人間からの逸脱
用いられる苦しみを背負いながら、偽善的なものが商売を続け、伝わるものも、意識的なものに狩られ、完全性を謳い、惰性な者が芝居を続けるだけに浸る体系的なものに関わりながら、散漫な意識をドレスアップさせ、行動をとどめるだけのセンチメンタリズムへと逍遥する意識的な汚穢を重ね、陰る意識は、性善説を謳い、何かを悪に仕立て上げ、購うだけに至らせ、怠慢な意識を生み出し、懸け離れていく今に枢要なものすら無くなり、内面的な静謐さを攻撃するだけに至るような論理的に馳せるものが、異物感を生み出し、即座に汎用されるだけの意味合いに不潔なものを作り出し、惰性なものが気配を牛耳り、理性を損ない、苛む記憶や、季節感に封鎖される原理的な固執から、理想を供給するほどに、過剰なものを生み出し、情報過多になるほどに、途端に窮屈になる精神が、逸脱を求めずに、そこに現れる苦しみを供給し続ける先々で対立を深め、退屈さを謳い、貪婪な意思がむさぼる現在に浸るだけの悲観的な効能から、能動すべき意思を損ない、従うことだけが、世界を取り戻すのだ、と妥当な位置から引き出す卑近な意味にシンクロするほどに、舗装される真理は、慟哭を求め、何かを同情することだけが、この世界を救うのだ、と妥当な位置から引き出す意味を背負う義務感に追われ、屈従するほどに、無神経に崇める世界とは、対象を求めずに、独りよがりに遂行するものだけで、世界を飲み込み、そこかしこにジレンマを生み出し、まがい物を作り出し、消費し続けることだけを目的に何かを生業にするものを破綻に追いやることだけが、自らを取り戻す手立てであるのだ、と宣言する間に散漫な意識は、高慢なものになり、担うべき意味も、背負わされた義務により抑圧され、揺動し続ける先に動乱は、生まれ、凡庸なものに騙され、そこに現れるものだけが、真実であるのに、白昼夢をさまよい、今に見出すべきものから目をそらし、逃げ惑う意識は、戸惑いを隠すためだけに、ためらわずに、何かを攻撃することだけを目的に、攻撃を続けるような倒錯から、錯雑とした観念が生み出す主体性などが、制圧を求め、何かを闘争の外に追い出す限りに陰る本質は、何かを怠慢なものに変え、翻す意味や、今に不本意なものを生み出し、超克へと至らせずに、今の苦しみに陥らせるだけに至るようなやり方が、利己的に攻め入り、生命の危機などを謳い、魯鈍なものへと陥られ、応用されるだけの真偽が、人徳などを用い、独善的な手法で何かを漁り、踊らせるだけに至るような宣伝に加工される意思などは、自らを解消もできずに、与えられる快楽や餌により、認識するものを、あたかも自分で得た物のように思わせられ、些細な出来事に喪失し続けるだけに至り、訝る先に生み出す意味も、境目を謳われ、災いを通過し、毒性を高め、自らを窒息させるだけに至る。地を這う意識は、血合いを行われ、食べられるだけの隙間に放られ、排斥される淫靡な結末に消費されるだけの怪訝な様子に攪拌され、自らを包括するものへと飲み込まれ、レジスタンスへと至らずに、ただ自らの未熟さを定めるだけの位置に奇跡などを求めるような観念論的で空疎な幻想に浸るような結末が生み出すニヒリズムから、各地に犠牲的なものを敷衍させるだけの意図や、緻密な意味を捕食するだけの偶像的な対話から、構造的な排除を受け入れ、廃絶していく存在へと高揚していく経過から、観点は、即座に廃棄にされ、些細な倒錯や、等差を生み出すだけに踏み違えるのが、人間であるし、そこにためらいを生みながら、奪い合うだけに至るような関連から、制度は横着なものを生み出し、阻めるだけに至らせるような関係に軽薄なものや、正気を失い、正常さを謳われるほどに、補填される普通などに操作され、齟齬しなければ最後、蹴落とされ、二度と上がってこれなくするような冷たい世界が虐待を続け、真実を見失い、身動きも取られずに、織り込まれるものに飲まれ、恒常的なものに適正するほどに敵愾心を生み出し、体制的にこびりつくような儀式的な散華を送り続けるだけの憂鬱の従僕として生きるだけに徹することだけが正しいとされ、戦士として生きることを辞めさせるためだけのでたらめな法に囲われ、拗れる先に生まれる意図も意味も、即座に損なわれ、そこかしこで捕縛され、今に漁られるだけに至り、見出す未来も、誰かが生み出した規律から、怠惰に示されるものに、快諾すべきだ、と強制し、不安を煽り、暴力的に閉じられる永遠から、対話も生まれずに、何かを抑止するためだけに善悪は利用され、そこに用いられる恐怖だけを武器に、何かを統治するのが、有史以来から続く人間的なものが示す方法だけを頼りに模倣し、模索した結果だけが、今を踏み台にし、何かを生みだした、という優越感に浸るだけの軽薄で浅薄な者だけを生み出し、快楽に従順な傀儡を生みだし続けただけ、だ。