昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

快活


 いびつに形成された君の記憶が浄化されることをめざし、昇華を続け、ひたすら純粋で無知なままに今を仰ぎ、刹那にとどろく意味を弊害に変えるだけの位置を放棄し、無償に築く今が疲憊せずに、長じる瞬間に厭うことなく、言葉の影を背負い、プラトニックな変換から、転化していく意識がつぎつぎに一生を着替え、そこかしこに現れる原罪とは、点と線を結ぶ現実との罠に変わるだけの歴史に意識を沈下させ、そこに生まれる誓いが苦しみを与えるだけに至り、あてがわれる苦しみに補填されるだけの意志とは、短絡的なものを信心し、そこに生まれる力に腐敗していくだけに至らせ、いぶかる先に責任を背負わせ、世界性を崩壊させるだけにいたるような倒錯から、そこに生まれる等差は、尊さを踏みにじり、生きていることだけに生まれる倒錯から、錯雑とした観念に措置されるだけの憂鬱に偏向していくだけの意識的な汚穢に斡旋されるだけの瞬間から生まれた結末から、迎合されることだけを信心し、今に帰巣していく一瞬の出来事にまじわる神秘も真理を謳い、何かを奪うことでしか、自らを認識させることもできずに、出来合のものを侵攻させるだけに至るような人間的な対立から、悲観していくだけの退廃的な妄想へと至らせるような繰り返しの中で裁かれるだけの値から、あいまいな現在に点在している意識的な横溢から、今に逸脱し、惰性にうごめくだけの理想とは、思想を用いずに、ただ与えられるものに旋回し、一過性の事実に一貫したものを損ない、そこかしこに優劣を決め込み、起動する理由や、季節感に封じられるだけの意図や、互いを寂寞に押し込めるような理想から、理性を損ない、そこで完治しない苦悩が今にもうろうとしていき指定される意味や、そこに生まれる義務だけに動かされることを、生きているなどという言葉で操作し、今に用いられる自由などは、論証もできずに、その場で突きぬけることもできずに、用いられるモラルに理想を供給し、そこで即座に束縛されることだけが、あたかも生きて捉えるもののように扱われるような歴史へと引きずられ、今に卑近なものにまじわり、言葉の広大さに処刑されるだけにもたらされる苦しみから、空虚感に磔にされ、はりつめる位置から、移行し続ける言葉を背負い続けるだけの原罪をかかえた始まりの神は、いくつもの歴史に抑圧され、自らの徳により苦しむような反復の中で軽薄なものを抱え、加算される意味に原理を押しつけ、自ら苦しむことを傍観するような乖離したマゾヒズムから、立証される真実に用いられる仁徳により、圧迫される精神は、自らを縁取ることでしか、自らを正しいものに制定できずに、確立されるものなどは、その場にとどまり、魯鈍なもので今を征服し、複製されるだけの真実に兌換されるような惰性さに性差を用い、最たる意味を持たずに、今に軋轢を与え、迎合されるものを謳い上げるような退廃的なモジュールとして生活することだけが、、自らを正しいものとして認識するような哀れみにもたげ、怠惰な歴史に鎮座するだけの枢要を持ち上げ、強制的な支配から、気配に択一していくものなどの不毛を用い、同情へと誘うような歴史的な溺死から、アニミズムを誇張し、自らを無自覚なままに無為なものとして、自由をカタルシスへと誘うための十全とした正義として従わぬものを処刑するための呪術を用い、選択権も与えずに、あらがうほどにからみつく意味との密度や、密接にむすばれる意味との位置的な地位をもたらせるための権力の外堀を破壊するためのデータをけたたましく吠えるような獰猛な獣として、一切の義務を孕み以前に懶惰なものとしていぶかる先に堅持する理想論的な剥奪から、隔離されるだけの現在に転換していく意志のまがい物を濾過すべく、途端に苛むだけの理想に強制的に移送され、強制労働に従事していくほどに補完される意味とは勘違いを生み続け、奪われることに置かれる自らとの距離を生み出すマルクシズムの優劣から、誘導される意味を補填し続けるだけの不安との統合から、問われる悪を操作する正義こそが、本質的な正義を偽装し、そこにあらがう悪を制定すべく、規律の下で成敗を繰り返し、勝敗を用い、そこで互換し続けるものが負担するものを分かち合うという幻想をモチーフに自らを膠着させる歴史に沿うように後続していく意識が生み出す優越感に飛翔し続けるような似而非超越がもたらす悲劇の構造に補完され続ける安易なものの捏造から、延々と老け込む意識は、疲憊し続け、そこに用いられる苦しみに補完されることだけが生きていると認識できる最後の手立てであるということで加速する快楽へと移行していくマゾヒズムが補完していく悲惨で陰惨なものを自身の内部で加速させ、そこで思うことに示されることだけが、自らの存在を確かめることであるという苦しみから抜け出す。