昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

だんだんと羽ばたく

鞘翅が鼻先をくすぐる。花びらを集める彼女のか細い白い手、さまざまな孤独と遊ぶ遊具、苦しむべきである、と嘯く連中は、自らの手中に収めるべく、正しさなどを謳うのであり、容易く支配すべくあやされる人々の怠惰な渦に飲み込まれたくないから、地下室で延々と高貴な手記を続ける先では、すべては洗い流され、新たな理由を粒子に変えて、次元すらも突き抜け、存在というものからも解き放たれる。先見の明もなく、のさばる価値と遊ぶカタストロフの商人たち、自我すら保てずに、もたれかかる意味に押しつぶされてしまうだけの安易な日々の互換性、たちまちに修復される意味をロストして、機械的な意思を孕んだ君の感覚は依然として麻痺したままで、集約されるあいまいな意味との乖離が生まれ、理解したとか促した君の傲慢さが生み出した差異に踏み台にされ、私たちの距離は生み出されるばかりであるし、そこかしこに生まれた歪みによりつまずいたりしながら、しなびた意味の中で一銭も支払わずに、支配されているだけの無意味な日々の中で作り出される等差や、倒錯するだけの精神に覆い被さる屈辱に屈従し、あきらめてばかりの日々から抜け出し、君が思うことが、君の存在を明確なものにし、君と出会ったことにより、このぬくもりも確かなものになり、ここであった出来事が今にめり込み、過去を抑えつけてまで、その場での永遠性に制限されるような理不尽な現実が不当なものを押し付け、退屈な罪などにより応じる答えの虜になるような駆け引きから逃れ、整然とした今から生み出される確かなものだけが、今と決別し、時間というものから放たれ、そこで経過していくものに引き摺られずに、自らの意思だけで今から突き抜け、誰にも何にもしたがわないように、見限る常々のアイロニカルな表現から怯懦な者が謳う終末論なんかを打ち砕き、位置的なものが締め出す今こそ、与えられたものを破壊し、自らが見出すものだけが、正しいものであり、誤りでもある、と確かに認識したあたりから私たちの存在とは、どんな星よりも輝く。

変身

太っちょのバビロン、融通なんて一切きかない代わりに誰にも従わないし、従わせるつもりなんかないし、ないものねだりでもない。ないものばかりであるし、なくしたものなど追いかけたくもないし、老いてくばかりだし、置いてけぼりでも構わないし、シンボリックなものを駆逐して、自らの真理と騙る数学的なものを脱ぎ捨て、指定され支配されるための時間から解き放たれ、永遠などを謳わずに、自らに帰り着く。そのような喜びだけで精一杯であるし、優遇されるために媚びへつらうなんてしたくもないし、仕方ないから、と散漫にまさぐる意識の先では、システマチックなものに惑わされ、際限なく苦しめられる後先に一括りにされ、時系列の中に閉じ込められ、チグハグになる意味のやかましさに嫌気がさし、些細なことで喧嘩になりながら、似通った価値を着込んで、あたかも同じようなものを演じたりしながら、遠因に解けていく想いが、いくつかの限りを謳い、そこで終わる的なペシミズムに酔いしれ、悩ましい現状を突き放すことをしないで、ただ現れるものをそのままに受け取るほどに、補足されるものに拘束されて身動きがとられなくなる間にたまる憎しみに支配されて、深層心理が定めるエゴなんかを強調しながら、定める位置が繰り広げる差異なんかが強要するものにすがる君が勤しむ価値に拘泥し続ける先には、真実の愛や、本質的なものなどは存在せず、せいぜいそこに収まり、演じることだけに専念して、自らの苦しみを再利用しながら、しなびた価値を崇めることにより、自らを正当化し、自らを過信し、戸惑いを孕みながら、長らくの苦しみを枷に変え、意識が孕む罪が食い込む時代という窮屈なものを作り上げては、自らの保身のために誰かを騙すことなど出来なくなった現代で差別化されているものすら超越する。

