昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

規制される前のプリミティブな照合


 乗り越えるべき夜を折りたたむシンドロームや、信号機に重なる一瞬のため息が交差する渋滞しているだけの人々の幼稚な理念を排出しているだけの車中で永遠性をたしなむような恋どもの嗚咽や、引き裂かれた感情を充填するだけのペシミズムが運び込む浸るだけのペインや、陰鬱な衝動を巻き込むだけの不安などを昇華させるべく、理性などを保つほどに、本能とは、凡庸なものをちらつかせ、近付くものを傷つけることだけに専念するような思春期の終わりが溜め込む汚穢や、横溢していく瞬間にドラマがあふれるのだ、とメロウな深夜に入り込む背徳や、死を映像化するだけの静謐さを超えるべく、理想とは、理性を保つための記号にすぎない、と惰性に導かれる主観にあふれる敗残していくだけの記憶は、抵抗することをおぼえずに、現れるものに変換されることで、モニュメントと化すほどに、補填される苦しみは、憎しみを敷衍させ、不吉な予感をたずさえた不安から、俯瞰とは危害を加えられ、汚れたものを整序するためのためらいを生み出し、対価を求めるだけの自然的な回路をショートさせるだけの不安定さを生み出し、等差を生み出し、平等を謳う獣どもにリンクする過程から、締結していく思いは、軽快さを失い、自らを恨むことで、何かを機能させるような発信を続け、自らを損得で埋めるだけの世界からの脱兎を目論まずに、現れるものに傷つくことだけが、正しいものへと変化していくのだ、と惰性に生み出される意味をかぶりながら、自分こそは、綺麗なままで居ようと思うほどに、異様なものとして排除され、疎外感に苛まれるのだ、と性差を用い、そこで差異を生み出すほどに、見出すべきものは、継続された善悪に支配され、行き違う場面は、誰かを恨むための緩慢な作用を用い、モチーフとされる正義をかかげ、犠牲を謳うだけの幼稚な支配から、宗教的な神よりも、自らを神格化させ、真の悪へと昇華するための自らを定めるような幼稚な犠牲から、支配は加速し、そこでもたらされる苦しみを用い、誰かを騙すための犠牲だけが加工され、そこに現れる品性などは、性質を破壊し、本質的なものを翻弄し、何かをひるがえすためにためらわずに破壊を続けるような愛へと厭わずに侵攻していく定理にもとづく迎合を続けながら、偏りを生み出すだけの兵器的な信仰だけが、本質的な愛へといざなうのだ、と謳うような仮説を踏みにじりながら、憎むことでしか生み出せぬような弱者の思想から、思考停止におちいるだけにいたるような意味に応じるだけの大衆的な安堵などは、あいまいな執務を追うだけで、値するものを正しくに認識することもできずに、価値を見出すのだ、と達成感に酔い痴れながら、信条を用い、何かを騙すための思想を生み出すようなデカダンスが価値を用い、何かに対し、あらゆる原理を捕食するための記号を生み出し、緩慢に作用する幼稚なたくらみから、大義を見出せずに、惰性に導かれる先々で対価を謳いながら、まぼろしを愛し、まぼろしと契約を結び、永遠の愛を誓うほどに、違いを見出せずに、そこでみすぼらしいものを強調するだけの愛へと偏執していくほどに、自らとの懸隔は広がり、背徳を謳う自由と、そこで従事することで生み出される資本的な快楽から、傀儡として生きるためのツールとして、フラクタルな人間を生産し、何が正しくて、何が悪いのかを調教されたマゾヒストどもの楽園で、同族嫌悪におちいり、後続する者を蹴落とすための規律を生み出し、あらゆる論理から編み出された欺瞞を崇拝しながら、しどろもどろな意識の汚濁の中で、簡易に示される愛が、自らを閉め出し、そこで反芻し、反復し続ける意味の中で顛末を綻ばせるだけの統合から、等位を用い、何かを示すための名称に騙され続けるほどに、自らがうながす意味の中で喪失感をたずさえ、延々と引きずるペシミズムの中でかかげられた価値だけが、自らの美徳や、自らが用いる価値などを強調することでしか、自らを正しく認識できないような軽薄さを従え、自らを抑圧し、時代や社会を恨みながら、堅持する意味に誇示するだけの今から離れられずに、放たれるべき意味から、今に移行していくほどに補填される苦痛をルーツとし、ルールで拘束しながら、理念を喪失し、大義を見出せずに、純粋な破壊のためだけに、ためらわずに愚行にいたるような今に犠牲をもたらすだけの対比を繰り返すだけの退廃的なモジュールとして共通の意味を吐き出すだけの管轄こそを破壊し、そこで介するほどに、自らとは、自らの手により破壊され、果敢に挑むことすら忘れ、そこでうながされるものを、うながされるままに愛してるふりを続け、不利益や、不利なものに振り回され、そこで理性すらもそこなわせるような快楽を加速させるだけの理想などは、捨て去るべきである。