昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

整列しない意志


 裏切りの時間は、延々と懸隔を広げ、持ち出される価値により締め付けられる君は、永遠性を捨て、絶え間ない孤独を、ままならぬままにかかえるから、空疎なものを持ち出し、自らをもっともな孤独の中で屠るだけで終わるような現時点に冷めた感覚が、ダレたものを、誰かから受け取り、堕落するだけにいたり、フラクタルなものほど、互いを恨み、体感するほどに、間隔は生まれ、奪われるだけの今に保身をうながし、理想を供給し、自由を謳うほどに、自由とは懸け離れ、しあわせを求めるほどに、ここで構築されるものは痛みをかかえ、不安を捏造し、描写の中で迫る完治しない苦悩や、行動するほどに、魯鈍なものにかわり、能動的ではなくなるような時間の合間に流れる時間との対立から、そこで終えた時間が永遠性を含ませ、過去を孤立させるほどに、時間に飲まれるのだ、と妥当な位置が示す、今に補完されるだけの感覚は、善悪を持ち出し、秘密裏に処理されるだけの段階に示される数字や、そこで求められるだけの代償や、解消されない痛みは、今を浄化できずに、感応するほどに、感性とはそこなわれ、そこで行われるものなどが、論難をあびせ、罵声の雨が降りしきる中、そこでもたらされる恍惚とした瞬間に、イメージは爆発し、創造的な昇華にいたらせ、そこでの孤独などは、孤高にいたるためのあいまいな歴史を踏みにじり、負荷を与えながら、抑圧され続ける精神を、次なる段階に運び出すための孤独なのだ、と仏教的な保身は、崩壊を呼び覚ますための静寂を用い、今に引き合いに出される今から逃れるための静謐への隷属を求め、涅槃へといたる前に、自らを解放できずに、鎮座するほどに、時間や空間や次元にとどまり、到達することもできずに、用いられる概念に攻め入られ、生きることに遅配を加えるだけにいたらせる。あらゆるものから解法を強請るだけの方針や、要する形に染みいる無関心な者どもの閉塞感などが攻め入り、生命を抑圧させる限りに自らの永遠性にいたらずに、ただ時間を解消するために退屈をしのぐための愚行を続ける。時間とは、崩壊するための数字に満たない、と機械的な依存者は、散漫な感情を逍遥させ、傲岸不遜なデカダンスとして、空疎な時間を消費するための生産を続ける。緩慢に示される愛が、差異を持ち出し、物事の変革を願うほどに、補填される理由は、採算を合わせるためだけに、生産を続け、凄惨をきわめる現在に健気であればあるほどに、金目当ての自由から、理由をまさぐるほどに、偶像崇拝を続け、何かを崇めることだけを継続し、そこで契約されるものに従順であればあるほどに、しあわせとは見つからずに、何かのしわよせのために誰かに利用され、生贄として、嬉嬉として自らを授けるような綺麗さだけが、綺麗なものだ、と思い違いを生むほどに、互いを恨むような軋轢を今に生み出し、何かを踏み台にすることで、自らのしあわせを射止めるのだ、と惰性にうながされるものに転換される自由などは、理由を持ち出し、今にもたらされる苦しみを解消するためのしあわせを捏造し、そこで理由すらもそこない、何かと同化し、動揺し続ける精神は、敬神を続け、人が生み出した神により道を踏み外し、人が生み出した神により、自らに苦しみを与え、自ら与えた罪の意識を解消するための罰を受け入れ、自らを法で加工し、そこでジレンマをたくわえ、絶え間ない苦しみは、今に抑制され続けた意味を解放するための戦争を続ける。終わらぬ扇動を続ける一過性の自由は、一貫したものを持たずに、感性すらも引き裂いて、そこで用いられる新たなものすら受け入れられずに、諦観に陥られ、応じる答えのことごとくに統合させられ、透過できずに、そこで罪科を与え、簡易な罪の意識を加工し、後悔を謳い、自らの罪を悔い改めるべきだ、と正義はカタルシスを捏造し、犠牲にするための悪をもたらせ、自らの正当性を謳う。センセーショナルなものなどは、エモーションを持たずに、ただ衆愚がうながす神の傀儡を用い、何かを悔悟にいたらせ、そこで悔悛させるための屈従を求める。求められた者は、とがめられていることにも気付かずに、抵抗できずに、そこで屈従するための苦痛ほど、快楽的なものはないのだ、と惰性に導かれる犠牲のこころから、拘束される君の意味などは、誰かが用いた理想が供給したあいまいなものであり、そこで巻き込まれるほどに、そこから抜け出せぬように、自らが自らを縛り付けていることに気付くべきであり、ありのままな者ほど、何かにうながされ、凶行に走り、理性を失い、理想を追い求めるための破壊が次々に暴力性を加速させ、制度が用いる抗力に反し、拮抗し続けるほどに、規制を孕ませ、そこでもたらされる力に緩衝し、互いをとがめるようで、互いの力は、均衡を保ち、持ちつ持たれつの関係におちいる。誰かが用いる愛が、今までの愛を破壊し、加算される苦痛に苛まれる意識は、互換性を謳い、用いられるものすべては、代えられるものであり、そこでかけがえのないものとして崇められているものほど、何かに代えられ、書き換えられ、そこに存在すらもしなかったように扱われる。