昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

借り物の命

懶惰な社会的な母が示す適齢期により閉め出されたルサンチマンたる子供達が、感情むき出しで世界を責め立てるあいだにそなわるセンチメンタリズムにすら遷移していく罪の意識が、儀式的に包括する法のリズムのようなものが、容易に世界を住みにくいものに変化させ、猜疑心により倍増していく敵愾心が、資本主義的なものにより抑圧され、さらに憎悪をふくらませ、社会に責任転嫁され続ける誰かの罪が膨大な借金を生み続け、そこで踏み倒されるだけの誰のものでもない金や物に価値を与えるだけの、怠惰な概念がほどこす教育により、絶えず脅され続け、怯えるだけの自分を他者の目を介し、自らをみすぼらしい者に変化させるだけの価値をひっくり返し、自らを生きやすいものに変化させ続けるような価値を創造し直すために、哲学とは存在する。偏りを示す悪魔的な数字、リンクする陰気な隣家からの輪唱により、信じるべきは、誰かが騙るものだ、と促す打算的な拡充により、独占欲を加速させ、意識に枷を嵌め、世界性を奪わせるためのプロパガンダにより、画期的な昇華へのプロセスを損なわせ、自らに従い続ける者は秘密裏に処理されるだけの惰性なシステムに寄りかかるための、信仰的な楽園たる偽装された島で、みすぼらしく今を啜り続けるような出来合いのテクノロジーにより、ロストし続ける大切なものも、体系の中で構築される諦観するだけの、考えることを辞め、与えられた情報を貪るだけの餓鬼と、考えられぬが故にうろつく落伍者と、考え過ぎるが故に選民思想に支配され、自らを支配できずに、他者を支配する快楽に耽溺するための世の摂理なんかを打ち砕くために、前衛的な思想を練り上げるほどに、世界とは悪化するために何度も終えるだけに至るような苦痛の配下として、排斥されるだけの理由によりためらうだけの日々に鬱積していく互換され続ける先々で統合され、盗用されるだけの行き先でゾンビのように行き来する人々の普通とは、生活の中で不正を加え、規律を重んじるが故の犠牲を生み出しても、傍観するだけに至るのではなく、ただ保つようにと仕向けられ、そこでの支配を受け入れるしかないわけでもなく、そこで生きることに懸命であり、なにかを思う暇もないほどに、ままならぬ日々に嘔吐し、システマチックにまどろむ機械的な抑圧により、ドラマチックなものよりも、よりドラマチックに過激な理想を求めるように、淡々と復帰し続ける人々の計画の中で果たす義務などなく、ただ日々は片付けられるだけであり、生きるとは、掃き溜めの中で抱くカタストロフを駆逐し、もっとも獰猛に延々と今を突き進むことで、価値なんか一瞬で過ぎ去るだけの遺物になる。