昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

朝が泣きビルが叫ぶ

夜を食べる弟、遠くでは因果に絡みつく汽車の汽笛が鳴り、借り物の身体では遠く及ばぬ理解から被害者意識は加速して、批判の矢が降り、故郷を破壊し尽くしていく。退屈を体系化したみたいな人々の顔、感触もない日々がもたらす無意味な互換性、慣性の法則を捨て、何にも結ばれずに、身体と精神を切り離し、誰とも結ばれず、何にも干渉されずに、自由自在に吐きまくる現時点に呼応する者も居らず、ただ盗用されるだけの押し付けがましい日々に反し、たび重なる月日にもたらされる昨夜の記憶を搾取する貪婪な刹那にもたらされる記憶の曖昧さや、差別化を図る連中の支配から逃れ、強靭な足取りで歩む先で繰り返されるものが、規範を飛び越え、拘うだけに至るような時に負けずに、間違いすら改めずに、現るものをありのままに愛する。わい雑なジレンマや時代性の空疎な自分や、空気感すら損なわれ、確かなことすら足枷に変わるような日々とのずれや、寸胴な世界や、甚大な被害や、時間の毀れや、混淆し続けた先では、あらゆる悲劇は皆のものに変わり、関わるほどに他人のことのようになる意味が馴れ合いを続け、すべてを否定し続けるだけの君の意味のない日々を爪弾きながら、優雅に過ごす我々のY座標や、共感性羞恥強要罪や、許容範囲や少しの晴れ間や、はびこる悪意に垂涎するバビロンや、受けた恩恵や手にした権力や、怪我した今や脱するべき今や、脱色した彼女の髪や、関わるほどに孤独になる君や、棄民たちが蠢く流星街や、議会で眠る呑気な羊や、羊飼いたちがふるう鞭やホルンの音が鳴り響く朝、立ち並ぶ君に似たような顔、画期的な今を貪る気ままな精神には聖域も重力も比率もなく、ただひたすらに浮遊し、比喩を繰り返し、事実をこの手で昇華させる。

闇夜の解体

有袋類たちが踊る深夜、ぞんざいな意識に蓋をして、溜まる憎悪と対峙する。擬態する賢者たちを尻目に、立ち並ぶビルに絡みつく群像の青とカオス、ちりばめられたメタファーが壊疽する前に、がらんどうになった心に反響する愛が神秘をたずさえ、一日中祈祷を続け、孤独に仲立ちするほどに現れるぬかるみ、もう放っておいてくれよ、と告げて森の奥に帰る私の背中には太陽やら月やらが生えて、朝も夜も嫌いだから、さらなる孤独の深淵へと去り、散漫な儀式がデータ化され、散々な現実のカーストを打ち砕くべく、続けてきた勉学と弁解と修羅と修理やらがごちゃ混ぜになって、さんざめく有形は、形あるものの終わりなんかを告げ、脳内にひろがる黒々とした思い出の欲深さに嫌気がさして、惨憺たる思いを安易に引き伸ばし、管理を続けるだけの社会というやつに中指なんかを立て、鮮明なものすら、今に朽ち果て、供儀の道具に使われたり、偶像に支配され、生きた屍かなんかになり、艱難辛苦や、柔らかな感情なんかが監査され、監視を強化するためにけしかけたりする嫉妬深い連中が支配する世界の中での自己犠牲などを謳う者こそ、真の悪であるし、あらがうほどに現れる苦痛を代弁し、便宜的な今に帰任する理由を認識したりしなかったりしながら、乖離する理由が謳う連帯感が安易な欠如を謳いながら、汎用される言葉が固定観念などを生み出し、惰性で井蛙でムチムチな君の身体からあふるる紫色した瘴気などが漂い、悠遠に跪き、帰ってこない身体を待つ心の奥底では、ニヒリズムが加速し、身体と心の乖離が進むほどに現れる虚しさが現れ、あらゆる奇跡を代弁する妖精たちが飛び交う頭上では、カウボーイたちが牛を追い、肉片と化した感傷的な災いを謳うさらなる苦痛の先では、代償などを謳い、甲斐性すらないから、スラスラと嘘をつき、奪い合うためにためらわずに攻撃を続ける奴らが示唆する正しさなんかに別れを告げて、自らを敷衍させ、どこにもとどまらずに、誰とも分かち合わなくても、それはそれで良いのであるのだ、と。

