昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

初期衝動


 幼い時から、自らの価値は、自らが見出し、何かに教えを乞うよりも、何かに抑圧されてまで、何かと、同調や協調はしないために、学校を放棄し、自らが学びたいものを、自由に学んできた。あらゆる法は、空間に揺らぎを生み出し、自らを不自由にするものであり、自らを囲う国家すら、私を加工し、順応するべきだ、と脅迫する。与えろれた論理は、今にいびつなものを生み出し、何かに偏りを生み出し、意志を踏み台にし、あらゆる抵抗を罪として捉え、今に罰を与える。あてがわれた意味は、今を不自由なものに変え、問題をすり替え、正しいとされるものが、悪を捏造し、悪を利用し、自らの正しさを強調し、その正しさを共有するための、教育を施し、逸脱しないように矯正する。そのような正しさに、正しさはそなわらず、絶えず差異を生み、何かを苦しめるために保たられる理由などは、既得権を守るための道具としての人間や、人間と名付けられた傀儡どもが、自らの生活を保ち、守るために、正義を利用し、悪に転じていく。独我論的な考えを加速させ、束縛から放たれるために、自由を謳わずに、自らが選んだもの以外は、懶惰なものとして捉え、自らが生み出す力だけが、唯一の力だ、と唱える。何かを、与え続ける者は、「悲しい」のである、と伝えるデカダンスの連中が示唆する運命論的な昏睡から、等差を生み出し、淘汰されるまでの歴史に鎮座するだけの王が騙るものに耽るだけの連中が、支配下に置かれ、帝国主義に反しようともくろむほどに、王に跪く結果に導くような連動から、道理とは、不潔なものをたずさえ、自らを支配下に置き、みちびかれるままに消費し続ける精神は、今から逸脱できずに、過去にとどまり、鬱々としたものを連ねながら、被害者面し、短絡的で軽薄なものに陥り、掲揚されるものを崇め、自らも国家の一員として執り行う義務のために、幼稚な抵抗を続け、自らをペシミストに変え、偏執し続ける事が、変化のように騙られる間におちいる闇や、応じるだけの答えに寂寞は生まれずに、詩的な流動性を生み出せずに、惰性に見出すものだけが、本質的なものとして捉える先に存在とはそこなわれ、自らの不確かさに苦しむだけにいたる。徒に消費され続ける精神は、自己から乖離し、理解を得るために虚偽を綴り、自らを正当化するための自堕落さに気付かずに、自らの空腹を癒やすための要理にもとづくエゴだけが、自らを朦朧とさせずに、しかと見つめる先々で対立を続けるよりも、そこから乖離し、理解すら得る必要性もなく、そこで幼稚にみちびかれる先に見くびり続ける意味は疲憊し、自らを傷つけることだけに専念し、捻出され続ける苦しみは、今に鬱陶しくからまり、関わるほどに、わずらわしいものを形成し、証拠も残さずに、自らに入り込み寄生し、今に苦しめるためだけの悲しみを引き出しながら、過去を引き合いにし、今に苦しむだけの定義の中で裁かれるためだけに、自らを罪深い者として制定し、自らの罪の中でしかはたらきを得ずに、ただむしばまれる自らを傍観し続ける自己との対立を続けずに、ただ外から与えられる影響に責任をなすり付け、確かな自己にすら行き着かずに、誰かに与えられたアイデンティティーだけが、自らを成功に導くなどとうながすような金言に左右され、自らの意志を損ない、誰かがうながすものだけが、真実へと導くような間に生まれる支配的な論理から、論証されても尚、それに反し、抵抗を続ける者どものあくどい至福から、そこかしこで生まれる退屈な法から、理想は、供給され続けているようなふりをして、おざなりなもので今を支配し、訂正されずに、ただ、そこで正しいと位置づけられるものにこうべを垂れ、たてつくことも忘れ、何かの主義を背負いながら、いい気なっているだけでは、何の変化も与えられずに、ただ邪推し続ける先に破壊を生み出すだけの定理にもとづくものに迎合し、簡単に処理された昨日をうらやましげに見つめ、もう明日など来ないでくれ、となげくよりも、もっと獰猛に自らを見つめ直すべきであり、そこで固執し続けても、そこで消費され続けることは変わらずに、ここで支配され続けるほどに、贋物の快楽は加速し、何かの傀儡として死するまで、自らを消費し続けることに置いて行かれる心身は、自らが存在していることすら感じられずに、何かの道具として嬲られ、死する一歩手前で放置され、そこで補完され続ける快楽のためだけに生きる亡霊やゾンビとして生きることだけが、ここでの生活を保ち、守るための摩耗であるのだ、などとうながすような定理などは、弁証法にいたらずに、ただ継続することだけが、今の豊かさを保つのである、とうながすようなものこそ、現実を見つめておらずに、その場で継続されるものだけが、しあわせを約束する、と騙るような者に耳を貸さずに、自らに帰り着き、そこで表されるものなどは、そこでの支配を続けるための欺瞞を続け、そこで耐え続けるだけの意思は、死ぬよりも悲惨な生を続けるほどに、自らの存在などは感じられずに、存在の軽さに取り残される精神は、そこで用いられる不確かな満足を追い求めるほどに、自由から遠ざかり、求めるほどに、利用される結末にひたるだけのペシミストで終える。