昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

惰性の花

機械的な神経にむしばまれる酩酊する記憶。鼓動は枢要な価値を見失い、価値を追い求めるかぎりは、幸福などはやってこないと、コマーシャリズムカタルシスを求め、価値観にふやけていく比喩されるための彼らの日々は、彼女たちの奴隷としてカスタムされるよりも、彼女たちをあがめるためにオーダーメイドされた君の皮質に、官能的に補完される罪の意識や、儀式的な住まいで供儀として、数十年間をついやされ、惰性に求められる言葉から、そこら中で補正される日々の不潔な流用や、カーストによって資源としてしか数えられない、無機質なまどろみとして、黒々としたリビドーを孕んで、懶惰な市場で売買されるだけの便利な身体や、軽い身体の中でフラクタルであるために、システマチックな苦しみを反復させ、空疎な自分にあたえられる反響によって、生きているかのように思えてくるのだと、ザラザラした感情がふりそそぐ記憶の加護によって、自らのやましさをかき消していくようなあやまちに敷衍していくふたりの面影は、ただの影であり、過去であるのであり、そこで終焉を迎えても尚、そこでは永続する思いがそなわるが、そこでの思いは決して前には進まず、闇の中でもがくだけであるし、そこで自覚するものなどは、今にすり替えられるものばかりだし、惰性で積み上げたものが理性を失い、リフレインして、触れ合うほどに、フレッシュなものはそこなわれ、愛するほどに、愛するという行為には疲れ果て、やがて愛することが作業に変わり、緩慢に示されるものに締め出され、惰性に汲み取るものによって駆逐され、空疎なものを補完するための便利な身体に収容されていく本質的なものに供養されるためだけに、ニセモノの名前を与えられ、あたかも生きたように思えるなんてあんまり、だ。