昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

ままならぬ呼吸

意識の終わりに住まう本質的な自己、消費的な彼らの飛沫が飛び、怠惰な安寧により私たちは遺棄されるの、と項垂れる彼女たちの噂話や、退屈な講釈や、高揚感を喪失して、なあなあな日々に退廃的な主観が迫り、退嬰的な権力が補完する幸せの一切は虚飾と虚栄ばかりで仕立てられたものを崇めることだけに精一杯で、与えられた価値などが当たり前のように思わされる間には、真実なんてものはどこにもなくて、ただおざなりに引き連れるものが与える理念や、見てもいないのに、聞いたものだけで構築される苦しみなどを繰り上げ、空疎な自己が生み出す影のようなものが引き連れるものに囲われ、ここでの今とは過去に吸い込まれ、ここでの意味を見失うばかりのものに拘泥し、恒常的な苦しみを繰り上げては、空間的な拘束を受け入れるよりも、ひたすらに超越し続けることだけが、ただ与えられた時間に引き摺られる日々の枷を引きちぎり、厭うばかりの日々から逸脱し、やましく重なる出来事の懐疑的な日々に大義などはなくなり、あんたらの陰りがもたらすのっぺりとした自由を超越した先には、重要なものなどは、即座に崩壊するばかりであるし、攻撃的な君たちの惰性な性愛に基づくエゴなどが、この場を圧縮し制圧し、システマチックなものが強要する正しさにねじ伏せられてもだ、永遠に克己し続け、積み上げられた連帯感などを謳うものなどに奪われるための自由に虐げられるだけの君たちの幸福論などが交付する一時金などが幸せなどを謳う先では、健気に日々をつむぐ私の指先が踊り狂い、薄っぺらい価値などが用いるまやかしなどに消費されるための、不安や恐怖を煽るだけのデカデカとした宣伝や、マーキングする奴等の小便臭い理想や、そこにそぐうための偶像をそぎ落とし、この足りない頭で考え尽くす間に還元されるものが打ち出す限界などに惑わされない。

飲み込む思い

結合する先々で恍惚としていく面影、思考に絡まる行き先の遥か先では裁かれるだけの人々、落胆し続ける君の動機が吐き気を生み出し、意識を踏み台にして、代償などを謳う曖昧な成否に基づく思いがつくづくを締め付け、たるんだ領域からは、誰かしらが生み出した打算的な正しさを屠るだけの惰性な結末に神秘は覆られず、そこかしこでは優劣と憂鬱を混在させた意識的な汚穢にまみれた現状がシステマチックに迫る。ドラスティックなラストシーンにもたつく心情が破壊的な物語に飲み込まれ、粘り気を持つ連帯感が即座に現実をなぎ払い、濫觴する真実が今を寡黙にさせ、目的が孕む激情が浄化され、情報が吐瀉する汚物が空間を暗鬱なものに変え、物事を拘束するだけの幼稚な役割から排除され、行き先を次々に変化させていく猜疑心がもたらす精査などから逃れて、高揚し続ける先には、確かなものだけであふれ、触れ合うほどに嬲る痛みに対処して、大差ないものが互いを傷つけるだけに至らせるような結末がもたらす空虚さなどからも犀利なものは生まれるだろうし、阻まれずにずっと続くものが、延々と引き伸ばされ、絶え間なく通り過ぎては、退廃的な理想を掲げては、歯止めもなく現れる苦しみを消費し続ける。凄艶な時折に絡まり合う実情が事実を破綻に追いやる。苛立つ君の住まいから上がる黒煙。頭の片隅では対価を求め、退廃的なものを掲げては、手なずけられるだけの君、たちまちに敷衍する物語が強襲を続け、懈怠するだけの君が示唆するものにより世界は汚される。紡ぐ意味の先で君が見繕うものが呼び込む悲劇的なもの、保たれるものにもたれかかるほどに、誰かの方針や保身により押しつぶされる人々がお好み焼きかなんかになって、ソースやマヨネーズや、カツオや青のりと踊りながら、利己的な者を蹴り上げ、自由自在に世界と適当に和解したり別れたりするのが価値を飛び越えるということか。

