昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

メドゥーサ


 空襲のサイレンが鳴る。靴裏に隠した最後の弾丸、やせ細った家族が踊る終末論的な晩餐会、核開発の奴隷どもが鎮座するちぐはぐな日曜日には血が降って、誰もが論争の蚊帳の外であるから、自らの罪に気付かずに、誰かに罪をなすり付けるのだという罪のなすり付けを行う限りに、何かのなすり付け合いは終わるはずもなく、幼稚な論争とは貪婪な者や、紊乱な意見しか話せぬような輩が、目を真っ赤にして嘘八百を並べているのであり、そこでの傲慢さに耐えられないから、自らをファシズムに改造して、邂逅をめざす犬どもとの対話を終え、絢爛豪華な戦争へと移行していくのが、人間としての幸せなんだよと煽動して、僥倖を取り逃すなと煽りながら、裏では違うものを煽動して、終わらない戦争へと至らせ、自らの私腹を肥やすためだけに生きるのが、幸せの近道なんですと謳うほどに、潤う日々に笑いも止まらず、淘汰されるべきは、どちらの暴力なのかと、暴利を貪る者こそが、価値を司り、何かを踊らせるほどに、自らの価値はますます高まるから、高笑いも止まらぬと、求められる戦争により、潤う国家こそが、価値観を家畜に変えるのだと、無政府主義者カタルシスをうながすために求める内向的な戦争よりも、鮮度の良い戦争を求めるべく、敵対心を燃やし、敵愾心を燃やすための燃料を次々にうそぶきながら、駆逐されるべきは、罪を用いるだけの正義なのだと、犠牲を絶やさずに、ただ蓄積される悪を葬るためだと何度も何度もうそぶきながら、煽動される民衆の決意は固いのではなくて、煽られることにより増していく憎悪の犬として、あらゆる根源を破壊する小さな群れは、やがて大きな意思の波と変わり、すべてを飲み込み、なぎ倒し、破壊し尽くしても尚、次々に送られていく憎悪の奴隷として、隷属する怒りとの和解を求めずに、ただ破壊するための礎から、あらゆる教育の陰鬱さに耐えかねずに、破壊することだけを目的にするのが、我が生命であると、問い質すこともなければ、破壊的な子供として、世界の胃腔で暴れ、地球もろとも破壊するのが目的の悪趣味なファシズムから、迫真の演技で謳われる自由により、不自由になる民衆は、意識の奴隷として、あるいは、意味合いすべての不埒な付属品として、あらゆる原理を加工するだけの工作員として、印象操作を目的とするプロパガンダに専横されるだけの主義的な偽装から、昏倒する意識はアニミズムを持ち出し、土地に備わる霊を加工し、穢れを利用し、清められるようなフリをするだけの意識的な改ざんから、どこにも誰かの奴隷であることを目的とする行為に卑俗さは備わり、そこかしこに専用とするような主義の偽装から、犠牲こそが美しい物語の結末を生み出すのです的な類推から、枢要なものは、この命を確かなものに変える未明に備わるとか、ちぐはぐな権利を謳いながら、僕はといえば、治外法権のロッキングチェアーで、ロジカルな秘宝を集めながら、均等な位置とは、意味から生まれるのでもなければ、一丁のピストルから生まれるのでもなければ、煽動されることにより、簡単に勝利へとみちびかれ、異様な止揚へと移行し、獲物として、行為にしているかのように思わされ、あたかも正しいもののようにひもとくものこそ、身元不明のものであるし、そこでみすぼらしい価値をかかえても、次から次へと迫るものに遅疑を生み出すだけである。そのような者が示す詐欺まがいの差異から、インタラクティブで初心な者を操作するための宣伝によって、効果的に硬化させるために、あらゆる意思とは、メドゥーサによって石化され、次々に迫る嘔気に耐えかねずに、吐き続け、自らの意志がなくなるまで、内容物をまき散らし、空っぽになった身体に一貫した主義を植え込む衆愚の普遍性から、具現化される罪の迷い子として、あらゆる神の代用品がうながす畜生の価値によって、飢渇し続け、渇望し続ける先に得る欲への罪の意識に耐えかねずに体系化されるだけの経過から、滑落していく意思は、意味の奴隷として、あらゆる罪の屈折した子供として、次なる奴隷を生み出し続けることから、はみだすことをおぼえるべきであり、何かに溺れるよりも速く、何かをおぼえるよりも鋭く生きることを教えるために書き続ける。