昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

幼い頃からたくわえたもの


 ここで続けるセッションが永遠に引き継がれ、つくづくに迫る鈍磨なものを感情的に動かし、絶えず巻き込む思いを否定的に捉えるだけの惰性な者が示す問答が引き合いに出す惰性な答えが達成感などをいざない、何かをなじる間に、結末は空疎なものを引き継ぎ、追憶に比する観点を疎外させるための騒音をかき鳴らし、画期的に隠滅し、インモラルな衝動から現れる焦燥感や、焦熱し続ける先にぬくもりすら失われ、憎しみだけが現れるのだ、とうながすようなペシミストどもの群れから離れ、蔓延る悪意とは、悪を思うことより、何かを正すことにより、巻き起こるものであり、あらゆる正義とは、何かを踏み台にし、何かを守るための攻撃とは正当化され、何かを保つために何かを裏切ることは正しいものである、と示すような正義がうながす犠牲から、悪とは、ただ裁かれるために屠られる悲しみを乗り越えるために悪に染まるのでは無く、悪である、ということを認識させるために悪を強制し、悪を演じている間に悪であるということを誤認し、自らの罪に絶えかねずに裁いていくれ、とひざまずき、ただ裁かれる自らを犠牲にし、儀式的に処理される自らの無残さに快楽をおぼえ、改悪される真実がモラトリアムを有し、油然と現れる簡潔的に証明される結末へと引き継がれていく悪を延々と受け入れることにより、自らの悪を美化し、悪であるために正義に裁かれるためのツールとして、多目的に有するルールに加工され、跛行しながら行く先々で対立を深める現実性が生み出す制度に刺し違えるために、履き違えた意味を背負い、義務的に制される間に強要される悪を利用する正義は、犠牲に対して、何の感情すらも持たぬのに、何かをサイコパスに仕立て上げ、普通とは何か?というもので操作し、普遍性とは不潔さをかかえ、その不潔さを浄化させるためにいざなう形式の中でしか機能しない正しさを利用し続ける正義とは犠牲しか生まない。本当に犠牲しか生まないのか?と阻む精神的な依存性を企てる惰性な神経が拘泥する意味の中で受理するものや、そこかしこで樹立するものの物陰に隠れ、無機質で無意味なものを裁くための攻撃性だけをたくわえ、何かを否定するよろこびから、そこで批判し、何かを罰することで現れる快楽の傀儡として、迎合されるものを記号化し、ゲーム化していく先々で弱い者虐めだけを行い偶像崇拝を続ける輩が製造するものが生産性を騙り、軽薄な経済の中で迫害されることだけをよしとするようなコミュニズム的な欲動に同化するだけの卑賤な価値だ、と金銭を否定し続ける先に現れる貧困すらも知らずに、ただ批判的に乗り越えられる金とは、貧寒なものを絶えず巻き込みながら、孤独感を増していき、自らの暴力性だけを加速させ、すべてを枷に変え、課せられる義務を生み出すためのキャピタリズムと対峙していく強大な敵でも無くなり、ただ否定される的としての絶対的な悪としてイメージを植え付けられ、キャピタリズムの中でキャラクター化され、誰からも愛されずに、ただ語られたものを改悪するものとして、物質主義のいちばんの敵として、敵愾心を燃やすような者を燃やすような者が差異を持ち出し、何かを延々と否定していくことに回帰していくものすら無く、ただ批判されるだけの当ても無い旅路から、退廃的な受理を続けるつたない精神は、ただひたすらに裏切りに絶え、構築される意味の中で悟るものなどは、ほとんど無意味な悟りであり、そこで悟るものなどは、与えられた意味の中でしか関係性を結べずに、結ばれるほどに兼ね合い完結していくものが悶え、ただ裏切ることだけが正しいことだ、と美化されるだけの裏切りの歴史から、血反吐を吐き、恥辱に絶えるだけの日々です、とうながすようなニヒリストの偶像が捕食する仏教的な症状から、簡単に処理される少女的な保身から、縫合された傷を引き裂くような解離性の原義へと、末梢されるだけの精神の鋭利さに切り裂かれ、散漫な形式にたずさえた歴史などは、邪魔になるだけだし、誰かが示唆するものなどは、支配するための歴史を捏造し、増幅する憎悪に補足されるもので、さらなる憎悪を呼び覚ますべく、神を利用し、思想を利用し、何かを操作し、何かを裏切りながら、何かを見つけることすらできずに、見つめる先に現れる空疎な自分に補完される普遍性などが編成するものなどに制される間に差別的に焦燥していく間から、あいまいな毎日とは惜別をむかえ、無情な時折に措置されるまぼろしや、たたずむ君に影響するものや、英気を養うことすらできずに、演技を続け、通過儀礼だから、耐えろ、と強制される間に精神は砕け、誰もが補完されるだけのものを待ちわび、何かを与えられることだけがよろこびであり、幸せの近道など、とうながすような幻想から放たれ、自らが行き着くものだけが生きていることを利用せずに、生かされているなど、と同化せずに、以下同文なものから分裂する。私は、幼いころから、誰かに何かをうながされることを拒否し、何かを教わることも拒否し、何と平等である、とうながす前の平等とは、平等である、や平等であれ、というような意思すら持たずに、ただ平等を用いる以前に受け入れることすら考えずに処置したものだけが純粋であるのだ、ということを示すために勉学を続ける限り「すべてを拒否する」。