昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

対象

すべての呪いが降る朝。悲劇的な靄に囲われた街が徒らに成否を謳い、因果を捻り潰すだけの堕落した生活にうごめく思想が捻り出す真理なんかにより硬直し、枯渇するだけの生命が制限を生み出して、拡散されるほどに強固なものに変わる病的な発想により、破綻していく世界などは、個人的な憂鬱などに寄りかかるだけの代償などが、軋轢などを生み、奪い合うためにたむろする情景に馳せる結末なんかが、終末論なんかを謳う。たたずむ世界で交換される過ちが価値を操作し、凡庸な

ものが生産する曖昧なカタストロフにより、ロストしていく真実の奴隷として、忌々しい日々で恒久的に苦しむだけの場面で、似たような定理をかかげ、傀儡に変わるだけの退嬰的な危機感を孕んでは、他者に依存して、媒介させるものだけが、大切なもののように扱われるだけの関係の中で軽薄に経過していくものが崇められ、あたかも大切なもののように仕立て上げられたものを信仰することで、しあわせになるような形が謳う価値を乗り越えて、自らが選んだものだけが、今を形成し、先へと進み、今に膠着せずに、飛び越える先には時間すらもなく、無くした物に意味すらも持たせないで、枢要なものとは、ここで膠着するだけに終えるような、怠惰な形式に引き摺られないで、自らを信用するからこそ、自らを正し続け、自己愛に浸らずに、そこで堅持するものほど、邪魔になることもあり、そこで理としてかかげるものほど、重くなり、歩みを遅くする。かさばる真理などは、死を思うがあまりに、生を疎んじる。真理のために死ぬよりも、真理を超えるために快活に生き、概括的なものを破棄し、空間的に作用する病原菌的な言葉や文字を駆逐し、新たな再現により、新たなものを構築し、次なる者に新たに構築されては、妨げと感じる者に破壊され、また新たな者が新たなものを構築するようなサイクルからも放たれ、宇宙的な規律や、数学的な際限からも離れ、自らを保つための正しさをも破壊する。自らを正すことを辞めた途端に命とは輝き、祈ることを辞め、信じるとか、信じないとかという領域から放たれ、活き活きとして自己に立ち向かうことに、孤独であるとか、関係なく、そこに存在するのは、自分を含めた世界であり、自分が存在するからこそ成り立つ世界でもあり、そこには、自分以外が存在し、確かな自分が、そこに立っていて、ただ前に進む強靭な足取りで、一歩一歩と確実に進み続ける。その前に行く姿勢だけが、確実な今を形成するよりも速く、確かな未来へと誘う。