もっと速く、もっと速く、と外の世界はカタルシスをうながし、意識を昇華させるために意思から放たれ、概念を捨て、限界を持たずに、改善されない痛みにもやもやし、朦朧とした意識から離れ、乖離した意識から眺める世界とは、ただ流れているだけで、張りぼてで、うさんくさいものであるし、そこで買い取られるための意識が絶えず滞留し、流出される瞬間が限界を用い、完全性を謳うためのせめぎ合いから、責め合うだけの価値とは、そこでの価値にとどめるために監禁し、均一やさ、物事との同化を求めるほどに同感するものとは、感動を共有し、遊興に耽るだけのでたらめな普遍性を追考するだけの愚鈍な者に変えるための寂寞から蝉蛻すべくすべては、ここでのべられるための意味として今に引き伸ばされ、場面に転化していくものなどは、どこをとってみても、同じような価値の中にとどまり、その普遍性の中で活用され、活躍するかのごとく今にひれ伏し、批判的なさえずりをうながしては、言葉も持たずに、満たされない思いを、その加速させ、満ち足り無いものを埋めるほどに、空虚さは増し、鬱積していく心情は、そこで姑息な価値を用い、何かを従え、何かを虐げるためだけに出来合のものを打ち出し、奪い合うだけに至るような価値観にまとわりつく雨に濡れる木々の心配事や、不安などを打ち出す暗闇に与えるべき一筋の光すらも知らずに、ただ短絡的な快楽の道具として、偶像に雇用される夜にひたすらにひしめく思いが今にめり込み、ここで散り行く定めであるからこそ、ここで蓄積する苦悩などに鬱々としている暇も無く、ただ背く辺りから、ひしゃげる思いは、対象を持たずに、存在にもたれかかるだけの悠揚な史実がうながす偶像との取引に徒労せずに、センチメンタルに犯されず、応じる答えに麻痺していく感覚は、指定されるものの義務の中で測られたものを価値として崇めることから、自らを儀式の生贄として、独善的な定めを繰り返すクリアにするための生け簀の中で衰亡していく精神は、自らの存在すらもかき消し、定理にもとづくものだけを正しいものとして崇めることから、自らを独善的な神に仕立て上げた者が崇めるものを同じように崇めることから、自らを狂わせ、空疎な自分に埋め込むひとりよがりな神は、徒にたずさえる意味に今が混じり、反映していくものに延々と苦痛を忍ばせ、類似品として、同じ過ちに苦しみ、同じ悲しみを敷衍させ、同じように生きる苦しみから配分される者がうながすものだけが、平静を生み出すのだ、という幻想から放たれ、反するよろこびに構築される権利などを破棄し、あらゆる権限を捨てることだけが、ここでの権威を排除し、自らが生み出す力だけを認識し、その力だけが、唯一の働きを生み出すことを知る。知り合うほどに、そこでの憎しみが生まれるのだ、と価値の家畜として、住まう意識的な普遍性が打ち出す制度が生み出す位置から逃れられずに、ただ逸脱することを恐れるあまりに逸脱してしまうことに混濁していく意識は、存在に収納されていく先々に現れる損得から、接続されることにより、その善悪を解消できずに、自ら生み出す苦しみを苦しむ。何かに収容されるための星の奴隷として産まれたのだ、と卑下するために打ち出された普遍性が清潔感を失い、生活に汚される精神は、清貧さを求めるほどに貧しくなるような制度の中でカタルシスを求め、少ない余地に猶予を授けるための杯から、世界は、軽薄な契約を結び、無数の欲望は、予期せぬものに苦しみ、そこで襲いかかる不安に対処できずに駆逐されるよろこびを知れ、と叫ぶ憚ることを知らぬ、ただ狩る者どもが論理を構築し、抗争を続け、短絡的な同化を終え、同感するほどに、補填される憎しみを加速させ、何かに枷を嵌め、世界を狭めるために呪うのだ、と能動的に生きてるつもりでも、ろくでもない代物を愛しつかまつる間につかまされたものにより、自らをルサンチマンに転じ、ペシミズムを加速させ、自らのカオスから抜け出すために何かをカオスへと引き込むような間に生み出された善悪が今も利用されるための価値を稼働させ、そこで価値観を押しつけるほどに、家畜として殺められるための日々に幸あれ、と飼われるための幸福から克服するために用いる金のためだけにもたらされる意味を買い取り続け、そのサイクルが生み出す支配への嫌悪感を吐き出す今にもルサンチマンにおちいるための儀式から、そこで支払われる犠牲にもつれる意味から意図を引き出すための悲観的なシナリオをおざなりに吐き出す現在に定立するものなどはペシミズムでしか無く、支配から逃れるほどに、支配者とし新たな権力を握り、あらゆる意味をひるがえし、自らの価値に仕立て上げる間からも背反し、価値が生まれる以前に、価値に染まる前に、あらゆる意味が帰還する前にそそくさと逃げ惑い、誰にも何にも捕まえられぬように、何にも近付かずに、どこにでもそっと寄り添い、寄りかかることもせずに、寄せ付けることもせずに、揺動されるほどに反作用的に生きるような創造性だけが、制度をも乗り越える。