ここでずっと年末のように過ごして、コタツに入るような気持ちの中で、鼓動が断続し、脳内で反響している。意識的な足跡をたどり、新たな決意を孕んだ今朝に形式的なものは潰えて、新たな愛を育み、軌道修正を施し、戯ける今から現れる時系列や、劣等感や、レイシズムやファシズムが現れ、数多の痛みを与えられ、訪れる決意に反して、濫觴するものに擦り寄る過程や、より良いものすら見当たらずに、ただ与えられたものを受け入れ、経過していく苦しみの果てに結ばれていく道理がだんだんと理屈を捏ね、ねつ造された真理を崇めてばかりいる君の鬱鬱とした思いの伴侶たちが弔う歪な記念日の中でねじ曲がる感情が量的なものを求め、携える物事からありがたみなんてものは簡単に損なわれ、そこかしこに悪意なんかを生み出し、奪い合うだけに至る屈折した日々の観念に擁護しきれぬ面影も背徳感を重ね、今に簡単にねじ伏せられてしまう。ためらいばかりを生む新たな接続から解き放たれ、はびこる意味が欠如を孕む。まさぐる観念が次々に祝福を伝え、厭世観を飛び越え、雄大な季節に食い込む景色をながめては、盛大な記憶に結ばれていく行方不明な思いが携える演繹やら出自やらが加速し、広大な宇宙に縁なんかを与えて、際限ばかりを生み出し、空回りするだけの空間の中で唾棄するものがきな臭くなる前に、決意を改め、あらゆる欠乏を受け入れる制約なんかを蹴散らして、軽薄な所以な、拘うだけに至る憧憬の中で発症することごとくの応益や、応じるほどに曖昧になる行き先や、有効性もなく、構成されるものに支配され、次々と現れる問題に飲み込まれ、能動性を失い、今に軋轢ばかりを周りに生み出してしまう。軽々と飛び越えてしまうしなやかな脚を携え、暗躍する君の刹那をまさぐり、偶像を超越して、厭世観を超越して、新たな愛に行き着く。有効性すら見当たらずに、導かられるままに肥大化する観念が澱み、あらゆる決意を病的なものに還元してしまう戸惑いの彼方に訪れる艱難辛苦や、屈折した理由や、誘導されるがままに引き摺られていく道理や、利己的な君が導き出す憐れみや、新たな答えの中で呼吸困難になってしまうだけの値に反する先には、快楽的な破壊だけが、ここでの幸せを呼び覚ます。