昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

逍遥

強い想いとはその場にとどまり、自らを動けなくする。無くしたものに擦り寄る価値が、利己的な肯定を続ける先々で排斥される理由が流用され、真実を根絶やしにしながら、願いを踏みにじり、先行されるものにより、命は圧壊する。先々で無駄死にした人々が迎合した幸せも、所詮は与えられた幸せであるから、際限があり、限界を迎えた喜びは、さらなる喜びを求め、誰かの幸せを奪いながら、倍倍と増えていく憎悪にすがる畜群的なノイズに占領される君の正義が犠牲を絶えず生み出す間にもルサンチマンは加速し、さらなる犠牲の麓でながめる世界とは卑小で非情なものであると、どうにでもなれとさえずる諦めた君の命が昇華される隙間に過ぎ行く物事との軋轢や、消費されるごとに現れるカオスとのドラマチックな最終戦争という馴れ合いに隔てられずに、すべては物質であり、姿形は違うように見えても、よく見ればすべてはほとんど一致し、短絡的で依存的な同一化よりも、確かなものである私たちのほとんどが似通う物質であるという喜びが敷衍し、持っていようが、持っていなくても、なくなれば混ざり合い、また同じ位置で同じことを繰り返しては加速し、光よりも速く突き抜け、あるとかないとかという横柄な考えを捨てて、自らに帰り着く間には、時間とか次元もなくなり、長い目で見れば、内外に晴れるものが延々と誰かを照らすように、自らを照らすのかと、誰かを愛するとか、愛されたいという以前に、私たちは同じような物質であり、あらがうほどに似通う私たちは、立場なんか持たずにさまようだけである、と。ここでの始まりとは、質量を持たずに終わる終わりと交わり、また始まるだけであり、健気なサイクルに死に絶えた君も、明日になれば、また誰かと結ばれて、同じように泣いたり笑ったりわずらわしさに怒ったりしながら、何かが足りないと子供みたいにわめいたり、迷惑かけたりしながらも、誰かが誰かを罰することもなく、そこで横柄な規律により、自らをどんどんと抑圧し、楽しむべく産まれたことを忘れたりしないように、私たちとは、ほとんどは違うが、ほとんどは似たようなものであり、そこには価値などなく、妨げる理由すらないし、世界が終わったとしてもまた、ひとりの女を勝ち取るための戦争が始まり、ひとりの男をうまく扱うための権力が国家を作り出し、また同じようなカタストロフを迎えるだけだ。