昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

移行


 誰もが信じるものを失った後にひろがる純粋さだけが、今を虐げずに、したがえる意識に追従するほどに、自らをそこなう喪失感に揺らぐだけの時間に遅延していく意識は、今に思考停止にいたり、老化するだけにいたり、今に干渉する悲劇から、仮想する今にとどまるほどに、からまる意識は、自らの矛盾に耐えかねずに、外から迫るものに飲まれ、自らを破棄するだけにいたらせるような苦しみを加工しながら、観点に疎外し、様々の思惑にとどまりながら、行き違う意識は、今に仲違いし、互いを恨むだけにいたるような意味の中で削除されるだけの悪趣味な思考を再利用するだけの記憶が見せつけるものにとがめられては、虐げられるだけにいたる原罪により、懸隔は生まれ、狭まる事無く、何かを騙すことだけが、自らの純粋さを保つ秘訣なのだ、と子供心に抑圧され続ける先々で対立を生み出し、互いをとがめる理想と、そこにとどまる苦しみにより、かかえたニヒリズムに加工されながら、些細な痛みに麻痺していく苦痛と通過儀礼に補足される悲壮感や、安易な欠如を用い、自らを束縛することでしか、自らを手懐けぬような輩が支配する疲憊した世界にとどまることだけが、今を生きることなどとうながすような定理は、怜悧さを失い明晰な判断すら執り行えずに、今に徒労にいたるようなものを追いかけるだけにデカダンなものを法則的に生み出しながら、何かが生み出す敵愾心に支配され、様々な痛みに加工された品位がうながすルサンチマンな倫理観に酔い痴れるほどに、補填される苦しみとは、今に苦しみを生み出すだけにいたるような退嬰的な緩慢さにさまよう意思は、陰鬱な衝動を抱え、意味にほどこされる苦痛に処理されるだけにいたるような精神回路を破壊するための刑期をかかえ、生じる苦しみに統合されることだけが、正常だなどとうながすような死の欲望から、信仰する意識的な神を定義に、自らの社を作り、自らを奉り、自らを奉納し、自らを生贄に変えるような儀式的な昇華の中での資本主義的な契約から、迎合されるものに引っ張られ、そこで押し広げられる苦痛に酔い痴れるだけのマゾヒズムから、ヒステリーをいざなうような陰惨な形にモラルを謳うだけの普遍性の不潔さに現前は消費されるだけの今を吐き出しながら、ねぎらいや、願いや祈りなどを散漫に謳いながら、たまゆらになびくルーツもルールの中で嬲られ、自らをいたぶることだけが、快楽へといざなう秘訣なのだ、と彼女たちがカタルシスをうながすころには、孤独の病が加速し、自らの陰鬱を消費しながら、自らを消費的に食い散らかし、簡単に処理される身体が消費的な愛へと背反できずに誘引され、自らの欠乏を謳うほどに魯鈍なものを用い、自らを貧寒なものに変化させ、感情論的な裁きから、散漫な意識は、儀式の中での罪を消費するための愛を用い、自らを傷つけることだけに専念する。捻出される愛は、希望を持たずに、ただ用いられるもので測ることだけが、正しいことである、という現代的な麻痺を及ぼすだけの卑屈な情報が打ち出す快楽的な何かが何かに依存すべきである、と宣言するような空疎なペシミズムを生み出すような生産性だけで、世界と名付けられた途端に、世界の中でのサイクルにひたるべきだ、と自らを消費するための快楽を追い求めるような獣であるべきだ、と誘引される自己の中で優位とするものなどは、自らを依存させるような物質を求めるだけに元手も不必要で、幾ら不潔であろうが、自らを満足にいたらせるものが正義である、というデカダンな響きから、貧寒なものが打ち出す正義などが悪を捏造し続け、憎悪を往復しながら、ここで反復するものが、卑劣なものを生み出し、君を意味の中に閉じ込め、初初しさもそこない、何かを愛するという悲劇から、悲観的に関し、処理し続けるような藝術的な昇華をほどこす詩的な消費だけが、善悪がなんたるかを知らず、そこで自らに純粋にしたがうことだけが、自らに及ぼす力だけが、自らを動かすべきであるし、何かに動かされる限りに今につたないものを生み出すだけの影のままで終わるような存在がかかえる汚穢や、今に瓦解し、何かの虜になるような理屈を捏ねる先々で熱情していく意識は、今に悲観し続ける自らの苦しみに酔い痴れることでしか満足にいたらぬような悲観的な人間として、今に鬱屈していく生じる苦しみに理屈をうながしながら、自らをそこにとどめ、自らに統合されずに、与えられた名前により、自らを誇示するだけにいたるような出来合の真実から解放できずに、その場で屈従することだけが、与えられた名により、自らに生じる苦しみや、理不尽にからまる先に生まれる空虚さから解放されずに、そこで自由を求めるほどに、自由と自己との懸隔が生じ、そこで亀裂を生み出し、自らとの軋轢を生み出し、自らを傷つけることでしか、自らを認識できぬように示すような名前からの逃走を試みるべきであるし、そこで必要としているものなどは、ほとんど不必要なものであるし、そこでかかえているものなどは、なんでもないようなものなの、だ。