昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

動きがたくするもの


 神を持たぬ間柄から、愛は生まれ、その合間から這い出る意識は、枢要なものを捉えず、疎外感をかかえてもなお、自らに誠実であることを願うだけの短絡的な信用などを謳わずに、ただ、現れるものを愛することで知り得るものだけが、信じることをうながす前に、ただ、そのままを愛することで、この思いは、考えを飛び越え、そこで比重を与えるだけの苦痛にとがめられずに、自ら生み出し選ぶことだけが、真実に変わることを知る。晴天にむすばれるものは、自由を謳わずに、用いられるものに引き裂かれずに、自らが思う限りに逍遥を続け、そこでもたらされる苦痛などは、そこでの過ちなどをモチーフに次々に罪を継ぎ接ぎにしながら、しなびた思いがもたらす苦しみや、空虚さを加速させ、懐疑的な日常に磔にされた神は、自らの罪をみとめずに、自らを崇めることを始めるのだ、とうながした人間が作り出した神により、あらゆる苦しみは敷衍し、自らをとがめ、そこでもたらされる苦痛を堪能すべきだ、と短絡的な人間が用いるだけの罪の意識などを加工するだけの論理が現れ、自らを苦しむための規律を生み出し、そこでの自由を謳いながら、自らの不自由を嘆き続けるルサンチマンが編み出した技法により、自らを苦しめるものをとがめるための法を強固なものに変え、抑圧するための退廃的な偽装を繰り返し、繰り上げられる思いは、横暴な支配を繰り返し、何かを保つために朽ち果てるだけにいたるような犠牲を生み出すためだけに、何かにこじつけ、誰かを苦しめるためだけに働きを加える。自傷的な者が示すセンチメンタルな理想から、戦地を生み出すだけの猜疑心に加工された品位から、貧寒な者が示すプラトニックな憎しみが染みいるだけの現時点に人間などは存在せずに、ただ、抑圧されるほどに餓鬼と化し、行列に自ら並び、待ち続けるほどに加速する貪婪な意識から、散漫な意識が生み出す儀式的な形式から、過ちを加工するだけの堕落した主体性が用いる人間的で、普遍的な不潔さに気付かずに、反する者を排除し、あらゆる偏りを示すための普遍性が用いる潔癖的な排除から、人間的な疎外などを謳うだけの鈍感な反抗者が示す社会的な猶予などは、平等などを謳いながら、平等からは、もっとも懸け離れ、提起されるものに対抗するための欠如などを用い、妄想だけで陰謀論などを謳うだけの者に扇動され、そこで譫妄にいたらされるだけの者どもが疎外感などを謳い、破壊活動にいたるような信仰が用いる空疎な悲劇から、還元されるだけの過ちにより、自らの女々しさを加工し続けるだけにいたる。短絡的な排除を用いる人間的な過ちから、あいまいな毎日に偽装されるだけの真実をたてまつる妖怪どもがうごめき、自らの愚行を隠すように、悲劇を加工している。配られ続けるものにより、動作は奪われ、そこでの品行などを求めることにより、自らの品格などをおとすだけにいたることに気付かずに、否定的な精神は、自らを犠牲者として崇め、誰かを否定することで生まれる快楽の傀儡として、悲劇のヒロインとして枢要なものが用いる価値の家畜として、あらゆる偽装を続ける。何かを見落とし、自らの落ち度に気付かずに、何かを見下すだけに堕落したのが人間の起源であり、過ちを加工するほどに、自らを正しいものとして認識できずに、そこかしこに疎外を生み出し、自らとの懸隔を広げる。大義を用いる誤りから、悔悟を生み出す宗教的な汚染から、そこで固執するだけの思想が生み出す破壊から、そこで排除されるほどに加速するルサンチマンから、サインをうながしながら、自らを救えぬ自らを恨むような闘争から、そこで統制されるだけの普遍性に感覚は奪われ、創造的な飛躍にいたらずに、自らを浄化できずに、昇華を強請るような強欲な者どもの巣窟だ、と嘆くよりも、そこで攻撃性を失わずに、短絡的なタナトスに陥らずに、死する過ちから、そこでの病を加速させるだけの誤りが生み出す犠牲的な気配から、軽薄な者が生まれ、加工された品位にもたげ、自らの過ちに気付かずに否定にいたるだけの猜疑心を抱え込んでは、混濁する意識に解消されない痛みに錯綜するだけの者どもが採掘する過去の遺物をかかげ、正しいもののように認識するような誤りに気付かぬ限りは、そこでの過ちは加速し、自らを苦しめるために何かを抑圧し、そこで制限を生み出すほどに、生き難くするための規律を生み出し、自らこそが正しいという過ちを超えて、自らをも正しくないと認識し直すことだけが、自らを正しくするのであり、そこで正しいとされるものを、正しいと認識してるだけでは、そこでの正しさに意識は占領され、自らをも誤りに引き込む自らを加工し、そこで自らを動けなくする。