昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

現実を超えるもの


 平衡する意識にかかがられるものが、偏りを生み出し、短絡的なものに関わり、釈然とせずに、心象になびく関連性や、制度だけが、今を膠着させ、懐疑的な日常に備蓄する普遍性が敷衍し、不潔さを増していくだけに、諦観を生み出し、還元されるだけのものを買い取り、開示されるものが闖入し、大義を奪うだけの侵攻するものが、対比されるだけの心身や、真理を用い、モチーフとされる独善的な関与や、感情論的に攻め入るだけの正義は、自らだけが正しいとされることだけによろこびを感じ、そこに還元される快楽だけが、対価として支払われるべき義務なのだ、と促す限りに陰る本質は、何が正義かすらも見失い、自らを悪に仕立て、互いを対立させるだけに至るような贋物の表現から、激動を歩くのだ、と妥当な者が促す言葉から、災いに転じ、大義も見出せずに、ただ唱えられるものに促され、神に自らを投影し、その神を崇めるほどに、自らを昇華させるような死をも抑制させる原理的な快楽の代用として、信仰が用いられる。あらゆる快楽は、その場で証明されるものだけを受け取るためだけに、原則を破り、自らに与えられる罰を受け、マゾヒズム的に示される快楽に閉め出される惰性な身体や、ちぐはぐな論議に閉め出される精神や、生後から迷子になった犠牲的な敷衍から、普遍性を謳われ、今に毒されるほどに、求める快楽は増し、慢性的な依存に陥り、意思を失い、ただ快楽を求める傀儡として、快楽の犠牲として支払われる代価として人間性を制度で付着させ、そこに生み出される義務感に動かされるだけの定理にもとづく迎合されるだけのエゴから、行為にもとづく真偽は、自らを漂着させる場を損なわせ、そこかしこに独善的な者を生み出し、定義を用い、体系化を進めるだけに、衰亡する意識は、膠着する観念に戒厳令を敷き、苛む記憶が生み出す酷薄な思い出から、猜疑心を引き出し、悲観するだけの感受性をとどめ、淘汰されるだけの精神を傍観するだけの憂鬱を蛇行し、情報に巻き取られ、まがい物をの真実を崇めるだけの日々に惰性なものが近づき、誓いを謳い、用いられるものを儀式の生贄として捧げるだけの体制的な還元から、あらがう先々に愛惜を重ね、愛した数だけ、悲劇は舞い込み、絶望の独房へと閉じ込めるのだ、と惰性な者が騙るカタルシスへと導くだけの快楽の階段をのぼるほどに、受動的に行うだけの儀式的な諦観から、短絡的な考えが用いるデカダンな文言から、もんもんとし、途端に諦念を生み出し、デカダンなものへと陥るだけに至るような悲劇から、原理的な淡彩にあえぐ感情的な日々に卑屈な者が示すものが、意識を閉め出し、今に体制を持ち出し、派閥を生み出し、抵抗するほどに、帝国主義的なものに陥り、抵抗することは、今を諦め、今を解析できずに、出来合のものを真実として捉え、途絶える意識を継ぎ接ぎにし、法の中で生まれるものだけが、今を守るのだ、と摩耗される意味に妥当なものを掲げ、真実を謳うだけに至るような人間性から、制度に漂着するだけの卑近なものから、束縛され、前頭葉をもがれ、ロボトミーととして生きるような者が受け入れる低劣な支配から、芝居を続けるだけの資本主義的な偶像から、構造的な排除を受け入れ、死人のように徘徊する人混みをかいくぐり、或いは襲いかかる人々を蹴散らしながら、迎合されるだけの日々に大衆操作のコードや、大半の意味を履き違えるだけのちぐはぐな論理に迫る生命維持するためだけに、つながれる酸素マスクや、猜疑心を用い、観点を奪うだけに至らせるような意義を謳うだけの引接から、淫靡な結末へと引きずるだけの交情から、高揚感を損ない、こじつけられるものだけに操作され、些細な出来事に終末論を促し、修正されるだけの日々に採決されるものだけが、あたかも真実のように演じることだけが、正義のように語られることから、大義は失われ、デカダンなものへと変わり、懐疑的なほころびから、よろこびは失われ、誰もが、同じものに同調し、同情することだけが正解だ、と促すような妥当なプロセスをプログラミングされ、些細な出来事に刺し違えるものや、差し支えあるものを生み出し、今に警告を重ねるほどに、猜疑心は生まれ、隣人恐怖や、隣人憎悪を生み出し、掲げられる隣人愛などは、逃げ道にすらならず、今に与え合う憎悪だけが、今を確実なものに偏向させ、与えられる愛などは、価値にすらならない、と掲げる者どもの卑屈さに攻め入られ、何が正義かすらも見失うようなものが荷担する権力が促す言葉だけに邪魔をされ、何が正しいかすらも見失うような者が扇動する運動に参加するほどに、自らの意志とは奪われ、自らの考えとはなくなり、何かに流されることだけが、唯一、正しいもののように崇められる。