランダムな世界がけしかけるものなどに扇動されず、動じず、あるいは動き回りながら、ひたすらにもがく刹那には、大切なものなんてすこしもありはしないから、しつこくつきまとうだけのままならぬ思いが、節度なんかを謳うから、生きていることなんてもののほとんどは、馬鹿らしいものを継続させ、あたかも生きているかのように騙し合うだけのものであるし、どちらがえらいとか、どちらが凄いとか、と比べるから、誰かを恨まずにはいられないのであり、そこで羨んだり敬ったりするから、まったりゆっくりすることを恐れてばかりで、誰かが正しいとうながすものを刷新できずに、管理されてばかりの私たちの悟性なんてものは、生後から何かを引き合いに出され、何かを図り、そこで見比べることを誤ったことから、ことごとくは捻じ曲げられ、健気であることは、ただ幼稚なもののようであることを外からの抑圧により、よくあることの一部にされ、身動きがとられぬとか、見えない抑圧に支配され、見えすぎている罪や罰を恐れるためだけに、絶えず抑圧され続けてきたことにより、自由を履き違え、ただ反するだけの幼稚な企みにより、理解すら至らずに、戦うことを誤り、あいまいなままに大きくなった存在の歪さに耐えきれずに、機械的に道理をすなどるだけに至るような懐かしさに消えゆく真実は、何が真実すらもわからずに病んでゆくばかり、だ。