昨日の保身ばかりを食べる欲望の滓、思い出を吐瀉しながら、散漫な景色を仰いでは、ふくよかな場面で酩酊を繰り返す。行為に攻め入るセンチメンタルな肖像、高次に至らぬ恋とは所詮は終わるためだけにためらわずに誰かを裏切ってばかりいるし、所詮は愛するまでに至らずに今に消費されるばかりである、と嘆く思春期的な哲学のミサイルが眠れぬ夜に降り、眠れない、ということを認識すればするほどに睡眠から遠ざかり覚醒していく、という結末が体系化され、経過していくほどに眠りとは癒すものではなく、卑しいもののように感じられ、今に監禁され、眠ることから遠ざかる。そのような認識による強固な狂気に至るまでの距離の中で現れる苦痛に服従し続けているようでは、何かに似たようなものを演じているだけで、見返りばかりを求め、似たようなものに捕食されるばかりであるし、身体はひとつしかないのにもかかわらず、ただ煩わしくむすばれるものどもの狂気に飲み込まれ、境域を損ない、そこで越権するに至らずに、絶えず襲いかかる苦しみの虜になり、そこで咎められるだけに至る過ちが病に変わり、今に身動きすらとられなくなる。馴れ合いは愛を深めるか?と機械で出来た汎神論を攪拌した神の脳内で受胎した物事が降り続く。偽装された真理に基づく正解などが過ちを加速させ、意識に枷を嵌め、世界性を狭めては、正義などを騙り、対価を求めてばかりいるし、分け合うというよりも、分かち合えるまで続く無償の日々の中で過信ばかりが過激な理想を掲げ、今を押さえつけたり攻撃したりするから、もう辞めるべきだ、と告げ、主義や思想を超えたあたりから、あらゆる意味や罪を乗り越え、新たな意味を紡ぐ。同調圧力で出来た外から見れば美しい国、肉肉しい失言をたずさえ勃興する真偽がさまよう。

恒久的なもの

帰結すべきところもなく、ただただ彷徨う泡沫、玉響に靡く主観やら、観音菩薩が出迎える荘厳な終焉や、有閑を蠢く簡素な失意や、有害物質やらを駆除する人々は、防護服も着ておらず、自らを危険に晒すことだけに長ける動機などを引き伸ばし、今を複雑にしていく。歪な観念を相続した君が切った舌、堕ちるほどに解けていく主体や、受胎告知を終え、延命などをうたわずに、跳躍し続ける私は超越だけを絶えず目指し、酩酊してはいるものの、思いを相互させ、時折現れる喜びに似たようなものの妬ましさを翻したり、裏返しになった衣服などを見つけては、ケタケタ笑ったりと、いちいち往復する素晴らしさを体感し、大合唱を続ける秋の鈴虫や、蜻蛉に乗り不確かな何かを、あたかも価値があるかのように示す宣伝からそっぽ向き、芸術やらを美しい衣服を着て、リリカルに生きる私には主体性などはなくて、ただ体制やらが大嫌いなだけであって、道徳がどうとか、姿勢がなんだとか、と咎めるわけでもなくて、ただ気ままに動き回り、あるいは止まったままで時間すらも無視したり、したり顔でのっぺりとした大地を踏みしめたり、飽き飽きしたり、明けない明日を睨みつけたり、鈍色の天国で戯けてみたりしながら、しのごの言ったり能書きを垂れたり、多感期の歓喜に揺らいだりパスワードを変えたりと忙しいフリをしながら、おおいにサボり、慌てふためくことなく蓋をしたり、支配されないように芝居を続けたり、と観点を飛び越えて、張ってるアンテナをへし折ったりと、閉鎖的ではあるが、補充したりしないし、不平不満ばかり垂れてはいるが、誰でも良いわけではなくて、君が良いとちゃんと言えるんだぜ。

やましい朝

ごうごうと唸る真理、打算的なシンドロームや、アミニズムを弄る苦痛や、通過するための義務や、やましいギミックや、軽薄な気配などが入り混じり、存在の不確かさを強調する。生きるという速度に追いつけずに、そこで老いてしまうだけの私たちの互恵や悟性、契約されて売り飛ばされてしまうだけの生後や、迎合されるだけの彼らの理念や、そこでのらりくらりとし、途端に頓挫するだけに至るような犠牲的な正義により掌握された権力による嘔吐や、統合されるほどに権威を振りまくばかげた理想などのクソや、空虚感を謳う彼女に肉薄するものや、膵臓の中で爆発するストレスや、ロストしたものを追いかけてばかりいる君の退屈な日々に理性などは潰え、今に苦しみばかりを張り付けて遊んでいる私の白昼夢や、壊疽するだけの足指に絡まる蜘蛛の糸や、位置付けられるほどに並行する罪の奴隷になるだけの意味や、歪な真理に跪くだけの幼稚な罪を唾棄すべく、すべては与えられた意味などに包括されないために謳われる自由にすら手なずけられることなく、そこで懐かしむだけに専念し、今を慈しむことを忘れ、慎ましく生きることを忘れて、煩わしいものにぶつける怒りなどに作用する罪の奴隷であることをやめるべきである。