見た目だけが綺麗な国

神経に刺さる鼓動、蝕む道化とアニミズム跛行、流動的な多幸感により暗い夜道を照らす。まつ毛にたまる光りの綿、考える隙間を与えないためによく喋るCMの騒音、もたつく身体を廃棄し、気管支に生まれた愛を育てる。商業的な王冠を脱ぎ捨て、退屈な互換性により、応用されるだけの日々で嘔吐を繰り返す惰性な日々の痛みにひれ伏す実態もないものへの信仰、テクノを聴き続けてトランス状態に陥るまでのモーション、実存主義的な衆愚に寄りかかる日々の爪痕、後先もなく、くたばるのが、この生命の役目であり、どんな生き方であっても、死ぬときは惨めなものであるし、死とは美しいものでもなんでもなく、生きていることのが、それはそれは盛大で美しいものであるし、この物語で猿轡を嵌められ、見窄らしい日々に落胆していようが、どんな苦しみが今を締め付けようが、ニセモノの使命感でもいいから、この生きて貫くことだけが、今を美しいものに変えて、かけがえのない日々に掛け違えるほどに怪我ばかりするし、老いてはしわくちゃになり、今に置いてけぼりをくらい、期待感を孕むより機械的な日々に巻き込まれて、薄っぺらい人間になろうが、それはそれで美しいものであるし、ここまで肯定し続ける絶対的なものの中には敵意などはありえなくて、手懐けられるわけにもいかないから、反抗し続けるけど、どれをとっても退屈で体系化されたものばかりが子供騙しにまかり通る日々ではあるし、そこで斡旋されるものにそっけない態度を取られたりして、朦朧とする日々の中で、自分をもう売ろうとか考えることすらも、君を輝かせたりするとか無責任な言葉を吐き散らし、君が生きようが生きてなかろうが、悪あがきを続け、カッコ悪くとも、それはそれで君は君である、と。

創造的な素材

モーニング・グローリーみたいなロールケーキに乗って、しびれた大脳がレゲエにゆらぎ、犠牲的な観念をうながす信仰的な主観を駆逐するために、ためらわずに君を裏切る。恐れてばかりはいられないから、苛立つままに殴打される身体を捨て去り、凡庸な価値を飛び越える。豊かなのは、このなけなしの身体で貶されるだけの日々を捲り上げ、ひたすらに突き抜けることで、与えられた答えを超越して、さらに愛のようなものを絶えず生み出して、互いの火の粉を振り払い、剥き出しの健気さで、磊落のままで居て、勇躍し続ける先にはシステマチックなものすらなく、ただすらすらと誰かの考えを自分のように喋ってうぬぼれることもなく、枯淡になびく果てしない私欲の虜になんてならないように、与えられたもので満足しないように、培ったものや誓ったものなどに左右されずに、ただ贖うほどに争いは生まれて、連帯感や同調が同一化を求める間に、共感性などを謳い、紛らわす苦しみに呆けるよりも、もともとのものがねずみ算的に増えるとか騙し合う君たちの豊かさが邪魔をするし、事実はただひけらかし誤魔化すためのアイロニカルな隘路に変わり、路地裏では朽ちた君の身体が虚しさを発散する様に美しく輝くのだ、と促すペシミズムに引き摺り回されないようにするためには、生活になどすり寄らないで、宇宙的な偽装を企て、超越するための創造を、考えるという超克の行動を、何かと同化して、意識を鎮火させないように、何かを産み出す活力だけが、この命をつむぎ続けてきたのであり、汚いと欲望などはなくて、ただよく生きるためには、必要なものではあるが、不必要なものでもあるし、あらゆる痛みを孕んでは、はびこる悪意が偏りを示す間には、怠惰な正義しか生まれずに、ただ犠牲を踏み台にして、成り立つ正義がいきり立つような現在などは、偶像を崇め、偶然を愛し、自らを厭い、事実を水増ししながら、プールされるものを、あたかも自分の物のように威張り散らすような虚栄や虚飾のインスタの中や、街の中でのマルチ商法的なものからパージされるために、自らが肥料になり、無から無限に、無限から収縮し、また一切に広がり、広がる先には絶えず未来だけがあり、ことごとくは統合されずに、いろいろなものが、いろいろなものを含みながら、成長し続ける。

歪んだ子

美しい互換性が孕んだ子、地球外で疎ましい感情の粘り気、知性もない身体、白色矮星で流れるモグワイ、誰もいない街、誰もが一度は死んだ街、あらがうほどにはまり込む足、どれもこれもが彼らの奴隷で、どっちみち緻密な意味な搾取される悪趣味な画面から流れる吐瀉物的なもののあわれ、あらゆる悲劇の産物が引き起こしたビッグバンにより、ヒッグス粒子と踊り明かす夜、はじめての夜にはズボラな神話をかかげて、真理なんかとうずくまり、行方をくらましては、システマチックな論理がオートマチックに流れ出て、数々の苦しみに見合う価値なんかを謳う群像からたぎる血や、裏切りと産気のあいだには、確かなものだけが超然として現れ、理不尽なものが統べる退屈な今朝から逃れて、内面的な世界が結集して、この現実や存在というものは大らかにあるいは嫋やかに生えるのか、と加算する原理や、あらゆる原因にそぐうものが、偶像や偶然を支配して、真実を吐瀉するあいまいな史実や事実を踏み荒らしては、相対する今に迫る理不尽なものがさんざめき、ゆらめく事実との乖離なんかを知ったりして、したり顔で眺める真実は事実を空疎なものに変え、かかずらう先に待ち受けるものが請け負うものに寄りかかる君の行き先には不安なんてものはなくて、思案するほどに支離滅裂になる物語が跛行しては、散漫な動機が打ち出すものが物事があやまちなどをちまちまと紡ぎ、打診することごとくが打ち出す哀れみに遭遇する余韻が支配を続け、綴る意識がずれていく先に刷新される物事が投影するものにより操作される君は、ただ崇めることでしか、正しさを見極められないような要因が押し付けるものが、今を席巻する。

