昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

美醜


 ひろがる景色は、形式的なものに犯され、軽視していくものに奪われる感情は、論理的にせめぎ合う幼稚なたくらみから、孕む意味が阻む世界が、軽薄なものを措置し、おざなりなものが無神経に入り込み、背徳などを謳う独善的な手法から、端的なものを呪うだけの構造的な犬どもが徘徊する深夜には、動機すらも死に絶え、そこで継続されるものなどは、惰性なものであるし、あらゆるものが売り買いされ、退屈しのぎに仰ぐものなどが、堕落しては、主体性をそこない、ないがしろにしていくものが義務的なものを空疎に敷衍させ、複製されるだけの真実は、同じようなものを、同じように継続し、計画性もなく漠然と生み出されるものが惰性に汲み取る位置的な苦しみから、ここで計測されるものなどは、同じように継続されるものが容易に示すものへ引き伸ばされるものがもたらすものこそが、あたかも正解のようにうながされ、最たる意味をそこない、喪失感にゆだねられる瞬間が不正を糺しながら、内面性を虐待しながら、加速していく思いは、回帰すべき場所などを求めるばかりで、愚鈍なものにおちいり、応じる答えや、戦列に並ぶだけの偶像や、正しさを謳うだけの弔いの鐘などが響くあいまいな主観は、応じるままに正されることだけが、ここでの虚像を打ち砕くのだ、という幻想から離れられずに、形成されるものが過ちなどを引き出し、卑近なものに変わるだけの現実などは、そこなわれるためだけに相似し、制されるままに、ここで自由を謳うほどに、独善的なものに変化する。価値観を屠るようなカタストロフを祈るのが、人間的な性質である、とペシミズムがカタルシスに至るべく、すべての破壊を祈るような能動性から、接続されるための過ちを歌唱し、あらゆる弊害を乗り越えた後にひろがるものだけが、確かなものをものがたるのであり、ものの価値などは、ものとして現れた途端に名付けられ、名前を与えられた途端に値札を貼られ、あいまいに示唆され、無知なままに消費するものだけが、価値あるもののように語られることを継続させ、そこで朽ち果てるだけの愛は、残りもののままで、苦悩を濃淡に吐き出す深夜にシンクロするファシズムや、憤懣を溜め込み、混同していく意識は、位置的な誤りを警報しながら、しなびた思いがもたらす価値などを追い求めるほどに横暴に変化し、そこで求めるほどに幼稚に変わるだけの独善的な人間として、唯我独尊を語るほどに、何かの傀儡として、リアリズムを語るほどに、真実からは懸け離れ、提起されるものが、毒性を用い、保たれるものがほつれ、もつれる間に保たれるものなどは、もたらされる意味から懸け離れ、蔓延る悪意を充填させ、ただ受け取るだけの容器としての役割を保つための身体は、あらがうほどに神格化していき、神体に変わるのだ、という宗教的な空疎ななりあいから、なれあいほどにいざなわれる幼稚な迫害から、乖離するほどに従順さを謳うだけの今をしのぎ、応じるための答えを垂れ籠めるだけのあいまいな史観を飛び越え、長じる由縁などは、所詮は、何かの確かさを測るのではなく、ただ正しいものとして強制的に認識させるための示唆から、支配的に乗じる由縁などに荷担するほどに、権力的なものに牽引され、簡易な正しさをあてがわれ、世界などを謳うほどに、意味に収縮し、収斂されずに、修繕もされずに、自らの内部で決壊し、自らを破壊し、ニヒリズムが生み出す集約的な籠として備わるだけの要理などが示す権力などは、今を破壊するためのプログラムに変わり、与えられた知恵により、自らを破壊するための教育により、仕込まれたギミックにより、思考停止に至り、相似し続けるほどに価値との距離を保ち、もたらされる義務により、支配されるよろこびだけを蓄積するのだ、という哀れな過ちから、仮象するものを崇めるだけの偶像的な奔走から、排斥されるための過ちに支配され、浸食していく苦悩を引きずりながら、卑近なものをさだめ、幼稚に理想をかかげては、最たる意味を喪失し、相違し続ける自己がおちいる先とは、あいまいな生を恫喝しながら、何とか継続していくほどに、存在の居心地も悪く、生きながらえるほどに硬直していく精神は、敬神に浸るから、あらゆる破壊を提示し、自らの心象を汚すために軽薄なものを崇めながら、対立を深める自己との訣別を求めるほどに、ほどこされる過ちを蓄積されるだけの空疎な身体に補完されるものが貧寒なものに変わるための自己を嫌悪するほどに、補完されるものに寄りかかり、自らを正当化するために世界に対して敵意を向けるようなペシミズムやニヒリズムを乗り越えた先にも現れる過ちこそを超越する。