昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

物体との黄昏

そこに再現される愛に似たようなもの、過ぎ去れば、そこで慈しみ孕んだものすら置き去りになり、そこで自覚したいた愛も悴んで、自覚する前に凍死する。すべては似たようなものを繰り返し波及させ、あたかも愛しているかのように容易に嘯く。君の為であった愛も所詮は、物の価値などに擦れてしまい、破けるだけに至るだけの愛が孕んだ歴史などは、すぐさま死に絶えるのであり、そこでの理解などは素気なく、多大なる犠牲を生み出し、弛むだけに終える先にはジレンマに苦しむだけの今すらも、すぐさま消え行く。時間とは限りあるようで、翳りを生むだけであるし、感化し思案し続けては、司る位置に苦しみ、いいわけばかりを積み重ねる。死んだ所作で意識の終わりを弄る。絵みたいな夕陽に隠れてしまった君の行き先、妨げられるほどに燃え上がる恋により燃え尽きた日々、真っ白な季節の動悸が延々と鼓膜を嬲るから、もう終わりにしようか、と語る君と肩を組んで、髪の匂いを嗅いで、さわやかな風に加勢するだけの奴らが鬱陶しいし、誰かが語る正しさが許せないから、何にも属さずに、何にもなりなくないから、裏切るのであるし、この瞬間を刷新しては、寂れた夜に消え去る情念に帰る場所は無いから、こうして思いを馳せては紡ぎ出す。無感情な街角、迎えを待つ子供達の不安そうな顔、陰惨な影を過剰摂取した彼女の痙攣する身体、すべてはフラクタルだからムカつくのであるし、鮮やかだから殴りたくなるし、君たちの家庭が薄気味悪いし、胡散くさい笑顔の中では家族ごっこを続けているだけに過ぎないのに、あたかも満たされているかのように嘘つく口を縫いたい。君たちみたいな豚になったらいいのか?満足いかないから、と食べすぎるのが幸せなのか?そしたら仏陀みたいになれるのかな?誰もが破綻した性格や正解の中で、快晴すら見たこともないのに、大人ぶって、境目もなく貪り食うのに、痩せたいとかうつつをぬかすのかな?そんな生活に清潔感なんてないし、うわべだけの幸せなんか退屈を絶えず孕んで、今を浪費するだけに過ぎないのだし、出し抜くことや、いくら儲けたなんてことがけたたましく叫び狂う先には、幸せなんてものは、絵空事なんだ、と悲しみを巻き込む比喩の汚穢や、夏の終わりで戯れる秋の恥じらいが運び出す薄情な冬の始まりにまじわる景色に蔓延る悪意に似たような愛に過敏な反応を示して、アレルギーに苦しむ先で遺棄される感情の不確かさに加算される君を供儀にするための競争を続けるだけの世界で唾棄されるものをすなどり、占領するための退屈な体系化を押し付ける結末に交わる果て。