ずっと続くかのように思えた日々も、卑屈にくるまり、漫然と過ごす日々に潤いを与えるべく、たゆたう意味から悲観するだけの太陽に照らされ、怜悧な日々に輪唱される神話の独房へと入り込む傷口を癒やすベクトルに放たれる原因から懸け離れていく意志が、願掛けなどを続ける先にがんじがらめになり、担う意味すらいびつに変わり、色あせる日々に無情な事ばかりが迫り、狭い価値観の独房へと緩衝していく意味合いに均等な位置や、均衡を用い、平等を謳う鳥たちの籠城や、感触も無く、不当な位置に不感症気味な今に咲き誇る現状も、放たれる意味に加工され、こじれる今にも鈍麻な感情を吐き出し、破壊的な道理や、理想を失い、照合される現在に対比するだけの理由に恒常的なこじれや、孤独感に苛む君の内面でうるさくしゃべり続ける自己から、投影される物事に混血していき、また人を信じはじめ、人が人を超える事を信じ、ただ伝える事に攪拌される今が可能性だけをたずさえ、錯覚を用い、ギミックに有する過程から、干渉するほどに逃走し続ける意志や、陰鬱で周到な淫雨や、陽炎と犬と模写から、仮象する現在に悲歌を歌い、旋律を蓄え、風と踊る日々から、王道をくぐり抜け、空想的な予感にたずさえる幻影から、ゲリラ化する攻撃的な自己から、自我へと帰巣していく本質や、感情的な論争に巻き込まれ、約束や契約で迎合されるだけの現在に放つべき意味も、ただ真っ白な理論に高潮するものが赤々と思春期的に染め上がり、聡明な時折に織り込まれる呪いや、能動的な補完から、宝前へと立ち尽くす原子核や、現状に猛る思いが、はどめも無く、吐き出される現在に敗亡していく命が寂寞に放たれ、はびこる愛を寄せ集め、生命の起源に英明を授け、預かる原理に反し、かかずらう意思に用いられる答えなどに退行せずに、精神構造から突きぬけ、創造的な化身として、形跡を持たずに放たれる空間にすら反し、ここに至るまでの経緯すら捨て去り、主体性に織り込まれる概念的なものを捻出する以前に漫然と猛る思いが昇華を続け、逍遥する先に用いられる理由に関し、かかずらうことなく、少しずらし、ずっと続くからこそ、この思いは空っぽのままであるべきで、ただ用いられる事に嵌め込まれるままに、蔓延る悪意のようなものが憑依し、表現を奪い、意志的な暴虐へと至り、意識的な力により、意思は偏り、悔悟をため込み、広義を奪い、動機をしらふにさせずに、嗄声を促し、咎める隙間にアンニュイなものや、淵源に蔓延る暗鬱としたくすみや、空虚さを用い、素因に馳せるものが、大義を失う。漂う意識は、宇宙空間を鈍麻なままにさまよい、表示されるものに反し、ただ浮遊する感覚だけで物事を処理し、その歩みを流れるままを知る者だけが、何の正しさにも左右されずに、自らの意思だけで進み、啜るだけの脳内から、カラカラになったこころのタンクに入れ込むべき燃料は、愛以外に無いのだ、とあいまいなままに求める愛も、その愛自体に苦しむのであるし、求める愛に本質的な愛は見つからず、求めるままに用いられる愛とは、恩着せがましくやかましいものであるし、物事を虐げ、愛により、その愛を曲がったものに変える訳であるし、そこここにある愛も、あるがままに備わる限りを満喫できずに、互いの愛に締め付けられ、そこに使命感や義務感などが持ち込まれ、そこに氾濫する普遍性も、儚げで、用いられる愛により、物事の善し悪しを決めつけるほどに、逃げだすのが愛であるし、そこで蔓延るものを恨んだりし出すのも愛のなしえる技であるし、技巧なギミックに不眠気味の君の雰囲気に攻め入る連絡から、聯立していく廉恥や、連理や年輪を蓄える夫婦や、風光明媚な時に迫る端的な愛から、怠慢なものを疎外し、自らに帰り着く安堵に戒律すら無く、規律すら無いからこそ、何事にも統治されずに、通り抜ける愛にも愛した事を褒め称えるような事もせずに、たまゆらに消え入る本質にドメスティックな一貫性を放ち、一過性の事実や、期日に迫る行為がエモーショナルなものを重ね、抱える出来事に観点は疎外されても、用いられる愛を超え、ただ愛する事に充填され、重要なものは、この愛と名付けられる以前に備わる超自然的な物事に飛来するものが、自然を用いる以前に備わる事に大義を用い、体感するほどに、愛とは、感じ反響するものであるし、始まる間に交わる奇跡から、記号化した短絡的なものを磊落なものに変え、不羈なままに描く真実だけが、愛がなんたるかを知るよりも、数えるよりも、そのままに備わるものを愛しはじめるままに交わる命にかじかむものを包括し、抱擁する事から、愛は知るよりも、感じ感化し、反響するものであるのだ、と。