昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

あらゆる罪の余白

物事を甘く見ては、簡単に他人の意見に押し流されていく人々、行く末は希望すらも潰え、誰もが誰かを羨み妬んだりし、シラフな奴らなんか一人も存在しないのか、と加算される痛みは簡単に誰かを傷つけては、機械的なものにそぐう日々は、底なしの欲に押し流されては、甲斐甲斐しくなにかを崇め、当たり前のように示唆するものに支配され、気配すらも損ない、そこかしこで生まれる苦しみを大量に流布する常套句や、常用するほどに狂う人々の群れや、巣食う意味により復讐をたずさえ、要理を滅ぼすギミックがホロコーストを呼び覚まし、方々を嬲る伏線や、復唱される真実は、何度もその正しさを謳うほどに、正しさはすり減り、自らを正しいと思えば思うほどに、横暴な支配に抑圧され、よくある日々の中で混同するものに昏倒し、行為元々が引き延ばす悲観的な観点に引き摺られる人々が謳う報いや、無数の痛みに阻害されては、被害者意識を加速させて、家族間を破壊する散々な日々の緻密なルールから離反できずに、出来合いのものを崇め、あたかも正しいもののように仕向けるだけの勧善懲悪的な今に起算されるだけの気配とは、なんら真実味がなく、その場でくたびれては、空白を埋めるだけの日々は、いびつな意味を加速させ、加算される痛みが余白を生み出し、ずれて行く存在は、そけでの過ちなどを加工し、即座に混沌とし、その場で蓄積することごとくに痛みを感じては、その場で手懐けられ、和むことすらも忘れ、今にもわずらわしくなる思いは、猥雑なものをたずさえ、即座に自らを膠着させる。動き過ぎな奴らは、あたかも生きているようだが、奴らは自らの虚しさと対峙できずに、逃げ回っているだけだし、そこで現れる苦痛を和らげるためだけに、普通ってやつを演じては、自らを騙すことだけが上手になり、ヘタを打たないように、平衡なんかを保ち続けているフリをしているだけ、だ。そのような正しさが普通を演じている限りは、この世界というものはなんの変化も訪れずに、バカに支配され、バカみたいに騒ぎ立てては、誰かの責任にし、誰かの痛みを簡単に乗り換え、被害者意識だけを加速させ、あんたらの痛みは他人の寂寥たる部位から発せられた超音波なのか、とコウモリの子供が語る森の夜明け、あるいは世界の余波。