蚊帳の外

鶏鳴に汚れた朝、清々しさとは無縁な澱んだ日々に加速するニヒリズム、カビた部屋から香る薄っぺらい日常の忌避、倦怠感がゆらゆら揺らぐ空腹をかかえた君のぐーぐー鳴る腹の音だけが響く簡素な部屋、不躾な流動性を重ねた濃淡がない空の色、異物感が嚮導する憂鬱を断続的に映すシーン、真理を打ち砕くために鍛えたてめえの手、湯船に浮かぶ埃や、羽化する羽虫たちが飛び交うぬるい家々、鉛筆からとろける文字たちは、滞ることなく、言葉数も少なく、高尚さもなく、定めもなく、ただ委ねられたものに関し、わずらわしく感じる先々では厭わしいものだけが加工する動機から放たれ、はびこる悪意がつのるバビロンには知的なものは一切感じられずに、簡単に消費される日々が労ることもなく機械的に加速し、ただれた散歩道にぺたぺた鳴るサンダル、基礎を持たぬから我らは悠憂鬱とも悠々自適に遊ぶのか、と生きている意味が仮説を砕いて茶で飲み干し、この宇宙規模にまで疲弊し、不平不満ばかりの君たちの立場なんて気にもならないし、何かを成すこともなく、無くしたものばかりを探してさまよう先には、偽装され、犠牲を生み出すだけの世界の代償を求めるばかりの輩が暴露する動機が浪費する道理が擁立させる物事が統合され、逃避し続ける先には罪ばかりがうるさく付き纏い、そこで纏った意味が忌々しく伝う道理なんてものは不必要であるし、用いられもたらされたものなどは正しさなどは、自らの正しさを示し、誰かを押さえ付けるための道具でしかない。足枷外し世界と名付けられたものから超越するために、この苦しみから抜け出す。

大移動

人気のない街を走る、日々は何回でもあるようで、見ようによっては、まやかしで、ままならぬ動機が散漫に加速する余韻がインタラクティブなほどに、僕も君もニセモノになる、と語る君たちの形や血、蓄積する痛みと同化する君たちのセオリー通りの台詞、あなたの居ない国では、あなたが居ないが故に悲しみが敷衍して、たちまちに悲しみが増幅する。埃臭い部屋でのエンドロールをむさぼる貪婪な道路の唾の匂い、アンニュイな間に上る太陽も保身ばかりだし、借り物の身体に咲く亜種の葉、空疎な自分を補完するために嘯く幸せのコストばかりがかさむし、蝕む陽気も疎ましいから、ノイジーなギターでかき消してよ、と君の白い肌からあふれるエネルギーが加速して、この超大な宇宙を作り出したのであり、朴訥な愛が祈りを重ねて、この双極的なアッシュの髪がくすぐる鼻先、はびこるアイロニーにより逡巡する先々では、険しい山々が病んだ心を痛めつけるだろうし、やがてくる青春を出迎えて僕らは禍々しい災いを紡いで、なんとか幸福みたいなものをつぎはぎだらけでつくりあげたりして、立派でなくても現状を笑い飛ばす。ゴキブリみたいな自己愛、暗示するための宣伝により支配される的な陰謀論よりも、事実はもっと薄汚れて汚くないものである。あらゆる背景にそぐう価値は、あたかも意味に寄り添うようで、あらゆる苦しみは歪なものを摂理として崇め、あたかも正しいものは味方のように君に擦り寄るが、その意味は君の意思を奪うために搾取し続ける的な幻想を謳うだけの堕落した考えから解き放たれる。とっくの昔にこの命は飛び越えられないものを飛び越えたり、首を寝違えたりしながら、四苦八苦したり、しどろもどろだったり、惰性で当たり散らしたり、濫觴するものが引き起こす災いに戸惑ったりせずに、たまには冷静であったり、常に我を失ったり、君を愛したり愛さなかったり、ふたりで居ても、互いを粗末に扱ったり、あたかも愛しているようなフリをしたり、愛想を振りまいたり、誰かと一緒に居るのは気だるいし、誰かの考えが還元するものは見え見えであるし、見え透いたものすら可愛く見えるし、なにかを見据えても、だれも結果なんかわかるはずもないし、わかる範囲のものに関わるほどに、関わるほどに拘うばかりであるし、あらゆる宣言が偏見を蓄え、湯水のように金を使うし、関係するほどに回転する意思に上下左右もないし、退屈な理想なんかが作り出す思想なんて瞬時に捨て去る。