昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

週末にからまる終わり

大渓谷の下にたまる動物たちの骨の上に鎮座するシャーマン、漫然とたゆたう今に、時間という概念は無く、ただ残酷に照らす太陽が作り上げた無間地獄のような荒野では、再生されるものは少なく、そこでくたばり続ける大小の動物たち、あらゆる弊害を生み出すだけの都会の記録を映し出す映写機が、カタカタとフィルムが終わった後にも空回りし続け、つつがない瞬間は、ただ忙しく終わることだけに長け、そこでの終わりを待ちわびた君は、いくらなにかを使っても、満足にすら至らず、いくらかなにかを買っては、あたかも満足に至ったかのように思わせられているような間では、育つべき愛も簡単に金により超越され、そこでの大切なことは、体制の餌になりかわり、果たすべき義務は簡単に処理され、日々をたやすく摩耗し、そこで必要とされるものに固執するだけの人々は、情報も使いようを知れば、革命に至ることも知らないで、ただ互いを恨むだけの教唆により、差異は生まれ、軋轢を絶えず生み出す仕組みにがんじがらめになっている意識はいつも要らぬものに囲まれて、自由という言葉に加工された今は、自由という言葉により身動きが取られなくなり、求める自由とは苦しみを生み出すだけであり、そこで憎しみに浸る君のルサンチマンがレトリックを破壊し、なにかとの同化を終えるほどに慟哭しながら、しなびた今に欺瞞を重ね、不満足だからと堕落するだけでは、すぐさまガラクタになるだけである。カラカラに乾いた地平線、喉の奥で焼けた世界、軽薄な理論をたずさえ、迫害されても尚、追求するものにより自らを超越し続ける先には、祈ることすら不要で、不確かなものが跋扈する今を自在に駆け巡り、嘯くだけの愛との袂を分け、くびきを外しても迷わぬように教育により洗脳された君の考えや規律からの呪詛を解いておく。