昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

井蛙


 こころの中で敷衍する汚濁が、延々とあふれ続け、自らをむしばみ続ける間にはみ出す意志は、帰路を求め、散漫な意識が求める娯楽や幸福の彼方で召される感情に統合され、正常さを謳うような鈍感な者へと変化し、独占欲が示す惨憺たる差異から、位置的な相似を求めるだけの行為にもとづくものへと迎合されるだけの日々は、退屈をしのぐために戦うことをやめ、制限を持たされ、行列に並ばされ、緩慢なものへと変化し、忘れることだけが、正しさをもしのぎ、悪を捏造し続けるだけの正義は、犠牲を孕んだ懶惰なものへと変容し、自らをなぐさめるためだけに、ためらわずに何かを犠牲にすることに奔走し、自分たちを守るための保身と、組織を謳うほどに、退廃するだけにいたらせるような内部で摩擦を繰り返し、物事を抹殺するための出来事を捏造し続け、システムの中で狂うことを正すこともできずに、自らを崩壊させるための儀式的な示唆から、惰性で導くほどに、補填される意味は、自らを抑圧するために、平気でウソをつきながら、つたない意思は、うながされるものだけを支えに、些細なものを補完するための生贄として、自らをよろこんで捧げる。滑落する意思は、どこもつかむところもないから、と誰かを引きずり込むことに専念し、遷延していく意思は、表現を失い、喪失感にゆだねられた悲しみは、悲しむことでしか自らを昇華できずに、配される間に黙する愛は、無限性や永遠性を謳いながら、何かの出来事により、すぐさま、その愛を崩壊させ、解放させるよりも、その愛により、抑圧されることで、自由を自ら奪うような欠如をふくませ、二人の世界は、他者が用いる世界性により、デカダンスにおちいり、無残にちりゆくのであり、季節的な胞子をたずさえ、そだてるための愛を怠惰なものに変化させながら、機能停止におちいり、近づきすぎた互いは、互いを憎みはじめ、対立を生み出し、ふかまる溝は、空間を攻め入り、生命の危機へといたらせるような戦争へとおちいり、共感を得るためにごまをする日常は、精悍さをそこない、そこかしこで無数の空白を生み出す。空白を埋めるための統制から、闘争へと発展する先々で軋轢が生まれ、奪われる者と、奪う者の対立が深まり、負担を背負わせるだけの義務が押し寄せ、ギミックを破壊するための鉄槌を用いぬ者は、用無しの者として、或いは、単なる物として扱われ、派生する意味は、ここで途絶えるだけの意思は、帰るための場所を求めるほどに、用いられた自由に束縛され、自らの自由を奪うだけの権利を持ち出し、偏るだけの理想は、理性をそこなわせ、そこで屈従するほどに、味わう苦痛が通過する先々で犠牲を孕ませ、罪の意識などを与えながら、当てこすられた意味を、あたかも正しいもののように崇めるだけの正しさを孕ませ、退屈しのぎに裁きを受けるような軽々しい罰が、今を抑圧し続ける。補完されるだけの関係から、削がれていく意思は、何かを信心し、信じるほどに生まれるのが、人類愛などとうながす先に現れる汚点を隠すためにためらわずに破壊へといたるような純粋な暴力へと移行し、いぶかることを知らぬ純粋な者へと駆逐するために暴走し、構想することを知らずに、行動とは、何かを破壊するための純粋なもののように崇められるほどに、補正された罪の意識が迎合する意思的なまがい物を崇めるだけの理想から、理性をそこなわせるための生贄を用い、商業的に攪拌された社会などでオーガズムにいたるためだけに破壊することに現れる純粋な快楽にひたる。何かと傀儡として、背くほどに、支配することを求め、何かを解放するための歌をうながし、自らを拘束する。幸福も渋滞している。求めるほどに加速するカオスから、求めるほどに今を抑圧するための制限を用い、物事を一辺倒にさせる。些細な出来事が補完する物語は、我先に、と幸福を求め、今をとがめ絶え間ない衝動は、今を抑圧させ、自らを苦しめるために再現され続ける苦しみを転写し続ける。つたなく継続する哀れみから、空腹は生まれ、貪婪な者どもが徘徊する原始的な衝動が補正し続ける悲しみが等差を持ち出し、平等を求めるほどに、平等とは懸け離れ、かけがえのないものを守るための闘争が発展させた現代で固執する者だけが、抑制するための権威を用い、何かを定めることでダメージを与え、イメージを破壊し、我欲により、今を抑圧し、欲動を加速させ、負担を背負わせるだけの義務から、愚行は続き、つたない意思は、何かに寄り添うことでしか、自らの存在価値を見出せずに、見積もることで、自らのしあわせを生み出しているかのように、誰かの犠牲を嘲笑し、自らが課せられた犠牲から目を背けている。