昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

乾いた朝

良い時なんて、ほんの一瞬で、そこでときめきを孕んでも、過ぎ去れば、なんてこともない一瞬であり、そのような数限りない儚さがもたらす瞬間が、永遠を孕み、存在の陰影に変わり、めくるめく状態は構築され、その都度その場で瞬間は膠着する。増築された生の上にのしかかる死の重圧、圧壊した感情がペチャンコになり、数多に塗り替えられた精神が成否を決め込んで、そつなくこなすだけの日々では、大脳は湿疹にかかり、時代的なアレルギーにより、麻疹はさらに伸縮し、口うるさいだけの真理に迎合する。健気な我々の短絡的なナショナリズムに蝕まれ、排外主義的な者が謳歌する世界に膝枕してもらっている甘えん坊な君の堕落した表情、意識的な恐慌に震える痘痕も靨状態の私の酸欠、僥倖なんてクソ喰らえだし、打算的な奴らを朴訥に殴り倒し、薄利多売を繰り返すだけの資本主義的な趣きがない気配から逸脱し、世界なんてものは、シラミと蚤であふれた快活さのかけらもない不潔なものであるからこそ、なにか愛情に似たものが敷衍していく母性のようなものが、ファルス的な観念論を押し付けるロジカルで浪費されるだけの権力的な父性を蹴散らすために、私はロボトミー手術を受け入れ、路地に捨てられた海馬を自らで踏みつけ、笑うことも忘れ、機械的な労働に馳せ参じる合間にあいまいなプロセスが、プロレタリアート独裁なんかを叫ぶ呪詛がなぶる今朝の雰囲気が滅び行く先々で、対立ばかりが生まれ、含蓄する空疎な存在たる箱でしかない君の思案なんてものは、瞬時に毒され、誰かの都合の良い道具として、偶然と偶像の間で悪魔みたいに笑うのがセオリーだ、と散漫な意識は儀式的なものに加担し、擬似的な愛に固着しては、自分を蔑んだり、誰かを愛したり貶したり、と忙しそうなだけで、ほとんどは無意味であるというニヒリズムから逃れられずに、この生きていることというのが事業であり国家であり社会であり、宇宙であり真理であるということを知るべきである。