昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

高揚する感性

何もなくとも高く跳べるのが、詩であり、詩的跳躍は世界を凌駕し、所有や占有から離れ、敷衍し、エクソダスし、離れ行く記憶に自由や希望や、示す意味すら不必要に、相似する関係を調和し、理論を飛び越え、存在を哲学的に解体し、乖離する理由に理屈はいらず、果たす今にも意味はそこかしこを擽るだけに満たない操作を内外に続けては、対象として認識する限りに従えては、世界に屈従し、自らを見失ったと探すことを嘯くだけに至らせることに、自分などは見つかるはずもなく、考えに果たす動機や道理を持ち込む限りにおいて、清心な答えに至らずに、偏るだけに朽ち果てる。苦というのは、思うところから始まり、認識するままに思うことから、形になり、その苦とは、痛みを孕み、恒久的に今に瀰漫する。長じる矢先に些細な論理は治外法権化し、加算されるファシズムに蝕まれる人間性などが促す倫理観に緩衝し、感染していく経路に指定される区域から行方をくらまし、慢性化していく終わりない病から、死に至る経路に打ち付ける絶望を綻ばせる過程に、果てを用い、終末論を謳う悲劇乱用者の依存心から磔にされた始まりの過程に乱立する所以に退く懈怠から、課題に変貌する偏執的な思考が屈折した資本主義を謳い、ドメスティックな家庭に収め、あたかも清いことは労働に従事し、自らに従事せずに、ただ保つだけの機械として放つ起立が自身に反し、果たす意味すら奪う過程を生み出した封建的な支配性から退く果てに糧を持たず、大量に受注される普遍性が跋扈し、自らを求めるに至らず、ただ周囲に共感する協調性に妥協しては、孤独を恐れ、孤独に育てる知恵を持たずに悶える意志はモラルを求め、用いる是非に捕えられては、淘汰される時代性などに制圧される限りに抑止された本能は、去りゆくままの形の轍をかき消し、誰もが追従せぬように、分散していく区域に印象も残さず、収奪されず、抑止されずに、裁かれずに、関わるすべてをすべてと思わず、思わされずに、思いも重みのままに偏らずに、受け入れるとは、安請け合いばかりでコネクトされる意味から生み出された安易な答えに隷属するだけに兌換される貨幣から価値はカタストロフを生み出し、自らの罪に圧壊するような悪意を自己に積み重ねては、血腥い闘争へと投下される爆弾から、無辜なものを奪う訣別と結末を蓄えたセオリーの中で爆砕する雰囲気や、領土化していく枷を嵌められた破壊的な午後に窮境迫り、誰も居ない深夜に相続していく世界的な苦悩に能動していく修羅を渡り、猥雑な価値が狭い意志をつんざき、偏る思考から雲散霧消しては、女々しい輩が生み出す記憶に培われる今などは、堕落した関わりを放ち、関わるほどに補填される理由と戯れ、報うだけに空虚に破壊されるだけの距離感を抱える空白から、時間的な迫害を受け入れるだけに光景は毅然とした理由に流用され、ただ流される者を生み出し、超絶なルサンチマンを生み出し、孤絶する理由に降り注ぐ行為から怪物が暴れては、要する過程を擁護するだけの価値に住まう原理から横溢する理由に進呈される動機にまつわる仄かな悔悟に沁み入る空間的排除から、配役を決められた演技的な全貌に用いる前衛的な物事も途端にモラルを謳い出し、何が正しいのかを忘れ、正しいとされることに利用され、それを正しいと反する者を捕らえ、罪に屈させ、罰に長じるだけの人間的な法理で囲う理念などは、権力で統治する正義が悪意を追従し、無くならない悪意を妨げるだけにエネルギーを使い果たすだけの世界に加工されるだけの権力を保つための恒常性の手前で屈する異常さだけが目につき、目に余る日々に勧告される理由に裁かれるだけに謀る思いが利用する悪意が曖昧な理想を食い尽くし、廃絶される間柄に縫合されるだけの関係に退く過程から懈怠するだけに占有され、有するほどに求める今に退屈が対立し、ただ退廃するだけに関わり合いながら、交わす言葉は偏るだけに暗鬱な証言を今に重ね、感じるままにもつれる悲劇を撃退する苦悩から能動する先々に求める悲劇などが、劇的に集約されては、収斂される状態に有する形を圧縮し続け、小さくなるほどに膨張しようと反発する力から、超自我は、自らの抑止に反し、一切の力を解き放ち、渇望する今にも突きつける意志から意味を浸透させ、質す力の均衡を保つために敷衍していく精神的な悔悟から、瞬間は解放を求め、もがく間に快楽を用い、そこに屈さぬように示す合間から、曖昧さは際限ない悲劇を流動され、かばい合う瞬間にも要約される間にも零落し、過激な主体に重ねる粛清から、願いは枯淡に消え、演繹する宿命を折り重ねる果てに強度は高まり、対する自己を確立するアイデンティティーこそ、怪しむべきなのだと教える穏やかさに別離していく過程から離されては、査定されずに真相を突き抜ける意志だけが拘泥せずに、何事をも飛び越えることに答えすらなく、すがるだけにくたびれる果てに過程は要らず、用いることに対する自らに用いられる形式に反してこそ、確立される自らに関し、ただ果たされる間に用いられる関わりに反し、自らは、自らだけを掲揚する。