資本主義の下では国家などは存在せず、国家などは地中をうごめくミミズのようなものであり、地中が熱くれば心地よい地中から出て来てしまい、のたうちまわり、そのまま死の外に追いやられる。そのような曖昧なものでしかない国家などに支配されたり、右往左往して、ゆがんだ思想をかかげたり、何かを崇めたり、なあなあに愛したり、甲斐性などない社会が、正解などを押し付けては、みんなの頭に決定的なバグを植え付ける教育によって、大人になった気になっている連中は、ただ支配されたり、あるいは諦めたりしたり、思考停止したり、したり顔でポリティカルなことをベラベラ飛沫を飛ばし捲し立てたり、足りない頭で考えては、還元されるものや、金の計算ばかりの日々から抜け出して、プリミティブなダンスをする。屈折した季節の顔、もぬけの殻となった身体の青、連帯感で締め付けられる君の表情、誰もが快活さを失い貧苦に喘ぐ日々の症状、末端では腐りきった君たちのエゴがゲコゲコと鳴き、孕む住まいから生まれる屈折した子供たちの魯鈍な足取り、記憶を吸い込む紀元前のブラックホールと、クラッカーたちが弾くキーボードのカタカタという音が子守唄だった私、さもしい日々の遊び場、乱立する記号が希望に変わるまでの距離、瞬く間に聳え立つ木々がよく育ち、その木によじのぼり、高いところから見つめる先で見つけるものは、より高いものであり、そこでもたらされるものが持ち寄るものにより屈折しても尚、寝転んだりしながら、支配されたりしないで、一過性のものに引きずられるほどに、少しずれていく日々の中で過信するものが、進化なんかを問われて、途端に駆逐される人々が迎合していたものが呼び覚ます問題提起なんかが、消費し続けていたものが、浅ましく痛ましいものに寄り掛かり、弄り続けるシステマチックな連中が悶える先々で苛むものが訝るような傀儡たちの街で、立場なんかを用いて、引き合いに出されるものに出たり引っ込んだりしながら、領土なんかを生み出す輩が謳う現実に阻害されるだけの忌々しい意味を蹴散らす。