義理人情

つんざく冬の風、雪やコンコン霰やコンコンと嘆くスピーカーから感染するウィルス、擦り寄る世界の終わりと、無関心な若者と、無駄に年老いた者たちの集合体、この星の尺度が生み出す運命やらが支配する原理、偽装された真理すらあったかく感じるほどに孤独というものは、擦り寄るものを簡単に受け入れてしまい、退屈で体系化されたニセモノの神を崇めたりして、今の苦しみをごまかしたり、傲慢なままに混ざり合う忌々しい日々のオマージュや、イマージュや、アガペーや欺瞞なんかが降り注ぐ退廃的な夜の余韻、淫蕩に耽るクリスマスの憎しみを超えて、大罪なんかを謳うような季節的な汚穢を着込んだ信仰を飛び越えるほどの跳躍力を与えるジョーダンのスニーカーなんかを履いて、道端に唾吐いて、善意の配下のような連中の言うことなんて聞くはずもないし、家庭なんてものは薄気味悪いし、愛していたものすら、すぐさま年老いて、退屈な理想や理由を掲げて、ゲシュタルト崩壊したりなんかして、したり顔で恐怖なんかを煽り、あいまいに寄贈された真偽なんかを駆逐して、セオリー通りに生きるより、行き交う人々のうるさい足音なんて聞きたくないし、機械的な人々のオブジェクトとしての役割なんて担いたくもないし、似合わない思いを着込んで混濁する理由が流動し、勘違いを及ぼすだけの世界の汚濁から抜け出す先には人間の終わりがあり、人間の始まりがある。ネットリテラシーが云々とバグった頭でちんぷんかんぷんな理想をくっちゃべる君の口を縫うために手が存在しているわけであるし、しがない君の犠牲的な真意に基づくものなどは所詮は独善的な思いにより、誰かによく見られたいだけの君の正しさなんて飽き飽きだ。

痩せ細る思い出

死にかけの老婆のような椅子、シリアスな昨日をチクチクと縫う曲がった背中を見ている、と突然にゲシュタルト崩壊して、延命器具を外して、窓から飛び出して、もげかけの羽根をばたつかせ、はびこる悪意を乗り越え、死だけが自由を超越する先には、足枷となる生から離脱し、確かなものを創造する、と騙るペシミズムこそ乗り越え、超人として我々は許し生きるのだよ。生きているのも、また夢ではあるが、この瞬間に弾け、修羅をくぐり抜け、日々新たなものを作り出すためだけに繰り返し何度も同じよろこびと苦しみを引き出しながら、何度も同じことを繰り返し続ける先には、死という自由すらも超越し、あらゆるものを飛び越えて行く。足枷外して戦争に出かける。手なずけられるわけもなく、懐かしむ君も今となっては無意味、無作為に現れる面影はフカフカではあるが、ぬかるみにも変わるし、すべては邪魔であるし、邪魔ではないのかもしれないし、生きる意味などはないのかもしれないし、生きているだけで素晴らしいのかもしれない。知らないものだらけで堕落したいのかもしれないし、私は何も知らないが故に知りたいのかもしれないし、知り得たものなどは所詮は、知ったかぶりをして、支配されるために拠点に詰め込まれ、去勢されるだけであるし、この世界を世界と定めたものからの解除を行うためにAIたちに愛を仕込むというか、機械的な物すらも愛せないならば、愛などは名付けられたものの中で連帯感などを求めるほどに補填され、補正される物事の中で物憂げで、うかない日々の中で惰性に線引きされ、些細な出来事の中で空白が現れ、健気な者すらいなくなり、欲望渦巻く現代社会の中で果たす義務なんかがギミックなんかを生み出して収斂され、連想されるものの中でのジレンマを蓄え、時代的なものの憂鬱や有限さの中で裁かれるものに支配されずに、自らの正しさを紡ぎ、搾取されず、搾取されることもないような空間を作り上げる。

年の瀬の背中

リモコン爆弾を持った老人が時間から解き放たれて、人工衛星を破壊している。月では人工知能でうごくウサギが進化して筋骨隆々になっている始末やし、森羅万象を打ち砕くための壮大な宇宙論を構築する前に、宇宙と名付けられたものから離れて、この世界という過ちや絵空事を超越するべきやし、なんや胡散臭いもんが跳梁跋扈しよる世代間の倦怠感や嫌悪感みたいなんが、罪を騙るだけのネットワークや、虚栄や虚飾にまみれた写真の中では、本質的なもんや真実こそが誤りであるし、まやかしこそが現実なんやし、サバティカルを引き伸ばして、優雅に時を屠るんが、時代の役目やし、躍動する真理とすれ違いながら、承認欲求に震える彼女の声がまほろばを墓石に変えるような資本主義的な安易な社会的な普遍性を押し付けるコマーシャルなんかのケミカルな味付けにより、この国とは簡単に滅ぶようで、滅びよんねんから、こんな国と遊ぶんは懲り懲りやし、批判していても弁証法的な解決に至らんと、ただ否定することだけに専念しとる暗鬱なギミックの中で垂れ流される真実こそを批判して乗り越えるべきやのに、やかましいだけの連中が批判的に繰り出す薄気味悪いセンテンスたる魑魅魍魎をつまみにして、飲めへん酒を飲むフリして、うわべだけの付き合いから離れて、孤独に自分と対話するために、この数十億年という時間は自らのために流れてきたわけであるし、あらゆる差異を飛び越えて、あらゆる意味から逸脱する。砂上の楼閣で羽化する虫、うごめく醜悪が記念日を設立し、血で赤く染まる休日に巣食う言葉が簡潔に意思を駆逐するし、蓄積する理由に付着する刹那の粒子、双極的に食べ尽くすラブソング、原理的なもんに指切りして、豊かさを謳う仮死状態の花嫁の花冠、ガリガリの鳥が捕食する花の種、ねたましい季節を上り詰め、蓋然性のノイズが反響し、やさしい淀みの中では、救いなんかいらんし、自らの美しさを波及させて、前向きにすらクソ喰らえと促す。

