昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

からくり

みんなは情報を神として迎えて、画面に張り付いている。私は哲学を伴侶として迎えて、静謐に過ごし、少しの情報とは、時間を奪う悪魔みたいに語る君の口を縫い付けて、どこにも言葉が逃げないようにして、自分の孤独に立ち向かうべきだと告げたとしても、君は聞く耳を持たずに、立場を利用し、裁きを加えるような誤った法を利用し、国家を盾にして、独善的な裁きを与えることにより悦に浸る。どこにもゴールなんてなくて、書と癌により、死に至るのか?はたまた自由とは、従順であることでしか認識できないから、退屈なままに自由を追いかけることだけに必死で、あらがうほどに現れるものの道具に変わり、偶像崇拝を続ける傀儡として洗礼を受け、退廃的に理想を語り、自らを生贄として捧げるのか?君が写す料理は退屈だし、誰が何を食おうが気にもならないし、そこで飼いならされ、不平不満を語るほどに遠ざかる幸せとは、本当に幸せなのか?この不安は宙を食い尽くし、宇宙の果てよりも先に、すべてを食い尽くすのが自分で、その食い尽くした先には自分が現れて、共食いを始めるのかと、加算されたギミックに通過儀礼に、ギリギリの生活に、軽快なリズムにと、うるさく迫る現実とは、還元されるもののために食べられ、弔われるのかと、換算されるものだけが変わらずに居て、あらゆる悲劇を踏み台にするメディアからパンデミックする憎悪が黒い雨を降らし、くたびれた社会的では、なにかを羨み、慰めることが営みのように語られ、感情的に光る稲光がピカピカと美しいのに、ただ虐げられることを喜ぶ連中の歪んだ理想が、世界をさらに歪ませ、生きにくくしているのにもかかわらず、相変わらずに、相対するだけの奴らの理想とは、理性もなく、ただ快楽的に誰彼構わず駆逐するだけである。