昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

無限に広がる愉快さ

原始的なイロニーが通行し、はためく自由に協賛するような輩こそを打ち倒し、打算される真理に訪れる軋轢に絶えず反していく。さかのぼる情意に未だ見ぬ所以を降り積もらせ、世界はせせらぎに現れ、不確かな俯瞰を凌ぎ、不完全なままに定理や公式を打ち砕き、配分を考える答えなどに応じぬように、と歌いだす。快活なバビロンも限界点にきているのだ、と能動的な主体は衆愚に飲み込まれ、連動する痛みに除外されては、自由とは何だ、存在とは何だと問いただす間に答えは浪費され、この場で真実を明かさず、曖昧なままに差異化され、最たる理由に流動しては、切迫する間隔を受理するだけの主体的な律動から乗じて行く理由に不可思議な何かを浸透させ、静謐な予感に募る面影も立体的で幼稚な愛に利己的な心因を打ち出し、奪い合う圧力に生い茂るだけの草花の動機から克明な余韻が、因果律を飛び越え、春も生まれ、愛でる朝へと交換される夏から、秋に定める静寂の遙か、浮遊する世界に納棺される冬へとゲートを開き、羽交い締めにされる実情に接点を求め、そこに接着するような要因を横溢させては、展開する状態に損なうだけの陰りに浸すムードから貧寒な状態を追考していく冷厳な考えから、簡潔的な余韻に締め付ける愚鈍さに浪費されていく心情に査定される原理が怯え、恐れるだけに膠着し、孤立するままに孤独感に苛まれては、最たる理由を喪失し、羨望し続けるだけに嫉視は生まれ、ルサンチマンに至るだけの憎悪からメディアに巻き込まれ、伝える虚偽から、昏倒していく人民に削除されるだけの薄っぺらい価値から、うそぶく政治家を武器化し、それを利用するような兵器的な根源から、戦争的な何かにしかける何かとは、損なうだけの限りを尽くすだけに生み出される誤算に清貧さを見失い、国益のために互いを苦しめるだけの区域や、境域をそこかしこに残し、添加物を撒き散らかし、散々な現用に馳せるいびつさの隘路を孤独に通り抜ける賢人も、現時点では、原始人のままで、たった数千年の文明から、これだけの殺戮がデータかされ、無駄に食い散らすコンビニ的な凄惨さから、最たる理由を流動させるだけに苦しみにはけるだけの関係に浪費される深淵に果てるだけの命も、高揚感を忘れ、ただ使い回されるだけの要因に馳せる思いは、昏倒していく意識に儀式的な抵抗を加え、混沌としていくだけに動機は要理を失い、逃避を繰り返すだけに加算される原理に遅延し、延々と総じて行く関係に籠城していくだけの恨み辛みが歌い出し、この儚い心情に打ち出される小さな世界にファシズムを生み出し、偏るだけの心情に軋轢を加え、抵抗する要因に真意を生み出さず、ただ加算される原理に抵抗せずに、従う者だけをその場に従え、この十全とした自由を謳いだし、その自由をだしに、闘争へと駆り立て、旧の権力を打ち倒し、既存の権力に書き換え、自らを権力化させるだけに権力は独裁的に至り、誰が統治しても、権力は一貫した支配を繰り返し、根ざされた権力は、悪意を芽生えさせ、善悪を遠隔操作し、淘汰されるだけに不浄さを醸しだし、ただ欲望のままのモノマニアたちを大量に生み出し、破棄すべく理由に排斥される愛は遺跡化し、誰もが古びた建物たる精神を露骨に傍観し、諦観するだけに募る意識は昏迷していく文明にコネクトされるだけの理由に接続され、そこから発散される力により、御用学者が促すアカデミズムに支配され、応用されるだけの真実に史実はごまかされ、何が正しいの、、と示唆する暇も無く、ただ従うべく、アカデミーは存在し、損なうだけの存在にいぶかしい倫理が印象を淫靡に変え、感嘆な法理に屠られ、葬られる後に権力こそ、絶対を牽引し、善悪も持たずに、ただ壊すだけに至り、ただ従わせるためだけに従属していく己の権力にこそ偏る事に縁取られ、その枠に嵌め込まれる用度に何もかもを失い、ただ操作するだけに転嫁していく精神は、成否を失い、ただ権力自体に偏る事に堕胎していく真実は、解体されるだけの身体を掃きだめに捨て去るだけの査定を己に繰り返し、この惨憺たる要因に響く過程にはびこる悪意に飲み込まれ、自らを悪の語源として、根源を権力に奪わせ、悪魔としてこの時代の主体を狂わせるべき危難へと自らを投下させ、自爆的な言葉を吐き散らかし、自らのペシミズムにより、料理される世界は、世界としての役目も果たさずに、ただ世界と名付けられたが故の因果をさまよい、自らを問いただす暇も無く、ただ打ち砕かれるだけの名称へと隔離され、ただガス室に送られるか、はたまた餓死するまで見捨てられるかの形に闊達な価値として置かれた価値とは、家畜化し、価値観を屠るだけに奉納される能動的な愛に因子は失われ、即座にさみしいのだ、と寂れるだけの季節に奉納される我などは、私を認識せずに、君を起因にしてジャンプし、情交も持たずに、用いられる善意に反し、我は逸脱し、隠遁しては、立証される真理に反し、縁取られるだけの理由からかけ離れていき、利用されずに、己の物事や物音に転じて行く。