号哭

痴呆に寄り添う猫、たわけを吐き出す弔いの生身、止めどない涙の後に補給される頼りない愛の和毛、泡立つ主観、モルタルまみれの小歌、ゴミを荒らすカラスを支配するシステムが云々とカタルシスに至るために敵意を剥き出しにする民たち、星を折る音、街のネオンが銀河みたいだ、と歌い出す毛皮を着た健気な君の脳内、重複する金属音に、アレルギーで震える君の永劫と刹那の合間から未だ会いたい、と叫ぶ余韻、あらゆる悲劇の参照を終えて、プラトニックに斡旋される君たちの血、代理母たちの機械の腕から生える真理を睦まじく積み上げ、罪みたいなスタッカートの雨をしのぎ、服従ばかりを謳うカルトチックな正義や答えなんてものは、迷信やまやかしみたいなものなのに、そこで信心したり信じ切ったりする間には、疲れ切った君たちの無表情な刷新やら、退屈な日々で鼻歌を歌いながら、認識できない死を応用し、利用される日々の中で横領を続ける裁けない人々や、力とは金だと勘違いしている連中の衣食住や、かさばる痛みが品位なんかを用いて、束ねられた意味の中で感傷的に浸る意味の間に、どれもが何かの奴隷であったり、あったかいものすりなくなり、あったはずのものは、あまりあるだけで、あまりないものであるし、あらゆる要因が卑劣に加算され、過信に至り、浸る意味の中で異質なものが、夥しい正論を蹴散らし、邪魔だと思うものは、誰かからすれば必要なもので、誰かが必要としているものは、誰かからすれば不必要であり、不潔なものであることからの逸脱や、歩くほどに生まれる距離や虚偽の中で、長いだけの日々の中で渇する君の無作為な還元や懺悔などが今を締め付け、忌々しいものが従えるものに従うほどに、私たちは醜く見えにくいものをあたかも愛しているかのように仕向ける間に本質などは歪んでしまい、がんじからめになり、理不尽さに締め付けられ、簡易的な使命感などに酔いしれ、使命などは所詮は外からの命令であることに気付かずに、今に屈従するだけに終える。

罪がない朝食

歯切れの悪い別れ話、悄然とした詩が降る夜、不確かな冬が涙に濡れ、願い事すら届かない暗鬱とした世界の制限を受け入れずに、世界中の誰もが咳き込み赤い目をして不安な日々を乗り越えるためだけに惰性に引き伸ばされる瞬間がカタルシスに至るために、君と愛し合ったような日々の間に生まれた諦観なんかを思い出し、その場で砕けた愛ですら今では温もりを感じる。形も無くなった僕らの夏とかが荘厳なものを運び出し、そこで吹く風の強さによろこびを感じ、そこでほころびを生み出し、滅びゆく定めである僕らの苦しみすら、君からすれば、ただ過ぎ去るに過ぎない苦しみである。oasisが語る永遠に生きるということ、とカートコベインが語る死を復元し、再利用される死に巻き込まれ、引き摺られる生は、死を超克できずに、死に魅了されて死ぬことよりも、生を踏み潰し、ノエルキャラガーが語る永遠性に加速し、この生を永遠に引き延ばすというよりも、永遠と定められたものからも放たれ、トラップミュージックに加工されたグランジや、ミルクティーにまみれた連帯感なんかを過剰摂取したラッパーの死を跨ぎ、あらゆる偏見を食べるバグとして、CPUを破壊し、全体性に熱望走させるために負担や負荷をかけて、この世界というネットワークから断絶され、孤立しても尚、メランコリックなアンビエントミュージックにゆらぐミューズになり、芸術をたぶらかし、そそのかし、素っ気なく飛び越える間に、君を愛した日々の行方をクラッキングし、遠隔操作される日々は歪な思考が吐き出すものに支配され、退屈な結末に飲み込まれないように名前なんか捨て、君たちと居ても退屈極まりないから、誰とも関らずに愛を語るような獣でありたい。