義務的な夜更けにたたずむ君の憧憬を映し出す映画館、かかずらう先に現れる不透明な結び目、無数の互換性により井蛙なままで受け入れる物事の苦痛、まじで君が幸せであるならば、それでOKではあるが、幸せなんてもの定理なんてないし、物事に基づく疎ましい現状なんかに絡まる意味合いが卑屈に噛み付く合間には、不安ばかりが迫り、あたかも幸せなような演技が独善的なものを提示し、幸せであることを強要するような幸せなどは、幸せであるのだ、と演技を続けるほどに、つたない現実は、さまざまな苦悩を生み出す。雲をつまむ感触、無限大の性愛が棚引く欲望を爪弾く女神、抱えた静謐をグラスに注ぎ、孤立したままに飲む感覚が何事にも妨げられずに、喉を通り抜け、胃の中で熱いものを敷衍させる。彼女たちの天国を知っているカニバルな男の子、試練は断続的な断末魔とエビデンスが云々と、既存の真理の森で恋々と哲学に惚ける私の足枷を外す紫陽花と過保護な犬、夕暮れに潜む毒と、無数のハイエナがママチャリで走り去る街中はサファリパークみたいだね、と不思議そうにカタルシスに至る鳥たちの群れ、ふわふわの胸からは自動的に垂れ流れる言葉、その言葉を詰め込んだバックパックはパンパンだから、職務質問されたりしている君の逆鱗に触れ、ねじれた根幹に入り込む抒情的な汗、未熟な侵略者たちが培養する空疎な自由とやらに侵食された彼らは、無機質な性欲と対峙するための一人遊びの後の大雨、目玉からは若い世界が噴き出て来て、延命するために発光する恋心をつなぐためのパン粉、ケロイド化した誇りに歌詞をつけて、自堕落な日々にある薄い膜を引き破るために愛した君を今すぐ捨てて、孤独になって、なあなあな世界も捨てて、自由なんて存在しないものを愛たりしないで、めでたしめでたしと言えるような一日の終わりが絵みたいになれば、しあわせなのか、と簡単に処理される日々に孕んだものが、もう一度愛を呼び覚まして、新しい朝すら刷新して、争う日々のアラカルトや、カルチャーがもたらす日照りや、ロジカルな狐が謳う原理をゲリラ的に消費するための戦争がもたらす同一化なんてものこそ空疎なものであるから、よそはよそ、うちはうちと、甘酒のプールで泳ぎ、饒舌なテレビを壊して、シャンシャンうなる猫の首輪の音がこだまする間から生える芽を撫でる日々。