昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

相反

夜通し探す思いが抗い、冷たい空気が世界を切り裂き、汚い過去が枯渇を誘い、たゆむ空間から、まばゆくゆらぐ街灯は、回答すら持たず、もたつく思いが、今に拘泥し、先々に至る思いが旋律をたずさえ、短絡的な思いを突き抜け、つたない意味を突き抜け、自らに帰り着く思いがエモーショナルに変わり、変わりゆく季節が、稀有なものや、激しく関わる健気さが謳う恐怖や、窮境に迫る論理が鈍麻にからまり、達する愛が卑劣な偶像をたずさえ、勇躍するまで待てないの、と裏切る彼女が毒付く機械的な世界や、空を覆う暗鬱なアンニュイさが、差額を払え、とうるさくつきまとい、自らに介する愛に悔悟を謳い、よこしまな思いが、煩いながら、永らくに旋律を伝え、曖昧な毎日や、圧力を加えられたここから連帯感を謳い、たずさえる同調から、同一化は、短絡的な苦しみを伝え、自らに迫る絶望を世代間に伝える閉鎖的な思いが交錯し、つたない理由が世界を流動せずに、今に詰まり、続かない思いが他者を介して患うだけに恙無く過ごす合間に行き過ぎる動機が明滅し、あらゆる意味を照らし、完全性を歌う君のメロディーが重圧を取り除き、配達される愛がファシズムを乗り越え、狡猾な動機が廃墟と化する以前にせめぎ合うシステムを見直し、ないがしろにされる身体と別離し、世界の里親を探す旅路へと出かけ、空虚な思想というカンバスを黒で汚すよりも、赤で汚すよりも、そこに国旗を描くよりも、ただ小さな点を残すよりも、そこに何も描かずに、広大で寛容な意思だけが、すべてを受け止める、という事を始め、始まりに交わり、快活に産み出す原理だけが、腹違いの子を産み、蔓延る意識に配膳されるだけの餌を食わずに、ただ誰かが食い散らかしたものを漁り、自らの意志で食べたのだ、と言い放つだけに懐かしむ思いは、他者を介した自己を食い荒らし、ただ購うだけに惰性なものを生み出すだけに早々と消え入る本質が、得るものや求めるだけのとりとめのなさに統合されるだけの精神性などを謳い出す限りに陰る本質が浪費し続ける。


頑強な意思が、強固なものをたずさえ、問題自体を乗り越え、報われる事など求めずに、とめどなくあふれる思いだけが、因果を突き抜け、運命に戸惑わずに、自らを超越しても尚、超えるべきは、超えられるべきものを備え、今を萎えさせ、抵抗力を奪う。確かなのは、思いにもあらず、何事にも扇動されずに、自らが自らを突き抜ける限りに続く意志が、確かなものすら破砕させる。定説に追いかけられ、自らを書き換え、軽率な思いを吐き出す自己顕示欲や、印象にけだるい妄想を伝えるだけの今に才覚すら無く、ただ短絡的なものに支配され、自らの意思を損なうだけの傀儡として、一貫した意味に扇動されるだけの模倣から、猿まねするだけの物事が、悶々としては、最たる意味を喪失し、緩衝すべき愛を持たずに、ちぐはぐな動機がつぎはぎに結ばれ、汚い意志が動機を失い、応じるだけの答えに命じられるだけの動機に道理を求め、用いられる倫理観に自己批判を繰り返し、普遍性が謳う制度から、安直なものの見方で愚行に至るだけの原理に原因すら、因果を引っ張り出し、自らに差し支えるように仕向けるだけのあつらえられた罪から、あいまいな毎日に魯鈍に示されるだけの定理に閉め出され、締結していくだけの答えから、オーダーされる判断から、明晰なものは失われ、なあなあに答えるだけの権利から、堅持する理由が誇示するだけの物事に偏りを示し、肩代わりする理由が引き出すべき愛を引き取らずに、ただ受け取る限りに勘違いを含ませ、生きるという動機よりも、生かされている、という原理を謳うだけの仏教的なゲームに参加せずに、自らとは、生み出すべき神に左右されずに、ただ磊落に物事をつかみ、心境に同居する他者たるものから放たれ、自らがくみ取る意志だけが、償いを持たずに、次から次に専横するだけの原因から放たれ、悔悟を持たずに、用いられる動機に関さずに、我反し続ける限りに作用を自らに生み出し、立場を用いずに、関する間に利用されるだけの差異に降り注ぐ不虞な事から散漫な動機は、優劣を決め込み、自らの進むべき意志を見失う。

ひとつかみの情熱だけで、既存のものを打ち砕き、自らの美しさに帰する。ただ与えられたものとは、満足を誘うだけの餌であり、機械的なものであり、そこに運ばれるものとは、対象を用い、怠惰なものを引き込み、悲観するだけに至るような痛みを引き延ばすだけに至り、退嬰的に至るだけに浸る悲観から、貧寒な意識は、意味が無い事を追いかけ、何かの言いなりになり、担うべき愛すらも恨むだけに至り、至るべき意味すらも実体が無いものばかりを追いかけ、偶像崇拝に至り、枢要なものを掴めずに、つたない思いを引き込むだけに至り、真っ向に結ばれる実直さを喪失し、苦しむだけに至ろう、と自らを泥濘へと引き込み、そこから抜け出せぬように、自らが足を引っ張るだけに至る。苦しみとは、所詮、自らが生み出したものに過ぎない。苦しむべきは、苦しみを生み出そう、とする自分に反する事に苦しむべきである。それこそが抵抗であり、反する限りに終わらぬ意志が、確かな思いを引き出すまで自らに反する事を続ける。