白夜

泣き叫ぶ原理が沁みる。現状維持を告げる口内炎の中に住まうカルトな連中が崇めるチャールズマンソン、ミミズ腫れした昨日の丘を飛び跳ねるウサギたち、そのウサギたちの毛を刈るために殺める人々の渦、短絡的な憎悪により疎外された世界観の痕、たちまちに現れる空腹とカオス、プラスチックで出来た彼女たちの正午、空気感染する浄土の記憶、着膨れした冬の彼方、ロケーションは無限大で、ロケットで月へと帰国したかぐや姫の互恵、縁に吹っ飛んだ誕生日の喜び、虫歯の中で育てたアンニュイな記憶、あらゆる季語を食べ尽くしたアンドロイドたちの夢、砂漠を歩く描写の後に迫るネガティブな浪費、輪唱される真理の卵を集め、憎しみを寄せ集めて作ったケーキの上のイチゴの気分だ、と泣く君の隣では、さらなる不幸が起き、応用されるだけの真実にサインインして、歪なプログラムが打ち出す、こうでなければいけないなどという幻想から解き放たれ、ここまで築いてきたという幻に気付かないままでは、世界は終わる、と語るような詐欺師に世界は奪われたままだし、マシなことなんてありもしないから、信じてみたくもなるだろうし、馴れ合うほどにボロボロになる私たちの過剰に愛したものなどが往々にして存在するのだと、野ざらしな記憶のカスから生まれた天使たちが頓挫し、惰性で突き動かされていたに満たない汚い今に危害を加えるだけの退屈な対価を蹴散らして、自らが生み出すエゴから解放され、よくあることだ、と騙される前に、自らが打ち出すものだけで、物語を強固なものにし、羨むことなどなく、妬むだけの連中の天秤にかけられることもなく、答えが半狂乱する口内炎の海で輪唱される神話を打ち砕き、粉々になったものを鼻腔で吸い込み、気管支に生える松の木や、雨に打たれた家畜たちの悲しみや、企業的な過ちや、無知ゆえに切り取るだけの奴らが示唆する支配的な数多の事柄の横柄さに嫌気がさすから、刺し違えてまでも、夏の汚穢をバケツいっぱいに被って、この世と対峙する決意よ。

より良いもの

君は日々の中に取り残された、ただよう利権の餌として、システマチックな詐欺師の道理を伴侶にし、のらりくらりと手を替え品を替え、物事を見えにくくしていく。人間の欲が終わらない限りは次なる占領と搾取により、独占的な市場が生まれ、さらなる抑圧や、よくある締め付けにより、使命感を失ったプロレタリアたちは、文学的な傷痕を与えられ、蝉蛻できずに、その場で野垂れ死ぬ運命を盲目的に受け入れる。あらゆる自己犠牲の女神たちによる雷の矢が降る夜、雑多な感情が保護されるべき彷徨う荒野、乱世の英雄を騙るバルガーな奴らが囀るネットワークでの反復、反芻すべきものすらなく、ただ縋るだけの連中が示す尺度と、餓鬼のような政治家が次なる既得権を求め、さらなる欲を加速させる。エゴイズムが加速し、化石化しているものにあたかも価値があるように示し、新たな価値を与えられた物の商品化を終え、延々と生まれる終わりない欲が加速していくための歯車として、馬鹿げた現実を崇めたいがために、あたかも幸せそうな姿を写真に収めてはバラまく紊乱な者どもの至福。祝福の声の裏には妬ましい恨みつらみ、つたない希望をも潰えさせるためにルサンチマンたちが流布する絶望の引用、去るべきは何事にも何者にもなく、私たちは幸福の中で遭難し、何が幸せかすらもわからなくなるまでに迷い続けている。あらゆる価値に篩をかけて、厭世観を取り払い、はびこる失意や、鈍磨な感情に訪れる少しずれた悲哀や、口うるさい口約束や、くちゃくちゃと噛んでいるガムの音や、統制されるだけの今に逆らい続け、行き先もわからずに境目も持たずに、モタモタしながら、朦朧とする意識の波形を観測する流動的な意思や、季節的な羽根を用いて、自由に飛び回る先にはゴールすらなく、ただ飛ぶことに疑問すら持たず、ただもたらされる苦しみに反し、あらがうほどに現れる答えが謳う対価に騙されずに、打算的な連中が繰り返す散財や、惰性で井蛙な者が位置付ける空腹や空白や、さまざまな思念が生み出すジレンマや、禍々しいものを崇める犠牲的な正義の底にある悪意などが無制限に攻め入り、生命を脅かすような自分たちの利益よりも、皆の幸せを追求するような倫理観を率いて、この社会や国家を立て直すことこそが、さらなる利益を生み、それにより自分たちの利益も上がるように徹底的に今あるものを洗い出し、綺麗にする。そこには正義なども不必要になり、信用なども嘘に変わり、課せられた罪も不必要になり、確かな愛だけが今を確かなものに変える。